第17話 そのとき歴史は動いたとか
汎界に比べると魔界の国々は王座の交代が激しい。
これは王に個としての――その国における最強の者としての強さが求められるためである。とはいえ、すぐに新たなる強者が現れ代替わりするということは少なく、王が老い、全盛期の強さを維持できなくなったあたりでの交代というのが通例であった。
ティグロッド王国の国王バイゼス。
彼は日々の政務に追われつつも、訓練を欠かさず強さを維持してきた。しかし四十もとうに越えた今、さすがに衰えを感じ、これはそろそろ王座を退く時期がきたのだと感じていた。
もちろん、まだ王位継承権を持つ者たちに負けてやるつもりはないのだが……。
しかし、そんなおり、隣国のジンスフィーグ王国に怪しい動きがあると報告を受けた。
ジンスフィーグ王国のゴーディン王といえば、魔界統一主義であると伝え聞く。
「これは王としての最後の大仕事になるやもしれん」
バイゼス王は警戒を続けていたが、この夏にきてとうとう本格的な動きがあった。
ゴーディン王が軍を率い、こちらへと進軍を始めたというのだ。
バイゼス王は直ちに人を集め、いかにして迎え撃つべきかを話し合い、まさに出陣のための行動を起こすというその日、伝令鳥によってもたらされた情報は、ジンスフィーグ軍が転進して引き返し始めたというものであった。
「大規模な行軍演習だったのではないか?」
本来であれば出陣前の最後の作戦会議になるはずであった場は、このジンスフィーグ軍の撤退がいかなる意味を持つのかを話し合う場となった。
「演習か……。だがそれならば、演習がおこなわれるという情報が出回るものだ。情報が伏せられての行軍など、相手の意表を突くため以外に考えられんぞ」
「しかし実際に撤退している。意表を突きはしたが、それだけだ」
「ふむ、こちらの反応を引き出す狙いがあったのかもしれんな」
「なるほど。予想よりもこちらの反応が早かったのであきらめて引き返した、ということか?」
「いや、引き返したと見せかけ、さらに転進し攻めてくるという可能性はないか? 油断を誘うためであった、と」
なにを狙っての行動であったのかと話し合われるものの、しかし、どれも不可解な行動にとりあえずの理由をつけてみたという推測の域をでない。
軍とは動かせばそれだけで多大な費用がかかるもの。
それだけの損をするならば、その損を埋め合わせるだけの利がなければ道理に合わないのだ。
なにかあるはず――。
もっとなにか、恐るべき企みがあるはずなのだ。
あまりに不可解なジンスフィーグ軍の動き、誰もがすっかり疑心暗鬼になってしまい、その不安に見合う答えを求める。
しかしここで――
「ゴーディン王になにかあったのではないか?」
ふいに現れたひとつの答え。
「なにかとは?」
「例えば……病などといった……」
「それはまた、都合のよい……」
都合のよい話ではあるが――。
そんなことが有り得るのか、と疑問を抱くものの、もしそうであればすんなりとジンスフィーグ軍の行動を説明できる。
そのせいか、有り得ない話ではない、そうかもしれない、と思考が傾いていく。
「ゴーディン王の身になにかあったとすれば、これはこちらが攻める絶好の機会ではないか?」
「確かに。だが飽くまで推測にすぎぬ話だ。それに現状、ジンスフィーグがこちらに直接なにかしたわけではない。これでは攻めるわけにはいかん」
短くない期間、その動向に心身を疲弊させられたこともあり、やり返したいという気持ちは誰もがよく理解できたが、攻めるのはさすがに愚策だ。
「こちらを騙し、攻めさせる企みとしても……これはちょっとややこしすぎるのではないか? 確実にこちらが動くという確信でもなければ、ただいたずらに戦費を費やしただけに終わる。やるならば、せめてこちらに偽りの情報を掴ませるくらいやらねば」
策略の疑いは消えない。
しかしこれでは堂々巡りもいいところ。
いよいよ発想が枯れ、各々黙り込む時間が増えてくる。
そんな時だった。
「……陛下ー! 陛下ー……!」
遠くから聞こえ始めた叫びが会議場へと近づいてきて、やがてそれは扉の向こう側に。
「……何事だ……!」
「……陛下にお伝えせなばならないことが! 緊急事態だ……!」
短いやり取りがあり、すぐに扉が開かれる。
そして飛び込んできたのは衛兵で――
「陛下! 空からゴーディン王が!」
『???』
開口一番、よくわからないことを告げてきた。
居合わせた者たちは、一様に眉間に皺を寄せつつ首を傾げる。
それも仕方のない話であった。
悪戯で飛び込んできたわけではないことはその必死の表情から理解できるが、告げられたことの意味が理解できないのだ。
「落ち着け。もう少し詳しく話してみよ」
バイゼス王が言いつけると、衛兵はどうしたら伝えることができるのかわからずもどかしそうに逡巡したあと、改めて口を開く。
「この王宮の正面大門前に、降ってきたのです、大男が……! その者は言ったのです、自分はジンスフィーグ王国の国王、ゴーディンであると……! こうして現れたのは、国をかけての決闘を陛下とおこなうためであると……!」
『???』
居合わせた者たちは、やはり一様に眉間に皺を寄せつつ首を傾げた。
それも仕方のない話であった。
先ほどよりは報告に内容があり、ちゃんと状況を把握できる説明ではあった。が、しかし、話の意味がわかることと、それを現実のものとすんなり受け止めることができるかどうかは別問題なのである。
話はわかる。
だが理性が理解を拒絶する。
「大男が現れたと」
「はい!」
「で、その大男は自らをゴーディン王と称していると」
「はい!」
バイゼス王は居合わせた者たちの視線を一身に受けつつ、額に手をやって考え込む。
「……?」
だが駄目だった。
わけがわからない。
あまりにわけがわからないので、なにをすべきかが思いつけない。
そんなおり――
「……陛下ー! 陛下ぁー……!」
またしても叫びが聞こえ始め、また別の衛兵が飛び込んでくる。
「陛下! 大変です!」
「なんだ。ゴーディン王を自称する大男の話ならばもう聞いたぞ」
「そ、それが、増えたのです!」
「増えたぁ!? まさか自称ゴーディン王が増えたのか……!?」
これはいよいよ意味不明――かに思われたが、衛兵はぶんぶんと首を振って言う。
「そ、そうではなく、空より黒竜が舞い降りたのです!」
「黒竜だと……!?」
「はい! そしてその黒竜の背より、自らを使徒と称する男、その使徒付きの神官を名乗る猫人の少女、さらには汎界においてかつて王であったと称する死霊人が下り立ち、陛下に謁見を望んでおります!」
「いったいなにが起きているのだ……!?」
自称ゴーディン王だけでもわけがわからないというのに、さらに竜、使徒、そして謎のおまけ。
「ええい、わかった! わからん! ともかく会って判断する!」
もはや伝え聞くだけでは混乱が加速するだけだと、バイゼス王はその者たちに会う決意をする。
ここで考えていて、またさらになにか増えるのではないかという恐怖もあった。
「皆も供をせよ!」
バイゼス王は会議場にいた者たちを引き連れ、この混沌とした状況に終止符を打つべく正面大門へと急いだ。
そして――
「……!」
居た。
確かに居た。
集まった衛兵や近衛兵に囲まれた黒竜、黒髪の男、猫人の神官、死霊人、そして――
「ゴーディン王か」
逞しい大男。
それはまさに伝え聞いたゴーディン王の姿そのものであった。いや、こうして目の前にすると、伝聞では伝わらぬ凄味があり、疑いの余地もなくこの男こそがゴーディン王であるとバイゼス王は理解した。
「(これは……とんでもないぞ。この男、あの竜にも手が届くのではないか……?)」
その国の最も強き者が王となる。
それ故、王には王が――その強さが誰よりもわかるのだ。
敵地にて、大勢に囲まれているにもかかわらず、ゴーディン王はまったく臆する様子もなく涼やかな目を向けてくる。
「いかにも。俺がゴーディン。ジンスフィーグの王にして、この魔界の覇者――犬狼帝となる男だ」
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