第18話 宿代はプライスレス
朝――。
「あん……? んん!? ――あ、そうだ、宿屋だ……」
目が覚めて少し驚いたのは、よほどぐっすり眠ったのか、頭がボケていて自分がどこにいるかすぐには思い出せなかったからだ。
宿泊することになった宿屋――森ねこ亭の一人部屋。
室内はベッド二つ分くらいの広さで、備えつけのベッド、簡素な机とイス、あとちょっとした物置という、何度か泊まったことのあるビジネスホテルに酷似したレイアウト。
感心したのは、ベッドに薄っぺらながらちゃんと綿の敷き布団が敷かれていたことや、その布団や毛布からお日様の匂いがしたことだ。
ちゃんと手入れしてるんだな……お客さん来ないのに。
のろのろと起きだして一階へ向かうと、宿屋一家はすでに朝の仕事を始めていた。
「やあ、ケインくん、おはよう。朝食はもうちょっと待ってね」
親父さんが教えてくれる。
いいね、待っていれば食事が用意されるとか素晴らしい。
とはいえ、ただぼーっと待っているのも退屈だ。
「よし、ここはいっちょ朝風呂としゃれ込むか」
宿の裏手にはちょっとした菜園と、小振りの荷車、あとはもう見るからに使われていない、今や薪置き場と化した馬房がある。
そんな馬房の横にある、こぢんまりとした風呂場。
これは昨日、俺がちゃっちゃと拵えたものだ。
昨日、場の雰囲気に負けて宿泊することになったあと、風呂の有無について確認をとってみた。すると、この宿に風呂はなく、大きな桶を使っての行水ですませるスタイルであることがわかった。
ってかおおよその宿屋はコレであるらしい。
本格的な風呂となると、大衆浴場に足を運ぶしかないようだ。
「ときどき行くんですよ!」
とディアは言った。
「お風呂屋さんはただ大きな風呂があるだけじゃないんです。食べ物を売っているお店や、髪を切ってくれるお店や、肩を揉んでくれるお店とか、いろいろあるんです。楽しいです」
なるほど、元の世界のスーパー銭湯、あるいは健康ランドに近いのか。正直興味はひかれる。そのうち行ってみたいとも思う……が、毎日通うのはさすがに面倒である。
そこで俺は一家の許可を得て、飯釜っぽい五右衛門風呂を作り上げた。即席のため、構造的に薪などで追い炊きできるようにはなっていない。お湯が冷めたら俺が魔法で温めるという、完全に俺ありきな風呂である。そのうち追い炊きできるように改造してもいいが、ひとまずはこれで充分だ。
「食事は人任せでのんびり朝風呂。なんて優雅なんだ」
感動を噛みしめながら、魔法でお湯をざばばーっと出して溜める。さらに薬草や果実の皮で作ったお手製の入浴剤を投入すると、辺りにほんわか良い香りが漂い始めた。
「あ、ケインさん! おはようございます!」
風呂の準備をしていると、ひょっこりディアが現れる。
薪を取りに来たようだ。
昨日はお風呂お風呂と大はしゃぎだった。
好きに使っていいと言ったらちょっと心配になるくらいはしゃいだ。
「あれっ、朝からお風呂に入るんですか!?」
「ふふっ、優雅だろう?」
「優雅ですね!」
おお、ディアにもわかるか、この優雅さが。
いずれはこの朝風呂の準備も誰かがやってくれるような生活になればいいと思う。
「あの……ケインさん、あとで私も入っていいですか?」
「ああ、存分に入ったらいい」
「やったー! えへへー」
即席の風呂は正直しょぼいが、ディアはすっかり気に入ったようだ。
ちなみにラウくん、昨晩はこの風呂に入るのが嫌だと、入浴直前で逃げだしたらしく素っ裸で宿内を駆け回り、それを目撃した俺は座敷童でも現れたのかとびびった。
いったい、なにがそんなに嫌だったのだろう。
謎だ……。
△◆▽
朝風呂後、食堂の大きなテーブルをみんなで囲み、朝食をいただく。
いつもの朝食より豪華だと喜ぶ姉弟。にこやかに眺める夫婦。それはとてもアットホームな風景で……なんだか宿屋と言うより民宿……いや、これはもはや親戚のところに居候しているような……?
「ケインさん、このあとはどうするんですか? わたしでよければ王都を案内しますよ。知っているところだけですけど」
昨日、あれこれ尋ねてくるディアに、俺が森からやってきたお上りさんであることを話した。
そのための提案だろう。
確かに土地勘は皆無、そもそも町の作りがまったく馴染みのない異国どころか異世界の都市だ、考えなしに歩き回れば迷子確定である。
ディアの提案は願ったり叶ったりだが――
「あー、冒険者ギルドに顔を出さないといけないんだ」
ぶっちゃけ行きたくないが、そのうち支部長が突撃してくるに違いなく、であれば自分から行った方がまだ気分的にいくばかマシというもの。
「早く戻れたら、案内をお願いするよ」
「わかりました!」
そんな会話をしつつ、なごやかに朝食を終えたところで俺は冒険者ギルドに出向くことにする。
と、その前に――
「ところで宿代っていくら? ひとまず十日ぶんくらいまとめて払おうと思うんだけど……」
出掛け際、親父さんに尋ねる。
「宿代か……どうしようかな。ケインくんにはたくさん食材をもらったし、水も使い放題にしてもらったし……。うん、しばらくはいいよ。そのうちもらうから」
「ええぇ……」
経営難にもかかわらず宿代を免除された……!
「それにほら、お風呂を作ってくれただろう? 妻も娘も喜んでいるし、むしろこっちがお金を払わないといけないくらいだよ」
「そ、それはちょっと……」
下手に話を詰めていくと、最終的にはお金を支払われかねないと危機感を覚え、大人しく宿代免除を受け入れて話を終わらせた。
いったいどうなってるんだこの宿は。
△◆▽
その後、冒険者ギルドへ向かう俺を、宿屋一家は総出で『いってらっしゃーい!』と見送ってくれた。
サービスが充実しているとは言えないものの、お持てなしのボルテージだけはやたら高く、むしろこちらが気後れするくらいだ。
「なんとかして宿代を支払わねば……」
そんなことを考えながら、俺は冒険者ギルドを訪れる。
そしたら――
「楽して大金が稼げるお仕事なんてありませんからね!」
いきなりコルコルに釘を刺された。
「はは、これは手厳しい」
「手厳しくはないでしょう!?」
コルコルは朝から元気だ。荒くれ者の冒険者を相手する受付嬢ともなれば、これくらいの勢いがないとやってられないのだろう。
「なあコルコル、俺、なんで冒険者になってるんだろう?」
「知りませんよそんなこと! さっさとあちらにある掲示板からできそうな仕事を選んで働きに行ってください! あとコルコル言うな!」
「へーい」
昨日、俺がぶち破ったため応急処置としてボロい板が打ちつけられている壁の横に、等級ごとに区分けされた掲示板があり、そこには文庫本くらいの薄い木板――依頼板が並んでいる。
記入されている依頼内容と報酬額を確認した俺は、うん、と大きく頷いてうめく。
「なるほど、ゴミしかねえわ……」
現在、木級冒険者である俺が受けられる依頼となると、都市内では主に日雇い労働のそれであり、都市外となると薬草採取などと、碌なものではなかった。
「この中で受けるとすれば……散歩がてらの薬草採取か? でもなぁ、ここから都市外までってけっこう面倒だな。飛ぶのは苦手だし。かといって都市内での仕事は、受けても辿り着ける自信がねえ」
都市の詳細な地図でもあれば話は別だが、きっとそんな物は存在しない、あるいは一般には出回っていないのだろう。
「ん?」
どうしたものかと考えていると、階級関係なしのお仕事スペースがあるのに気づく。
常設の依頼のようだが――
「あれ、これって……」
採取依頼のうち、いくつかは手持ちがある。
「なんか妙に報酬もいいが……これ、提出して終わりってことでいいのかな?」
ものは試しと、俺は依頼の一つを手に取ってコルコルの元へ。
「むっ、ひとまず仕事を選んできたようですね」
「うん。でもってはいこれ、指定されてる薬草」
「え?」
依頼板と一緒に〈猫袋〉から薬草――葬送花を一株出して提出する。
この葬送花、とても良い香りのする花で、お茶や入浴剤などに使うため大量に確保してあった。
ちなみに、名前の由来はこの花の特性に関係する。この花はその良い香りで魔獣を誘き寄せ、鉢合わせさせ、その場での殺し合いを誘発させるのである。この花が咲き乱れるエリアは、敗北した魔獣の骨がごろごろ転がっている。もはやホラーだ。なにも知らぬままその花畑を見つけたとき、下手すれば俺もそのお仲間になっていたかもしれないことを思えば特に。
「これでいいんだよな?」
「え、えーっと、えー……」
依頼板と薬草を見比べるコルコル。
やがて――
「しょ、少々お待ちください!」
そう言い残し、パタパタと引っ込むコルコル。
提出した薬草が本当に指定の薬草なのかちょっとした騒ぎになり、この騒動に支部長までのっそり姿を現した。
「ちゃんと来たのはいいが……お前、なにか騒動を起こさないと気がすまないのか?」
「これ俺なにも悪くねえだろ!?」
結局、依頼を出していた錬金術ギルドから人を呼んでくることになり、俺はそのまま待機となった。
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