みずのおと
りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。
だから、竜払いという仕事がある。
さほど急を要しない依頼だった。資産家の屋敷の庭に現れた山羊ほどの竜を払って欲しいという。おとなしい竜で、じっとそこにいるだけらしい。
その現場へ向かう途中、かなり幅の広い川に出くわした。近くに橋はかかっておらず、橋のかかっているまで行くと、かなり時間がかかると聞いた。川の流れは穏やかだが、深い場所もあり、歩いて渡るには危険だった。けれど、川には渡し船あるという。
昼下がりの川沿いを行きながら、やがて、その渡し船を見つけた。古い褐色の木船のそばに、老人が待機していた。櫂の具合を確かめているし、彼が船頭にちがいない。
彼は川原の石にこしかけていた。周囲には乗客らしき人はいない。
近づくと老人は、ひょいっ、と、よく焼けた顔をあげた。年齢に対して、まくった袖から見える腕の筋肉もたくましく、指の節も太い。きっと、喧嘩も強い。
「こんにちは、向こうまで乗せていただけますか」
声をかけると、老人は、にか、っと笑った。歯がけっこうない。そして、きっぷよく「あい、いらっしゃいな、お客さん」と、答え返してきた。
では、さっそく、と船へ乗り込む。
「ああ、おっと、お客さん、ちょっとすいません、ごめんなさい、もうしわけないんだがね」
と、手で制され、拍子よく、何か謝罪される。
「はい」と、顔を向けた。「なんですか」
「いねえ、お客さん、ちょっとだけ待っていただけますかねえ、あ、お急ぎでしたら、すぐに、ぴゅんと、向こうへお届けしますがね」
「いえ、さほど急いでは」
「じゃ、ちょいとだけ待っててくださいますかね、もしかすると、ふいっと、他のお客さんが来るかもしれねえんだ、うん」
そう言われ、少し考え気付く。「そうか、一度に何人か運んだ方がたしかに手間になりませんしね」
「おお、さっしてくださり、ありがてえですわ」
船頭はまた、にか、っと笑った。
歯が、三本ないのか。今度は数えてみた。
急ぐ依頼ではない。とりあえず待つことにした。とはいえ、船頭のいうように、他の客がくる気配はない。
ひとまず、その場に立って、水の音をきいて過ごす。川の流れはおだやかで、にごりがなく透明だった。
「あ、お客さん、待っている間、暇でしょう」ふと、船頭が話かけてきた。「あの、もしあれならねえ、待っている間、釣りでもしててください」
「釣り」
「ええ、ほら、あそこ、釣りざおがありますんで、ええ」
指さされた場所には、たしかに釣りがあった。
「では、せっかくなので」と、それを手にする。そして、船頭から、謎のねりっとした餌を受け取り、釣り針にしかける。その後、餌のねり、は川であらった。
釣りざおを構えて、針を川へを飛ばす。丁度いい、石があったので、そこに腰かけた。
そのまま、川に糸を垂らし続ける。しばらく経っても、釣れる気配もないので石を集めて、釣りざおを地面へさして立てて、針を川へ垂らし続けた。
それから、ふたたび水の音をきいた。風や、木の葉が揺れて落ちる音もきく。
静かだった。まるで、いまここに自分存在しないかのように思えてくる。そんな時間のなかにいた。
ほどなくして、船頭が立ち上がった。
「んん、こりゃあ、他は待ってもきませんわ、じゃ、お客さん、船にのってください、お送りします」
「ええ、お願いします」
立ち上がって船へ乗り込む。船頭は櫂を手にしてすぐに出発した。
「どれくらいここで渡し船をされていらっしゃるんですか」
「ええ、もう、四十年ですわ」船頭は笑いながら答えてくれた。「しかしね、この四十年間、一度だって、仕損じて、乗せたお客さんを向こうへ届けられなかったことなんざぁ、ありませんぜ、だんな」
誇りを持ってそれを教えてくれた。
たしかに、船頭の操る船は、ほとんど揺れない。その仕事ぶりで、決して発言に誇張がないことが感じとれる。
そして、船も川の半分ほど来たときだった。不意に気配がして振り返る。
視線を向けると、出発した岸に設置したままの釣りざおが反応していた。何かが釣れているらしい。
「しまった、ごめんなさい、竿を片付けずに」
「いえいえ、いいんですよ、だんな」
船頭が、にか、っと笑った。
その時だった。竿にかった魚が水面に跳ねだ。
なんだろう、見たこともない、禍々しい黄色と黒の水玉が混じった魚だった。名前はわからないが食卓に並んでも、きっと人気は出なさそうな魚類だった。
「ぬ、ぬし!」
とたん、船頭が目を向いて叫んだ。
「あ、あ、りゃああ、わしが四十年間探していたまぼろしのぉ! まぼろしのおおおおこの川の主だああああ!」
船が揺れた。
「や、やつをいつか釣るために、わしは、わしはずっとここでこの仕事をおおおおお!」
そうだったのか。いきなりその設定を知る。
「やつを! やつをおおおお!」
興奮していた船頭が我に返ったように、こっちを見た。
その目を見て何を考えているもわかる。四十年間、かならず客を向こう岸へ届けていたという。しかし、いま、出発した岸にまぼろしらしい魚がかかっている。
彼はとてつもなく、引き返したそうな顔をしていた。
けれど、ここは川の丁度真ん中だった。おれを向こう岸へ届けてもどっては、そのうちにあの魚が逃げてしまう可能性は濃い。
やがて船頭はおれへいった。
「あの、お客さん、向こうに引き返したいので、ここから泳いでいっていただけますか、半額でいいので」
「その発想は嫌いです」
正面から感想を返す。
ただし、ややしのびない。
そこで教えてみる。
「けれど、あなたが泳いであっちの岸まで戻るという、完全に狂った方法もあるのではないかと」
「そ、その手でさぁ、だんな!」と、いって船頭は櫂を放り、川へ飛び込んだ。
ばちゃばしゃと向こう岸へ行く。
とりあえず「おれには救えなかったんだ」と、自身へ言い聞かせてから前を見みる。それから、心の中で決めた。
帰りは、遠回りにしよう。
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