嬉しすぎるとバカになるらしい
「聖上」
「……うふふ」
「聖上!」
「……うふ、ふふ……ふへへ」
「いい加減になさいっ仕事中ですよッ!!」
ついに雷が落ちました。場所はフェネアの執務室で今日の仕事を読みあげ、よりわけもしてくれていた臣下セツキの雷が浮かれポンチ真っ最中なフェネアを爆撃した筈なのだがこの時ばかりは彼の耳になにも入らない。弛緩した顔で不気味な笑いを零すばかり。
昨日、妻からされたサプライズな贈り物でずっと彼はこの調子だ。だけども、誰にも話していないので誰もかもが「フェネア様、頭でも打ったのかしら?」な感じである。
もうひとりの当事者シオンは食事の席、昨日の夕餉の席ではもういつもの調子に戻っていたが、フェネアのだらしない顔を見て苦笑するばかりで事情を説明しようとはしなかったのである。まあ、それもこれも恥ずかしいから、という理由からだったのだけど。
シオンはフェネアがしたくなればまずファバルに報告するだろう、と見守る気満々でいるがそのファバルも息子の不気味さに若干引き気味でいる。この日は朝議がなかったので臣下全員の前で間抜け面かますことはなかったが、代わりにセツキに叱られまくり。
それでもシオンはフェネアの自主性を重んじ、もとい彼の判断に任せる。フェネアが他のひとにのろけたくなったら言うだろう、とまあそんな感じに叱られまくりの彼を微笑ましく見つめていた。……お味噌汁を目に飲ませようとした時はさすがに注意したが。
それ以外は放置ぷれいなのでセツキもいい加減キレるというものだが、この時のフェネアには響かない。自分と愛する妻の間にこどもができたとあっては幸せお花畑状態に陥るのも必定なのです。まあ、それで城最強説教魔の雷を無自覚無視はすごいけれども。
「なんなのですか? 昨日からいったい」
「あふふ、だってセツキ。だってなぁ……」
「……。とりあえず、他の臣下の前でそのだらしない顔をお見せになるのだけはおやめくださいませ。長らく付き合いがございます私でも引きそうですよ? フェネア聖上」
「では、早急に父上のところへゆかねば!」
「意味不明です。仕事をなさってください」
「大事な、仕事などどうでもいいくらいとても大事な話をせねばならないのだっ!」
「……。その無駄に意味のわからない迫力などを常にお持ちいただきたいものです」
セツキのそれとな~い愚痴とも嫌みとも知れぬお小言をも流してフェネアは執務室をるんるんで抜けだして城の最上階へ向かう。と、珍奇な悲鳴と苛烈な殴打の音が聞こえてきているので今日も今日とてクィース鉄拳の餌食になっている臭い父ファバルに苦笑。
だが、幸せ最高潮に際して父がどれほどフルボッコになっていてもどうでもいい。
「父上、フェネアです」
「お、おお? どうした? ついでに助け」
「いえ。まず怠ける癖をお直しください、父上。ああっと、ええ。そう。そんなものはそうですとも。それこそ、あなたの怠惰な態度はどうでもいいのでお話がございます」
「ちょ、聖上? よろしくないですよ!」
室内からクィースの全力突っ込みが聞こえてくる。彼女は息を切らしている。どうやら今日はいつもよりことさら入念に偉大な筈の主上をタコ殴りにかけていた様子。そういえば先んじて聞こえてきた父の声もげっそりぐったりの上、瀕死っぽい感じだったな。
が、それはいい。究極どうでもいい。横っちょに置いておいて部屋の戸を開ける。
と、主上ファバルの胸倉をむんずと掴んで今にも拳の連撃を繰りだしかねない状態のクィースが目に入ってきた。だが、もう今はなにもかもがどうでもよくて、すべてに幸福フィルタがかかって見えるのでクィースによるファバル撲殺未遂も微笑ましく思える。
「? 聖上? なんでこの状況見てにやけていられるんですか? てか、ご様子が昨日から結構、かなり、いいえもう、だいぶんおかしいんですけど。なにかありました?」
「そ、そうだそうだクィース! 私などよりフェネアの方が万倍おかしいのだからその鉄拳で矯正をかけてやってだな……ああいや、まあそれはいいが、なにかあったか?」
「はい、父上!」
「……やけに浮かれているな。なんだ、久しくシオン様に睦みあいのお誘いでも?」
「いいえ。一切合切ありません!」
――いや、言い切ってしまうのもどうよ?
とまあ、ファバルとクィース、部屋にいるふたりが思考共有しちまったのはしょうがない。例え国を守護せし偉大な鎮守様であれ、愛する妻といちゃいちゃするなんつー素敵なお誘いがないってかなり淋しくないか? どうした、息子よ。齢十九で悟ったのか?
「実は父上、こどもができましてっ!」
「ああ、そうか、なるほど。こどもね。ほう、そうかそれはよか……なんだって?」
「はい。私とシオンの間に子が生まれます」
「……。え? え? ちょ、待てフェネア」
「なんでしょう? ああ、予定日ですか? 今シオンがハリ姫様とオリリア様におおよその予定日を計算してもらっているところですが早くて三月後、遅くても半年後には」
いや、訊いてないし。教えてくれとも言っていない上にちょいと浮かれポンチがすぎるぞ、これ。とふたりが顔を見あわせるものの片や、唖然として片や、目が点状態で。
でも、共通して驚きの告白である。さては昨日から知っていて一日置いてというか幸せを沸騰状態から一応これでも少し落ち着かせて言ってきたな? 道理で。昨日から妙に上の空だし上機嫌だった筈だ。なるほどなるほど。こども、こどもね? ……こども?
目の前にいて上機嫌幸福真っ只中っつー顔のフェネア王は今というか、さっきから衝撃の告白を連発していやしないだろうか? こどもが生まれるというのも充分衝撃だったが予定日が三月後だの遅くても半年後だと言ったぞ。あれ? ひとの妊娠期間は……。
あれ? おかしくない? という主上の部屋にいるふたりのはてなお花畑を察したのかフェネアはにこにこ笑い、むしろ破顔、というのか緩みまくった顔で答えてくれた。
「
「あ、そうなの……?」
「はい。父上、どうしたのですか? 孫ですよ! まさか嬉しくないのですか!?」
「い、いや、嬉しい。嬉しいんだが、脳味噌がどうも回転悪くついていけないのだ。非常に申し訳ないのだが、お前のその異常なノリについていけない。……というかな?」
「そうですか、よかった。お爺様ですね!」
「う、うん……ソ、ウダネ?」
「では、私は仕事をこなしてきますっ! 子に恥じる要素がない父になりたいので」
「そ、ソウ? えーっと、が、頑張ッテ?」
「はいっ! 父上も、立派なお爺様になれるように仕事放りださないでください!」
「あ、ハイヨ」
一種、嵐のように始終にこにこ笑顔で報告を終えたフェネアはことさら嬉しそうににっこりして部屋をでていった。部屋の外、最上階の通路から超絶ご機嫌よろしい鼻唄が聞こえてくるのに部屋に放置されたふたり無言で顔を見あわせてすごく微妙な顔になる。
考えていることはおそらく同じ。ひとって親になると変わるというか、フェネアのはもはや豹変と言っても過言でないくらいの浮かれっぷりだ。比重とか重力すらも無視して水に突き落としてもプカプカ浮き、泳いでいき、そのまま宇宙にまで浮いていきそう。
たいがいにひどいこと考えているふたり。
だが、クィースはまだダメージというかショックが少ない方でヒサメに携帯端末で連絡し、すでに知っているらしいことを聞き、「おめでとうございます」を言っている。そのまま他の友人知人に連絡する役を任されたっぽい。ザラにはヒサメから言うそうだ。
なので、他ふたりへの連絡係だ。承って通話を切ったクィースが見やる先でファバルがなにやらまっちろになっている。あんなにも女苦手だったというのにこどもが生まれるというのがなにか、彼には衝撃的すぎて喜ぶ以上にショックを受けておいでのようだ。
「……。主上、今日はもう休んでください」
「うん。そうする」
猛烈なフェネア嵐で真っ白い灰になっているファバルにクィースもつい同情する。
ファバルも、いつもだったら「今日はこの辺でいいでしょう」を聞くなり万歳するのだが、今はもう、頭真っ白々すぎて平坦な声で応え、その場でバタリ倒れたのだった。
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