第60話
記念すべき高校生活の第一日目が終わろうとしていた。
御萩野寮では、クロベエが和人の帰りを待っていた。
「ごめんなクロベエ、今日はクタクタだ。」
和人は前足をあげて顔を近づけてくるクロベエの首のあたりをなでてやった。
「別にきつい練習をしたわけじゃないけど、精神的にな、疲れたんだ。散歩はおやっさんと行ったんだろ?」
和人は『またな』というように追いすがるクロベエに手を振り、玄関のサッシをあけた。
寮の中に入るとキッチンからおかみさんの大きな声が聞こえてきた。
「橘君かい?学校はどうだった?友達はできた?」
「初日からすぐには仲良しになれないですよ。でも緑丘の友達と同じクラスだったからラッキーでした。」
「そう、それは良かったわね。安井君もさっき帰ったところよ。すぐにお風呂に入りなさい。」
「はい。」
和人はキッチンの前を通り過ぎ、自分の部屋へ向かった。
1年生の部屋は1階で、2年生と3年生は2階になっている。
和人の部屋は一番奥で、その手前が鉄平の部屋だった。
和人は鉄平の部屋のドアをトントンと叩いた。
「は~い。」
鉄平の疲れたような声がしてドアが開いた。
「鉄平、どうだった?陸上部は。」
「うん、すげえ歓迎ムードで迎えられたよ。ま、入れば。」
鉄平に促されて和人は部屋の中に入った。
「そっちはどうだったんだ?サッカー部は。練習に参加できたのか?」
「ああ、スパイクと練習着を持ってきていた1年生は4人だけだったけど、練習させてもらったよ。」
「サッカー部にはかなりおっかない先輩がいるって聞いたぞ。大丈夫だった?」
「今日見た感じではあまりそんな人はいなかったけどな。自己紹介して、普通にパスやリフティングの練習しただけだった。」
「ふうん、で?和人と徹也ともう一人、英って言ったっけ?その3人の他にもう一人スパイクを持ってきた人がいたわけだ。」
「うん、滝本っていって茶髪だけどすごく上手いやつなんだ。」
「滝本?本山中のか?」
「知ってるの?滝本のこと。」
「俺がサッカー部だったことは言っただろ?滝本は北部では超有名人だよ。藤学に行くって思っていたけどな。」
「やっぱり、そんなにすごいやつだったのか。」
鉄平は少し考えて言った。
「・・・でも人間的にちょっとな。」
「というと?」
「滝本は、周りの選手を信頼していなくて、なかなかパスを出さなかったんだ。自分の技術に自信があったのかもしれないけど、2、3人で囲めば割とボールを奪うことができた。俺、県大会の決勝戦を見に行ったんだけど、味方に文句ばっかり言っていたよ。まるで負けたのはほかの選手が下手だからだと言いたいみたいにさ。和人も少し注意しておいたほうがいいぞ。」
「そうか、わかった。」
確かに滝本の話し方は、少し高飛車なところがあった。
だが、英のプレーを見れば滝本も認めるに違いないと和人は思っていた。
幸い滝本の性格は英も承知していたようだ。
(それにしても、今日の英の話し方は・・・、まるで滝本が西城に入学していることを知っていたかのようだった。というよりも、もしかしたら・・・。)
和人の背筋を冷たいものが走った。
(もしかしたら、英が西城に入ることを決意したのは、滝本が来ることを知っていたからじゃないのか!)
「どうしたんだ?和人、怖い顔になってるぞ。」
「あ?ああ・・・、何でもない。ところで陸上部の練習はどうだった?」
「なかなか気合いが入っていたよ。コーチは大きな声を出して厳しそうだったけど、先輩たちは優しそうな人ばっかりだった。上手くやっていけそうな気がする。あ、そういえば今朝会った女の子、ほらバス停にいただろ?あの子が陸上競技場にいたんだぜ。」
「え?」
「陸上競技場はうちと大浦女子高が使っているんだけどさ、彼女はそっちの陸上部を見学に来てたみたいなんだ。」
大浦女子高校は西城高校と2キロほどしか離れていない。
「で、俺ペコリと頭下げたんだけどさ、彼女気づいていないんだよね。一人ぼっちでいたんだけど、10分くらいしたらどこかに行っちゃった。」
「ふうん。」
「また明日も会えるかな。」
「何、鉄平もしかして好きになっちゃったわけ?」
「そんなわけないよ。でもちょっと気になるじゃないか。なあ、今度会ったら声掛けてみようぜ。」
「俺は嫌だよ。そんなのは苦手だからお前に任せる。」
「そうか。ま、とりあえず明日もいっしょに行こう。」
「わかった、じゃあな。」
和人は鉄平の部屋を出て自分の部屋に入った。
「ただいま。」
和人は鞄を置くと、机の上に飾っている写真に向って言った。
その写真は、和人が小学生のころ奈良県の祖父母の家の庭で、母と一緒に写っている写真だった。
バンダナを頭に巻いて格好を付けている和人の肩に母が手をかけて笑っている。
「もしかしてお母さんが英と同じ組にしてくれたの?ありがとう。」
和人はにっこり笑って写真に頭を下げた。
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