EP14.セナくんと向井さん

 修学旅行中にセナくんに告白した女の子は"向井莉奈"という子だった。新島くん情報によれば向井さんはかなりモテるらしく、同学年だけでなく他学年にも可愛いと知られているらしかった。

 だからだろうか。今までずっとモテてきたからこそ、こんな大胆な振る舞いができるのだろうか。"瀬名和泉には彼女がいる。それは同じクラスの正木沙耶香"その事実はもちろん学校中に広まっていて、知らない生徒はいないんじゃないかと思う。たとえ一部知らない生徒がいたとしても、セナくんに付き纏う向井莉奈が知らないはずはなかった。それなのに、それなのに、だ。彼女の目の前で堂々とセナくんに色目を使っている。修学旅行中の告白で振られたというのに。


「今日も来てんの?あいつ」


 懲りないねぇ、と言いながら、新島くんは私の席の前にある椅子にどかりと腰を下ろした。新島くんが"懲りない"と形容したことからも分かるように、向井さんは修学旅行の代休明けから今日までずっと「瀬名くん、ご飯一緒に食べよ〜」と誘いに来ていた。その誘いをセナくんは当たり前のように断っているが、それでもめげない向井さんは私たちの中に勝手に参加して、昼食を一緒にとるようになった。

 今日も今日とてめげない懲りない向井さんは、私の横に腰を下ろしたセナくんの前に座る。あなたの斜め前にセナくんの彼女がいますが?いったいどんな気持ちでここに参加して、和かにご飯を食べてるんだろう。


「瀬名くん今日もコンビニ?」

「ん?あー、そうだね。一人暮らしだとどうしてもね」

「そうなんだぁ……あ、わたしが作ってこよっか?おべんと」

「いーいー、悪いよ」

「そー?それじゃ、卵焼きあげる」


 全ての語尾にハートマークをつけながら話す向井さんが、箸で掴んだ卵焼きを「あ〜ん」とセナくんの口元に差し出した。ギョッとしたがさすがにセナくんが断るだろうと思っていた。それなのに照れ臭そうな笑顔を浮かべたセナくんは次の瞬間には軽く目を伏せ、卵焼きが入る大きさに口を開けた。驚きすぎて声も出なかった。私の目の前でセナくんの口に卵焼きが入る。「おいし」と言いながら咀嚼する。私を好きだと言ったその口が、何度もキスをしたその唇が、私とは違う女の子に「ありがとう」と笑いかけた。


「良かったぁ」

「向井さんが作ってるの?」

「そーだよ!こう見えて料理得意なの」


 うふふ、と頬を染めて可憐に微笑む向井さんは確かに魅力的だった。私は黙ったままお母さんが作ってくれたお弁当を口に運ぶ。目の前で私の存在を無視したような猛烈なアプローチを繰り広げられても文句を言えない。それは修学旅行後、急に冷たくなったセナくんの態度が関係していた。

 

 修学旅行前から私とセナくんの関わりは減っていた。確かにそうなのだが、そういった変化とは全くの別物。それまでは恋人としての時間が減っても、セナくんに避けられていると感じたことはなかった。だけどここ最近のセナくんは私をあからさまに避けている。それどころか、今まで私に向けていた特別な蕩けそうな笑顔を向井さんに見せているのだ。だけどセナくんの真意を直接確かめることができない。

 それは正しく私の弱い心のせいだ。「私のこと好きじゃなくなった?」「もしかして向井さんのこと好きになった?」そう問い詰めて、もし肯定されたら?一番の友達、居心地の良い学校生活、私への信頼、それらを失ったそもそもの発端はセナくんと付き合ったことだ。それなのにセナくんまで失えば、私の手元には何も残らない。怖い。セナくんは絶対に失いたくない。そのためには聞き分けの良い彼女にならなくちゃ。だからセナくんのすること全部に目を瞑ろう。もうそれしかない。


「そういや、お前らクリスマスの予定って決めたの?」

「え、僕と向井さん?」

「はー?なんでセナと向井さんよ?セナと沙耶香だろ?」

「ああ、僕たちはまだ何も決めてないよ、ね?」

「う、うん、だね」

「じゃー、みんなで遊ぶ?」


 新島くんは私たちの顔を見回した。その提案を最初に受け入れたのは向井さんで「やったぁ〜!ダブルデートしよう!」だなんて無邪気にはしゃいでいる。ダブルデートの意味分かってんのかな、と思わず眉根を寄せてしまう。


「いいね、愉しそう」


 そんな私に気づいていないセナくんの声も弾んでいる。セナくんが賛成するなら私もしなきゃ。私に断る選択肢なんてない。


「そうだね、楽しそう」


 ニコリと無理に口角を上げた私を見ていたのは、新島くんだけだった。





 終業式までのセナくんの態度もそれはそれは冷たいものだった。私に良い感情を抱いていない人たちが「そりゃ振られるよね。向井さんのが可愛いし良い子じゃん」と揶揄するほどには分かり易く私を避けていた。こんなんでクリスマス楽しめるのかな、という私の不安は見事的中する。


 終業式の翌日のクリスマスは水族館を訪れた。水族館の横の広い公園はスワンボートやカフェもあり、カップルや家族連れで賑わっていた。


「ペンギン可愛かった〜!見て見て、この写真やばくない?」


 キャッキャと高い声でコロコロと笑いながら、向井さんはセナくんにスマホの画面を向ける。それを覗き込みながら「ほんとだ、可愛いね」だなんて、セナくんは柔らかく微笑んだ。傍から見ればそれは完璧な恋人。事前に想定していた通り今日の私たちは、セナくんと向井さん、私と新島くんのダブルデートになっている。


「お前、あれには文句言わないの?」


 2人で肩を寄せ合いスマホ画面を覗き込んでいる光景を見ていた新島くんが、私にこそりと耳打ちをした。良いか悪いかで言えばもちろん悪いだ。だけど文句を言えるかどうかで聞かれれば、それは否だ。私は曖昧に微笑んで、遠回しに感情を伝えた。


「ったく、ほんとしょーがねーな」


 そう呟いた新島くんが溜息を吐きながらベンチから立ち上がり、徐にセナくんと向井さんが座っているベンチの前に立った。


「おい、向井さん。なんか飲み物買いに行くぞ」

「え?なんで飲み物?わたし今ココア飲んでるもん」

「いーから!ついて来てって」


 向井さんの腕を掴み無理矢理立たせた新島くんは、半ば引き摺るようにして歩き始める。目の前にあるカフェを無視して、どこに飲み物を買いに行くというのだろう。新島くんの不器用すぎる気遣いに私は思わず笑みを浮かべた。久しぶりに心がほわりと温かくなる。しかしそんなものは一瞬で、その場に残されたセナくんと私の間に微妙な空気が流れれば、途端に心は暗く沈んだ。


「……ごめんね、向井さんにばっかりかまって」


 セナくんは申し訳なさげに眉尻を下げ、私の隣に座り直した。自覚はあったのか、と驚いたと同時にそれがセナくんの気持ちの答えな気がして悲しくなった。


「……沙耶香ちゃん、泣かないで」

「、だって、……セナくん、別れたくないっ、」


 ふわりとセナくんの香りが強くなって、抱きしめられたことに気がついた。久しぶりのセナくんの香り。やっぱり他の誰にも渡したくない。その感情のままにセナくんの背中に強く腕を回せば、クスクスとセナくんの笑い声が聞こえた。


「今日、僕んちおいで」

「っえ、いいの?」

「?どうして?沙耶香ちゃんは僕の彼女でしょ?」


 当たり前とように告げられたその言葉に安心して、さらに涙が溢れた。





 新島くんと向井さんと別れて、私は本当に久しぶりにセナくんの家へお邪魔した。「まだ帰りたくない〜」と駄々を捏ねていた向井さんを連れ帰ってくれた新島くんには、本当に感謝だ。

 セナくんの部屋で緊張に身を硬くした私の心をほぐすように、セナくんは優しく口づけを落とてくれた。きゅん、と胸が締め付けられて、もうそれだけで今までの辛いこと悲しいこと全部忘れられそうだ。


「セナくん、好き、好きなの」

「そうみたいだね。かわいいね、ほんと」

「お願い、私のこと捨てないで、私、セナくんがいなくなったら、」

「捨てるわけないでしょ」


 私の懇願を聞き終わる前にセナくんはその可能性をきっぱりと否定した。この頃にはセナくんの隠し事や本性なんてもうどうでもよくなってて、私はただセナくんに捨てられたくない、それだけを願っていた。


「かわいい、大好き、僕の沙耶香」


 背中に口づけをしながら、セナくんは後ろから私を貫く。深く押し込まれたことで下腹部に痛みが走った。


「……っ、うっ、」

「痛い?」


 私の体を気遣うみたいに、セナくんの大きな手のひらが子宮辺りをすりと撫でた。痛くない、痛くても大丈夫だから、このままもっとして。そんな意味を込めて頭を左右に振れば、セナくんの嬉しそうな笑い声が背後から聞こえる。


「俺のが入ってる」

「っあっ、んっ、セナくんっ、」

「ぜーんぶ俺のだ、沙耶香はぜーんぶ俺の」


 セックスの熱に浮かされているのか、セナくんは何度も同じ言葉を呟いた。私の身体にその事実を教え込むように深く突くセナくんと、その痛みに苦悶の表情を浮かべる私。痛みに腰が少しでも逃げれば、セナくんはすぐさま腰を引き寄せて一層激しく突いてくる。まるで痛みに耐えている私を弄ぶような行為。痛みに耐えることこそが愛の証だと刻みつけているみたいだ。


「好き?俺のこと好き?」

「んっ、好きっ、好きぃ」

「俺も、俺も沙耶香ちゃんのこと愛してる」


 一際腰を強く打ち付けて、セナくんは熱を吐き出した。




 情事後、ベッドの上で寛ぎながら私は幸せを噛み締めていた。そんな私の髪を繊細な手つきで撫でながら、セナくんも幸せそうに微笑んでいる。


「私、幸せ」

「僕も幸せだよ。ここんとこ仕事忙しくてさ……冬休み中もあんまり会えないと思う」


 ごめんね、と言ったセナくんの瞳が悲しげに揺れた。


「それは仕方ないよ!お仕事応援してる!」

「……うん、ありがと」

「セナくんが私のこと好きでいてくれたら、それだけでいいの」

「ふふ、それなら大丈夫。何があっても僕は沙耶香ちゃんを愛してるから」


 蕩けた笑顔はやはり私のものだ。誰にも渡さない。そんな気持ちでセナくんへキスをした私に、セナくんの瞳が意味ありげに細まった。セナくんへの愛が盲目的なものになってしまった私が、その瞳の奥に隠された感情に気づけるはずはなかった。

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