EP6.セナくんは歪んでる
私がインターホンを押す前に「待ってたよ」と、セナくんは部屋へ迎え入れてくれた。
「会いたかった〜。僕、沙耶香ちゃんに会えなくて死ぬかと思ったよ」
大袈裟だと思うでしょ?普通なら「何言ってんの?」と2人で笑い合うところだろう。だけどセナくんの空虚な瞳が、私を見た途端にキラキラと息を吹き返すのを見れば、それは強ち嘘や誇張ではない気がしてくる。
「私も早く会いたかった」
会えない日もセナくんはかなりマメに連絡をとってくれていた。仕事や学業で忙しいだろうに、どこにそんな時間があるの?と心配で、ある日の電話中に「私のことより睡眠や休息を優先してね?」と気遣えば、『僕の最優先すべきものは沙耶香ちゃんとの時間だよ』と甘く囁いてくれたことが嬉しかった。
「僕の方が会いたかったよ」
「えー?絶対私だよ」
だなんて、友達にも家族にも聞かせられない会話を続けながら、セナくんは合間合間に私へ口づけを落とした。
「んっ、待って、んっ」
「だーめ、んっ、待たない」
私のファーストキスは、この前ここに来たときにセナくんへ捧げた。さほど大切にしていなかったのに、いざ唇を合わせれば"これが私のファーストキスかぁ"と感慨深く思った。
情熱的かつ積極的なセナくんなら、一度と言わず何度でもキスをしてくると思っていたが、その日はたった一度きり、それも初歩的な軽いキスのみであった。指を使って私の舌や口腔内を好き勝手に蹂躙していた人らしからぬ行いに、「もうしないの?」と聞けば、「キスだけじゃ足りなくなるから」と恥ずかしそうに唇を尖らせたセナくんが愛しかったこと。まだ記憶に新しい。
"何度もキスをすればそれより先に進みたくなる"と我慢していたセナくんからの、数え切れぬほどの口づけ。それを受けながらソファに押し倒されて、私はいよいよかと目をゆっくりと閉じた。
「期待してる?」
馬乗りの体勢になったセナくんは息のかかる距離でそう囁いた。その言葉に羞恥心を煽られ、否定しようと咄嗟に目を見開けば、私の眼前には勝ち誇ったようなセナくんの笑顔。
あ、私ダメだ……絶対セナくんに逆らえない。そんな風に心の柔らかい部分に刻みつけられた心地になって、ぶるりと身体を震わせた。恐ろしいのはそれが少しも嫌ではないこと。細胞全てを作り変えられる予感は、ただの悦びでしかない。
「セナくん……私、」
「かわいいね。怖い?震えてる」
セナくんの指先が愛おしそうに私の目尻に触れる。そうして初めて、私は自分が泣いていることを知った。
「怖くないよ。怖いのは、」
「……怖いのは?」
「セナくんがいなくなること」
馬鹿みたいだと笑ってくれて構わない。だって私ってば、セナくんのことちっとも知らないのに。本名だって、通ってる高校だって、何が好きで何が苦手か、何を悲しく思い、何に心動かされるのか、今のセナくんのことも今までのセナくんのことも何も知らない。きっと彼のファンの子の方が色々と詳しいだろうという自信さえある。
それでも私はどうしようもなくこの人が好きだ。恋は理屈ではない。何かの映画で"恋はするものではなく、落ちるものだ"と言っていた。今ならそれがよく分かる。私は恋に落ちたのだ。彼に堕ちたのだ。
「……分かるよ、僕も同じだから。沙耶香ちゃんがいなくなれば、僕の世界もそれで終わり」
「……好き、セナくんが好き、」
「僕もだよ。地獄の果てまで一緒だよ」
にこりと笑ったセナくんはあまりに美しく、天使や女神のようで。万が一彼が道を踏み外し、地獄行き決定の行いをしたとして。それでも、側に置いておきたい、手放したくないからという私利私欲の為に、神は彼を天国に招くのではないか。
「愛してるよ、沙耶香ちゃんの全部。きみは僕のものだ」
それなら神は、私のこともお情けで天国へ招いてくれるだろうか。
セナくんは角度を変えながら私に何度も口づけを落とした。「舌出して」とお願いされて素直に従えば、彼の舌先でそれをくすぐられて腰辺りがビクビクと痙攣を始めた。無意識にスリスリと膝同士を擦り合わせれば、締め付けられた秘部に甘くもどかしい快感が走る。それを目敏く見つけたセナくんの指先が、触れるか触れないかの絶妙なタッチで私の太腿辺りを何度も往復した。
「セナくっ、んっ」
「あー、やっば、めっちゃ興奮してきた」
いつもより荒い口調にさえどきりとするなんて、余程重症だ。早く触ってほしい、もっと触ってほしいと、セナくんの首に腕を回してキスを強請った。私の気持ちを瞬時に汲み取り、唾液を交換し合うような深いキスをくれたセナくんは、彼の硬くなったものをズボン越しに私の秘部に擦りつけた。その瞬間快感の渦に飲まれて目の前がチカチカと弾ける。なにこれ、なにこれ、今でこんな気持ち良かったら、これから私どうなっちゃうの?と、不安と期待が入り混じる。
どうにかなってしまえば戻ってこれなくなりそうで、それでもどうにかなってしまいたくて。だけどそれを自身で決めるのは恐ろしい。
「ごめんね、俺がもう止めらんねーわ」
恐怖に躊躇する私の心までを暴いて、それでもなおセナくんは先へ進もうとする。セナくんがそれを望むなら、私はただ従うだけだと、決定権を放棄して彼に明け渡した。
「大丈夫だよ。怖くなんてないから」
セナくんは私を包み込むように、出会ったあの日そのままの笑顔を見せた。それはこの世の全てを従えるほど圧倒的な花のかんばせ。私は自然と表情を緩め、永遠の誓いだと思えるほどの温かい口づけを受け入れた。
そんな2人だけの世界を前触れなく壊したのは、誰かの「入るぞー」という声と、少しの躊躇いもなく開けられた扉の音であった。
セナくんは声だけで誰だか分かったのだろう。「はぁ」とあからさまな溜息を吐いた後、ガクンと首を前に垂れた。
「おー?わりぃ、いいとこだった?」
突如侵入してきた彼ーー声で性別は分かったーーは、心のこもっていない謝罪を口にする。玄関に明らかな女物の靴があったと思うけど?!と、私は眉を顰め不快感を素直に表した。しかし今はそんなことより、微妙にはだけているトップスと捲れ上がっているスカートを直すことが先決だと、それらを慌てて整える。
「来るなら連絡入れろよ」
「やー、マジでごめん!……彼女?それともテキトーに引っかけた女?」
「……彼女……紹介するよ」
「……わりぃって!ん?あれ?あれー??」
服を整えた私は、起き上がったセナくんに倣いソファに座り直した。そんな私の姿を捉えた突然の侵入者、もといセナくんの友達は「あれれー?」と、わざとらしい声を出しながら私の顔を覗き込む。そんな無遠慮で失礼な彼の顔を確認した瞬間、驚きで息が止まった。え、なんであんたがここに居るの?と、私の表情が訴えていたのだろう。
「俺ら仲良しだからよく遊んでんの。ね?セナ」
私の疑問に答え、セナくんの友達、もとい新島伊織は値踏みするようなニヤニヤとした視線を私に寄越した。
「……なに?お前ら知り合いなの?」
私と新島くんの間に流れる微妙な空気を感じたセナくんが、ほぼ確信を得た口振りで問いかける。私はそれに肯首し、クククと含み笑いをする新島くんは「クラスメイト〜」と、ざっくりとした関係性を口にした。
「へぇ、沙耶香ちゃんも千種高校だったんだ」
と今さら知った事実に、セナくんは眉を上げて驚いた。
「そーそー、しかも委員長してるんだよねぇ?」
「いいね、沙耶香ちゃんにピッタリじゃん」
「お前も思う?俺も"沙耶香ちゃん"にピッタリだと思うわ〜」
新島くんのそれは私のことを馬鹿にしているような口振りだ。しかしセナくんの手前、私はじっと大人しく座るに終始するしかない。
「……俺も沙耶香ちゃんと一緒の高校行ってたらよかったな」
ぽつりとこぼしたセナくんの言葉に、うんうんと首を縦に振って同意してみれば、新島くんが「ぶはっ」と吹き出した。……ほんとなんなんだろ?嫌な感じ……と、じとりと睨めば「ごめっ、なんでもねーから続けて?」と都合が良すぎる答えが返ってきた。セナくんも「お前なぁ……」と新島くんに呆れ気味だ。
「こっわ〜」
とは、一体誰に向けられた言葉だろうか。新島くんの視線の先に私がいることを考慮すれば、答えは明白だけれど。横目でずっと睨んでいたせいだろう。
「てかセナ、"沙耶香ちゃん"って呼んでんだ?キャラじゃねーな」
「……うっせーな、お前マジで黙れ」
新島くんがセナくんの言葉遣いを"キャラじゃない"と揶揄う。たしかに、なるほど。私へ向けられてきた口調と新島くんへのそれは、まるで違う人が発言しているみたいだ。それに一人称も変わっていることを考えるに、ほんとのセナくんってこんな感じなのかな、と思った。まさか新島くんみたいにチャラチャラしてないよね?と、不安にもなった。
と同時に、私って本当にセナくんのこと知らないんだな、って。そんな今さらな現実を突きつけられて。だけどもう好きになっちゃってる。今さらこの気持ちを無かったことにはできない。それなら今からたくさん知っていけばいいかって、これは楽観的すぎなのかな。
「ねぇ、2人って何繋がりなの?」
ふと湧いて出てきた私の疑問に答えたのは新島くんであった。
「撮影現場で会ったんだよな」
「そうだね。同い年だし、割とすぐに仲良くなったよ」
あぁ、そっか。新島くん読者モデルしてるんだもんね、と納得する。
「ってかさ!俺らのことより学校での沙耶香ちゃんのこと聞きたいな!」
「えっ?学校での私?別になんもないよ?普通に授業受けて、友達と喋ってるだけだもん」
モデルの世界の方が余程非現実的で興味がある。
「変な男に気に入られてない〜?ほんと心配」
「ないないない!ほんとないから!」
「こんな可愛いのに?!信じらんないなぁ。伊織、ほんとのとこどうなんだよ?」
「あー、最近仲良しの奴いるじゃん?な?」
「えっ?!ちょっと新島くん!変な冗談言うのやめてよ!」
話題はいつの間にか、セナくんの望むように学校での私の事へと移ってしまった。そんなに自分の話をするのが嫌なのかな?と、心にモヤモヤが広がる。私に何か隠してることでもあるのかな?それとも誰にも言えない大きな秘密でもあるのだろうか。
そんな風に不安になってぎこちない笑顔を浮かべていたらしい。私のほんの些細な変化を捉えたセナくんは何を勘違いしたのか、途端に無表情になった。
「なに、その顔。まさか本当にいい感じの男がいるの?」
熱を無くし窺うように細まった瞳が、鋭く私を射抜いた。一気に張り詰めた空気に、ついさっきまでケラケラと私を揶揄っていた新島くんまで黙る。今黙ってないですぐに否定してよ!と、新島くんに八つ当たりしたいほどだ。
声が出せないのは恐怖によるものだろうか。心当たりのないことで責められているのに、まるで刑事に追い詰められた犯人のように視線が泳ぐ。
「いるの?僕以外の男」
それはどっち?居る?要る?
瞬時に思考を巡らせたが、どちらにしても答えは否だ。しかしそれを導き出す前に、私の頭は自主的に首を左右に振っていた。命の危機を感じた故の防衛本能かもしれない。
「そう、良かった」
「……もしいたらどうすんだよ?」
無事に終わった話を蒸し返さないでよ!と、新島くんを睨んだが、その言葉がセナくんに届いてしまった今、いくら睨んでも仕方がない。
「もしいたら?えー、そんなん今すぐ閉じ込める」
「……え?」
「沙耶香ちゃんのこと縛って、ここに閉じ込めて、僕以外に会えなくする」
セナくんの白く長い指が、私の手首をなぞる。手首を縛る、ということだろうか。私はゆっくりと動く指先を追いながら、なんとも言えない感情に支配されていた。怖い、だけど、嬉しい。嫉妬の大きさはセナくんからの愛情の深さだと思った。
「ほんとはすぐにでもそうしたいのに。僕、我慢してるんだよ?」
小首を傾けて、私を慈しむような笑顔を見せたセナくん。怖いよ、重いよ。だけど、私愛されてる。私って、あのセナくんに愛されるほど価値があるんだ。
ぶるりと身体が震えたのは、歓喜の感情が溢れたからだ。
「いや、お前こえーから」
どうやらこの場にいるまともな感覚の持ち主は、顔を顰めた新島くんだけみたい。
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