第86話

和人がクロベエを連れて御萩野寮の近くを歩いていると、門を入ろうとする人影が目に入った。

「走るぞ、クロベエ!」

和人が走り出すとクロベエも走り出し、すぐに和人をぐいぐい引っ張った。

足音を聞きつけた門の人物が振り向く。

鉄平だった。

「やっぱり鉄平だ!いったい、どこに行っていたんだよ。」

和人ははあはあと息を吐きながら、駈けるのを止めゆっくりと近づいた。

クロベエはしっぽを振りながら鉄平にじゃれようとしている。

「どこって、ちょっと散歩してただけさ。ちょっとクロベエ、落ち着けよ、いい子だいい子だ。」

鉄平はクロベエの首のあたりを両手でなでながら言った。

「散歩って、こんな時間にか?」

「悪いかよ、まだ門限前だぜ。」

御萩野寮の門限は午後8時半で、今はちょうどその10分前だ。


鉄平の顔は意外にも、どこか晴れやかだった。

寮の部屋で手紙を書いていた先ほどの鉄平の顔とあまりにも違いすぎる。

「なんだ?和人。もしかして俺を探してくれていたのか?」

鉄平は少し驚いている様子だ。

「ああ、もしかしてお前が自殺でもするんじゃないかって心配していたんだぞ。鉄平が思いつめた顔をしていたって崎山が言ったからさ。でも心配して損した。全然元気じゃないか。これなら・・・おい、ちょっと、鉄平?」

とつぜん鉄平の目から涙が一筋流れた。

そしてもう一筋、今度はもう一方の目から。

「ありがとう和人。お前ってやっぱりいい奴だな。俺、この寮に入って、和人と友達になって本当に良かった。」

和人はこんなに静かに、真剣に話す鉄平を、今まで見たことがなかった。

「やっぱり何かあったんだな。」

「ああ、ちょっとな。」

そう言って鉄平は微笑んだ。

「でも話は寮に入ってからだ。ほら、おやっさんが玄関の方にやってくるぞ。」

「やばい、門限1分前だ。」

和人はクロベエを小屋につなぐと、鉄平に続いて玄関を入った。


和人と鉄平が向かった先は食堂だった。

食事の時間は9時までと決まっている。

「あら、遅いじゃないの二人とも。後はあなたたちだけなんだからね。とっとと食べちゃってよ。」

食堂に入るとおかみさんがすぐにおかずを用意しだした。

和人と鉄平はテーブルに向かい合って座った。

「実は、おれの親父の会社が倒産したんだ、3日前に。危ないかもしれないってことはもっと前から知っていたんだけどさ。」

「えっ?」

鉄平はおかみさんに聞こえるのもお構いなしに話し出した。

「貯金も全部会社につぎ込んだらしい。俺んちはもう無一文だ。」

「・・・」

「だから、高校を辞めて働けって、昨日母さんから電話で言われたよ。」

「・・・」

「和人、そんなにしけた顔すんなって。お前のほうが不幸そうなに見えるじゃないか。」

「でも、・・・どうするつもりなんだ、鉄平。高校を本当に辞めるのか?」

「それしかないだろうって思っていたよ、つい1時間前までは。・・・だけど、あきらめるのは早いんじゃないかって、奨学金をもらったりアルバイトをしたりすれば辞めずに済むんじゃないかって、そう思ったんだ。」

「・・・」

「そう、確かに俺の考えは甘いかもしれない。親だって、そんなわがままを許してくれないかもしれない。でも、でもな和人、俺がんばってみたいんだ。今まで何の心配もなしに高校や大学に行けるって、それが当たり前だって思っていたけどさ。父さんや母さんが毎日毎日一生懸命に働いてくれていたからなんだって、やっとわかったんだ。ガキみたいだけど、こういう身になって骨身に染みたって言うかさ。両親に心から感謝してるんだ。だから、俺、できるかどうかわからないけど挑戦してみたい。なんかうまく言えないんだけど、そうするべきだと思うんだ。」

「よく言った!それでこそ男だよ!」

おかみさんがつかつかと歩いてきて、鉄平の隣に腰かけた。

話の内容によっては聞こえないふりをするつもりだったのかもしれない。

でも今、おかみさんの顔は紅潮していた。

「なあに、やってやれないことはないんだ。私も協力するからね。・・・さあ、食べなさい。まずは食べて気力、体力をつけなきゃ。」

おかみさんは鉄平の茶碗をつかむと、ご飯を大盛りについだ。

そしていそいそと食堂から出て行った。

おそらくおやっさんにこのことを告げに行ったのだろう。

和人と鉄平は、もくもくとご飯を食べた。


鉄平のご飯がすべてなくなり、食器を片づけようと席を立ちかけたとき、和人は鉄平に向って言った。

「俺も応援するよ、鉄平。あんまり役に立たないかもしれないけど、俺にできることがあれば何でも言ってくれ。何でも相談してくれ。」

「ありがとう、和人。」

鉄平は席を立ってじっと和人を見つめ、そして続けた。

「遠慮なくそうさせてもらうよ。何でも言っていいんだよな、・・・さて、何をしてもらおうかな~。そうだ!とりあえずこれを運んでもらおうか。」

鉄平はいたずらっぽく笑うと、自分の食器を和人の前に突き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る