EP12.セナくんはずっとセナくん
瀬名くんがセナくんとして登校したその日の私の学校生活は、今のところ平穏であった。なにせみんな私などに興味がないのだ。日村さんだって、その取り巻きだってセナくんに夢中。
「正木さん、数学のノートなんだけどさぁ」
教卓の上に重ねられた数学ノートの数を確認していた私に、一人の男子生徒がおずおずと話しかけてきた。
「高木くん……まさか、」
「ほんとーにごめん!まじでごめん!忘れた!」
予想通りすぎてもう呆れもしない。高木くんはいつもいつも提出物を忘れるのだ。もう恒例行事みたいなもの。
「またぁ?毎回毎回よく忘れられるね。自分で先生に言ってよ?」
「はい、それはもう、ほんとすみません……」
シュンと肩を落とした高木くんが、「あ、俺が持つよ」と分かり易く媚びながら、私が抱えた数学ノートに手を伸ばした。
「いいよ、持てるし。それより先生に謝る練習でもしとけば?」
「練習しなくてもいいぐらい謝ってきてるから」
自慢にならないことを得意げに話す高木くんに思わず嘲笑を向けてしまう。
「あのさ、そんなテキトーなことばっかしてると信用なくすよー?」
的確な忠告に高木くんは一瞬言葉を詰まらせて、「手厳しいね」と乾いた笑みをこぼす。笑ってる場合じゃないから、とはさすがに言わなかった。
「早く行こー?」
「うん。あ、やっぱそれ俺が持つよ」
「えー?いいって、大丈夫だから」
「じゃあ、僕が持とうかな」
突然ぬっと現れた人物に私と高木くんの時間が止まる。どっちが持つとか本当にどうでもいいことで押し問答していた私たちの前に現れたのは、セナくんであった。さっきまで女子たちに囲まれていたのに。横目でこちらを見ていたのだろうか。
「それ、学級委員の仕事でしょ。僕に貸して」
いや、セナくんが廊下を歩けばややこしいことになるから教室で大人しくしてて。それが素直な気持ちだったが、満面の笑みを浮かべたセナくんに手を差し伸べられて断れるはずがなかった。
「あ、りがとう」
「ん?当たり前でしょ」
クラス中の視線がまた私に向いている気がする。それは私とセナくんの距離が近いからだ。「じゃ、行こっか」と言ったセナくんの手が不必要に私の頭を撫でたからだ。まるで"この子は僕のものだよ"と、"僕はこの子のものだよ"と群衆に見せつけるかのような、ねっとりと情愛を含んだ手つき。教室中が嫌な沈黙に包まれて、私はまた息の仕方を忘れてしまった。
職員室へ向かいながら、セナくんと高木くんは一つ二つ言葉を交わし始めた。提出物って忘れちゃうよね、とか、忘れないためにはこういう方法がいいよ、とか。ユーモアと共感を交えながら適切なアドバイスを行うセナくんは、今までの瀬名くんとは似ても似つかない。
高木くんに小言を言う数学の先生にもセナくんはフォローを入れて、その場を丸く収めた。「瀬名がそこまで言うなら」と先生から言われるなんて、信頼の証、最高の褒め言葉。それは今までコツコツ真面目に頑張ってきた瀬名くんの人徳、功績なわけだ。そんなセナくんに高木くんは感謝しっぱなしで、この短時間でセナくん信者になったみたいに瞳を輝かせている。
「マジでありがとう、瀬名!俺頑張るよ」
「いやいや、全然。高木くんなら出来るよ」
眩しいほどに爽やか。目が眩みそうな笑顔に息を呑んだのは高木くんだけではない。私はもちろん、廊下で遠巻きに見ていた生徒もだ。小さな悲鳴までも聞こえてきて、その破壊力の高さを物語っている。
「瀬名……お前モテそうだなぁ……」
ついポロリと漏れ出た高木くんの本音に、それが聞こえる範囲にいた全員が"モテそうじゃなくて、事実モテるんだよ!"と心の中で突っ込んだ。
「そうかな、ありがとう」
「いやー、まじでカッコいい」
「改めて言われると照れるんだけど、」
「瀬名って彼女いるの?って、そりゃいるかぁ!」
その言葉にどきりとする。他の生徒は予鈴が鳴ったので着席していて、教室に戻った私たちへと視線が集まった。
「彼女ね、いるよ〜」
そんな中でのセナくんの爆弾発言にクラス中が騒つく。早く早く、先生入って来て、と必死に頼んだ私の懇願は受け入れられず、先生のスリッパの音の代わりにセナくんのよく通る声が教室に響いた。
「良い機会だから紹介しておくよ、僕の彼女の正木沙耶香ちゃん」
僕のものだから、誰も手を出さないでね。だなんて、私の腰を抱きながら、"そんなこと心配する必要なんてないから!"という言葉を吐いて、セナくんは楽しそうに笑う。シン……と静まり返った教室に「えー?俺だって沙耶香ちゃんのことが好きなのにー?」と、挑発する新島くんの声が不気味に落とされた。
▼
翌日、正確にはその日の放課後には噂は瞬く間に広がり、私へ不躾に投げつけられる視線はさらに数を増した。
「沙耶香ちゃん、ほんとは僕ずーっと言いたかったんだ」
みんなに沙耶香ちゃんが誰のものなのか知ってもらえて嬉しい、と無邪気に笑うセナくんの横で、私はこれからのことを想像して気を重くしたのが一週間と少し前。そんな私の心配とは裏腹に、セナくんが私に接する態度で特筆するようなことはなかった。
絶対に何か企んでいるのだ。訳の分からないことを仕掛けてくるかもと身構えていたが、拍子抜けする程に普通。そりゃ他のクラスメイトたちに比べると少し気にかけてくれてるかなー?とは感じるが、本当にその程度。そんな態度のお陰か、セナくんの評価は鰻登りだ。瀬名和泉は彼女だけでなく、どんな人にも平等に優しいと。顔だけでなく心まで美しいと。
反対に私を困らせているのは新島くんだった。今まで私に全く興味なんて示さなかったくせに、急にベッタリと接してくるようになった。初めこそ訝しんでいたが、何度拒絶しても懲りずに構ってくる新島くんに、今は諦めにも似た感情を抱いていた。
「ねぇ、何企んでるの?」
「まーたその質問?純粋に沙耶香のこと気に入ってるだけって言ったじゃん」
嘘だ、絶対に裏がある、と思っていたのに、新島くんの人懐っこい笑顔を見せられると、何も言えなくなる。いつの間にか呼び捨てに変わっているし、休み時間ごとに私の側に来る新島くん。そんな私たちを見た周りの女子たちは軽蔑の視線を寄越し、ヒソヒソと陰口を叩いていた。
そりゃ気になるし、やり難いなぁとは思う。だけど、私はやましいことなど何一つしていないのだ。一方的に纏わりついてきているのは新島くんだし、それに私はその度に「離れてよ」と拒否している。見る人が見れば被害者だと分かってくれるだろう。し、何より今まで散々正しいことをしてきた私が、そんな人の道から外れたこと(この場合は二股や人の彼氏にちょっかいをかけることだ)をするはずないと、いずれ理解してくれるだろうと思っていた。それまで少しの辛抱だと本気で思っていたのだ。
「紗良!今日部活ないなら一緒に帰ろ?」
このところ急に余所余所しくなった紗良に声をかけた。紗良はなんとも言えない表情で少し悩んだ後に頷く。
「でもいいの?瀬名くんと帰るんじゃないの?」
「今日は新島くんたちと遊ぶんだって」
久しぶりに紗良と下校する。「どっか寄ってくー?」と明るく聞いた私に、紗良は「うーん、そうだねぇ」と歯切れの悪い返事を寄越した。
寄り道したカフェで季節の限定ドリンクを頼んで席に座る。クリスマスまでにはあと1ヶ月半ほどあるというのに、注文したドリンクはすでにクリスマス仕様だ。
「かわいいね、クリスマスだよ」
「ほんとだ、美味しそうだし」
「ね。まぁ私たちはその前に修学旅行だよね」
あと数日後に迫ったイベントの話題を出せば、紗良は「楽しみすぎてヤバイ!」と声を弾ませた。そんな彼女を見て、ここ最近感じでいた余所余所しさは杞憂だったかなと胸を撫で下ろす。他のクラスメイトにはどう思われようと、どんな悪口を言われようと、気にしないようにしているが、それが紗良となれば話は別だった。
「自由時間が楽しみだよね」
「…………、」
「紗良?」
不自然に黙り込んだ彼女を不思議に思い、俯きがちに伏せられた顔を覗き込めば、思い詰めた表情が見えた。
「あ、あのさ」
意を決して口を開いた紗良の声に嫌な予感がする。どくんどくんと鳴る心臓の音が耳のそばで聞こえる。
「沙耶香は瀬名くんと新島くんと回った方がいいんじゃない?」
「……え、なんで?」
「なんで?ほんとに分かんない?沙耶香って瀬名くんと付き合ってるんだよね?」
興奮で紗良の声が徐々に強く大きくなっていく。私はそれに何と返事をすればいいのか分からなくて「一応?」と、不明瞭な答えを返した。
「……なにそれ?」
その一言に、紗良の感情の全てが乗せられている。憤りを通り越して最早呆れているようだ。だけど私とセナくんの関係は言葉通り「一応付き合ってるのかな?」と表すことが相応しいのだから仕様がない。
2人で会うこともなく、夜の電話も頻繁に交わすメッセージもない。たまに下校を一緒にするだけ。しかもキスやエッチはおろか、手を繋ぐだけの触れ合いもないのだ。"別れよう"という意思確認がないから付き合っているはず。そんな関係なのだから、"一応"と答えた私は正しい。
「あんな素敵な人に愛されててその態度?」
「え?紗良は何に怒ってるの?」
「……沙耶香は新島くんのことが好きなの?」
「まさか!ないない!私が新島くんのこと好きだとか、ないから!」
微妙に噛み合わない会話。力強く何度も否定をした私に、紗良は大きな溜息を吐いた。
「あのさ、アリサが新島くんのこと好きなの知ってるよね?」
アリサとは日村さんのことだ。紗良ってば、いつの間に日村さんを"アリサ"と呼ぶような仲になったのだろう。
紗良の問いかけに「まだ好きなんだね」と率直な感想を漏らせば、呆れたように「沙耶香のやってること最低だよ」と責められた。
「待って待って!私が最低?どこが?」
「彼氏がいるのに他の男の子と目の前でイチャイチャしてるとこ」
「そ、それは……」
「好きでもないのに思わせぶりな態度をしてるとこ。知らず知らずにアリサを傷つけてるとこ」
一気に言い切った紗良は「あたし帰るね」と席を立とうとする。私の反論を聞く気はないようだ。
「私も困ってるんだよ!いくら拒否しても新島くんが近寄ってくるの!」
必死な弁明を聞いた紗良は憎々しげに鼻で笑う。
「ごめん、正直"モテてる私"を楽しんでるようにしか見えない」
「……そんな、ひどい……」
「そうかな?沙耶香って結局自分のことばっかじゃん?」
渾身の捨て台詞を吐いた紗良が私に背を向け去って行く。
私のどこが、モテてる私を楽しんでて、自分のことばかりを考えてるの?そんなわけないじゃん。紗良は全然分かってくれてなかった。私が今までしてきたこと。私の性格。全然分かってないじゃん!
悔しくて悔しくて、虚しくて、馬鹿らしくて、涙を流すことが勿体ないとまで思った。
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