第89話

県大会決勝戦の朝。


和人が食堂で朝ごはんを食べていると、おかみさんが和人を呼んだ。

「和くん、和くんに電話よ。なんとか山っていう人からね。」

おかみさんは和人のことを和くんと呼ぶようになっていた。

「なんとか山?相撲取りみたいだな。」

和人はコードレス電話をおかみさんから受け取った。

「もしもし。」

「和人、俺だ。」

「英?」

”なんとか山”は園山のことだった。

「すまない、助けてくれ和人。たった今千波から電話があったんだ。家族でおばあちゃんの家に行くことになったって。そしてもう既に出発している。早く見つけ出さないと大変なことに!」

英は早口でまくし立てた。

「おばあちゃんの家ってどこ?」

守恒山もりつねやまのふもとって言っていた。」

「守恒山ってことは紺屋町辺りか・・・。見つかるかな。で?英もそこに向かっているの?」

「いや、実はタクシー代を持っていなくて、まだ家の中にいる。うちの親、朝早くからゴルフに行ってて留守だし。そういうことだから、頼む和人。俺と一緒に千波を探してくれ!」

「わかった。すぐにそっちへ行く。」

和人は緊急事態を察し眉間にしわを寄せているおかみさんに受話器を返した。

「和くん、何かあったの?」

「うん、いや、大丈夫。何でもないよ。ごちそうさまでした。あ、ちょっと待って。もう一回電話を貸して。」

和人はおかみさんから電話を受け取ると、徹也の家にダイヤルした。


「遅いぞ和人。」

英は和人が乗ってきたタクシーに乗り込みながら言うと、運転手に向かって行き先を説明した。

「そんなこと言ったってこれが精いっぱいだよ。時間は止められないんだから。」

和人はジャケットの右ポケットにあるストップウォッチを思わず握りしめた。

「とにかく、一刻も早く千波を見つけよう。千波の家の車は白のワゴン車。乗っていたのは両親と千波だけ。あ、それと茶色っぽくてよく吠える小型犬が一緒だ。」

「車のナンバーは?」

「そこまではわからない。和人が携帯を持っていれば手分けして探せるんだけどな。」

英は母親からスマートフォンを買ってもらっていたが、和人は持っていなかった。


タクシーは30分ほどで紺屋町についた。

守恒山のふもとといえば紺屋町の他にもあるが、紺屋町以外の地区はうっそうとした林におおわれ、住宅と呼べるような建物はほとんど無い。

二人はふもとへ向かって一番左手の家へタクシーを向かわせ、そこで降りた。

タクシー代は4千8百円。

「俺は道路の右側を注意してみるから、和人は左側を見てくれ。車と犬を見逃すなよ。」

「わかった。」

二人は少し足早に並んで歩いた。

やがてふもとの右端へ着いた。

「それらしい車は無かったな。」

「次はこっちの通りに行こうよ、英。」

英が無言でうなづいた。

次の通りへ、そしてまた別の通りへ。

二人の歩くスピードは徐々に速まり、やがて駈け出していた。

額にはじんわりと汗が浮かんでくる。

紺屋町のほとんどを歩き回ったはずなのに、車と千波と犬は発見できなかった。

「この先を進めばおそらく隣町だ。和人、山のふもとってどれくらいの範囲だと思う?もしかしたら紺屋町の10倍以上を探さないといけないんじゃないのか。」

「それはわからないけど、でも守恒山のふもとっていえばほとんどの人が紺屋町のことだって思うはずだけど。」

「・・・、見逃したかな。よし今度は今来た道を逆戻りしよう。ただし見る方向を変えようぜ。和人が左で俺が右だ。」

「・・・」

「よし行くぞ。おい、和人どうしたんだ?走ろうぜ。」

和人はうつむき加減に林の中をじっと見ていたかと思うと、そちらの方へ歩き出した。

「おい、どこに行くんだよ。そっちには家なんて無さそうじゃないか、和・・・」

「しっ!」

和人が口の前に人差し指を立てた。

「今聞こえたような気がしたんだ。たろ・・・、いや犬の鳴き声が。」

英は聞き耳を立てた。

確かにかすかに聞き取れるほどの犬の鳴き声が聞こえた。

二人はお互いの顔を見合わせ頷くと、同時に走り出した。


曲がりくねった道を100メートルほど行くと、二人の行く手に十字路が見えた。

和人たちが走っている道の両側は広い畑になっているため、その交差点の左右は広く見渡せる。

左先の角に青い瓦屋根が見える。

見えるのは瓦屋根だけ。

屋根から下は道路沿いに並んでいる大きな木に遮られて見えない。

犬の鳴き声はどんどん大きく聞こえてくる。

すると、一匹の犬が青い瓦屋根の家の方から交差点の方へ飛び出してきた。

(間違いない、太郎だ。)

和人がそう思った時、その犬のすぐ後ろから女の子が、・・・千波が走ってきた。

おそらく脱走した太郎を捕まえようとしているのだろう。


太郎が交差点を突っ切って和人たちの方に走って来る。

「おい!だめだ!来るな千波!」

英が声を上げながら千波に向かって両手を大きく振った。

交差点の左側(千波からすると右側)から、黄色いモダンなデザインの車が向かってきている!

おそらく千波からは木の陰になって見えない。

(まさか!)

和人はストップウォッチを出そうとジャケットのポケットに手を入れた。

だがしかし、ストップウォッチはつかんだが、ストラップの金具部分がポケットのほつれに引っ掛かって取れない。

千波は英に気付き少し驚いた表情を見せたが、笑って手を振り返した。

どうやら英の声は聞こえていないようだ。

千波が交差点に差し掛かろうとする時、和人はストラップを引きちぎるような勢いでストップウォッチをポケットから出した。

そして2つの「STOP」ボタンを押す。


和人は歯を食いしばりながら眼をつむった。

(間に合ってくれ!)

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