#8 「桃色」×「ガイコツ」×「ぬれた運命」=「純愛」

「それで? 態々こんな所まで来て妾と盃を交わそうとは、一体どんな魂胆じゃ」

 薄らと浮かべた笑みを崩さぬまま、その女は男を睥睨する。手に持った平盃にはなみなみと酒が継がれており、その額には一本の角が生えている。―――鬼。馬鹿笑いしながら辺りを飲み歩き回る有象無象の鬼共を意にも介さず、それらの王である彼女は見世物でも見るかのような目で男を見据えていた。相対する男はすっと背筋を伸ばし、しかし尚も震えている。無理もない。ともすれば戯れに、あるいは酒の肴にその首を引き抜かれても可笑しくない状況である。男は暫く押し黙ったのち、ゆっくりと口を開いた。

「向こうの川を越えたところ、あそこの街を襲った時のことを覚えてるか」

「覚えているともさ、お主があすこの用心棒をしておったこともな。すると何じゃ、仇討ちにでも来たか?」

 余程面白そうに、鬼の女はくつくつと笑う。ただ一人で鬼の巣窟に乗り込んできた蛮勇を嘲笑ってのものなのか、或いは単に物珍しさからか。その表情からは未だ真意を読み取れない。盃が空いたのか、酒瓶を取り出してなみなみと注いでいる。あの真白な盃はさては髑髏かと、男はぼんやりとそう思った。


 数日前、男の住むその街は鬼の餌食になった。

 鬼の襲撃に何故というものはない。強いて挙げれば、旨い飯が近くにあったから。それなりに喧嘩のし甲斐があるから。ただそれだけ。それだけの圧倒的な理不尽を前に、男の街は一夜にして廃墟と化した。男は腕の立つ門番であったが、運悪くこの女王と刃を交えたために気を失い、気が付いた時にはすべてが終わっていた。男衆はみな打ち殺され、女子供は文字通りに食い物にされた。現にいま、鬼の女の傍にはどうやら人型の様なもの―かすかに見える髪飾りは、斜向かいのところの娘だろうかーが、喰い欠けのまま残っている。鬼の女がそこから一つ赤黒いものを掴むと、ぶちり、と喰らい飲み込む。それを盃の酒で流し込むのを見届けると、男は再び口を開いた。


「あの時、鬼共が来たとの知らせを聞いて、俺は一目散に駆け出した。鬼と打ち合うのは初めてだが、この街を荒らす連中ならば残らず退治してやろうと意気込んで、報せのあった方に走っていった。走って行ったが、辿り着いた時には既に何人かが殺された後だった。道には屍が転がり、そこらじゅうに血しぶきが張り付いていた。その真ん中に立っていたのがお前だ。返り血を浴びて月光を照らすお前を見て、俺は」

 そこまで一息に言いきって、男はしばらく押し黙る。はて絶句したか、あの光景を思い出して吐き気でもしたか。そう思って鬼が男を見やっていると、しばらくして鬼の方をすっと見て、言い出した。

「俺は、お前に惚れた」

 絶句したのは鬼の方だった。


「惚れた? 妾にか。正気か?」

「正気なわけがあるか。人間を斬り捨て喰い殺す鬼に惚れるなど、どうかしている。だがあの夜、人を斬るお前に俺は惚れたのだ。文句あるか」

 呆気にとられて鬼の女は男の方を見る。未だかつてこの女をここまで困惑させた者がいただろうか。いたかもしれない、間違いなくこんな方法ではなかっただろうが。

「あー、一応言っておくが、人の子と鬼が交わることはできんぞ。血を分けて鬼に変じるくらいの覚悟がなければ、そもそも寿命の違いで話に」

「ならば俺も鬼になろう。どうすればいい、人の肉でも喰らえばよいか」

 呆れて窘めようとした鬼の女を、男がすぐさま遮る。その眼は夜闇を映して黒く、それでいて尚煌々と狂気の光を宿していた。その様子を黙ったまま聞いていた女は、やがてくつくつと、ついには大声で笑いだした。

「くはははは! 成程よほどの酔狂者ときたものだ。一時の気の迷いに任せて人の身すら捨てるか。面白い、面白いぞ。ならばくれてやろう。お主に本当に覚悟があるなら」


 そう言うと、鬼の女はおもむろに髑髏の盃の酒を飲み干した。そこになみなみと濁酒を注ぎ入れると、おもむろに懐から小刀を取り出し、それを己の腕に押し当てた。すっと小刀を引くと、深紅の血がゆっくりと滴り落ち、盃の酒と混ざって薄桃色に染め上げていく。なるほど鬼の血も赤いらしいと思いつつ見ていると、その盃を男に差し出した。

「飲み干して見せよ。それを飲めば、晴れて鬼の仲間入りじゃ」

 そう言われて受け取った髑髏盃を、男は躊躇う素振りもなく呷る。二口、三口と飲み干し、ついに空にしたところで、鬼の女がにやりと笑った。

「よき覚悟じゃ。なかなか筋のいい鬼になりそうじゃのう」

「それで、俺と結婚はしてくれるのか」

「阿呆、そう易々と許すわけがなかろうが。精々口説いて見せよ」


 夜も深まる丑三つ時、改めて盃を交わした。

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