第38話
「そうか、ここは和人の母さんが亡くなった病院だったな。」
まったく迷いなく手術室へ向う和人に英が言った。
「うん・・・。」
「あの時は病院に来れなくてすまなかった。」
「いいんだ。対抗戦も控えていたし・・・。」
二人は手術室の前に着いた。
ほかの人はまだ誰も来ていない。
二人はソファーに並んで座った。
「でもあの時、・・・ほら葬式の後にさ、英が俺に『ごめん』て言ったよな。」
「そうだったか?」
「とぼけるなよ、確かに言った。」
「ふ~ん、なんで謝ったっけ?・・・そうだ、ほら、今言ったことだよ。病院に駆け付けれなかったことさ。突然なに思い出してるんだよ。」
「・・・ずっと忘れてたけど、今日のことで思い出したんだ。」
「今日のこと?」
「ああ、松永に桑田のことを聞いた時、お前変なことを言ったよな?」
「えっ?」
「確か、『何でこんな大事なことを忘れてたんだ。』って。」
「・・・そうかな?よく思い出せない。」
英は明らかに動揺していた。
両眉を上げとぼけた顔をしているが視線が定まっていない。
「もしかして、わかってたのか?俺のお母さんが死ぬことも、桑田が大怪我することも。」
言いながら和人は、英の眼をじっと見つめた。
「そう言えば、俺のお母さんが死ぬ何日か前に、部活の居残り練習を手伝おうとしたら、お母さんが具合悪そうだから早く帰れって言ったこともあったな。」
「ばかなこと言うなよ。頭おかしくなったんじゃないのか?・・・やれやれ受験勉強のしすぎだな。」
英がソファーから立ち上がりかけたその時、廊下を駈けてくる足音が聞こえた。
(桑田のお母さんだ。)
和人は桑田の母親の顔を知らなかったが、その女性の表情を見てそう確信した。
「純一はこの中にいるの?」
その女性は英に聞いた。
「はい。」
「どんな様子だった?血がいっぱい流れていたの?息はしてた?」
「気は失っていませんでした。救急隊員の人がたぶん大丈夫だろうって言ってました。」
「ほんとに?ほんとに!?」
女性は英が大きく頷くと、両手で顔を覆い「うわぁ~ん」と大声で泣きながら、ソファーにドスンと座った。
そしてひとしきり泣くと洋服の袖で涙を拭きながら二人に話しはじめた。
「ごめんなさいね、とり乱しちゃって。私は純一の母親です。君たちはサッカー部の人なの?」
「はい、3年生です。僕が園山といって、こっちが橘です。僕たちも救急車に乗って来ました。」
「ありがとう。純一をみていてくれたのね。まあ、こんなに血が付いているわ。」
英の制服の上着にはたくさんの血が付いていた。
黒の学生服で遠くからは血の付着に気付きにくいが、近くで見るとはっきりとわかる。
「制服はこれでクリーニングしてちょうだい。」
女性は財布から5千円札を出し、英に渡そうとした。
「いえ、そんな、大丈夫です。」
「ううん、これは受け取ってもらわないと困るわ。でももしかしたら買い替えないといけないかもしれないわね。その時は弁償させてもらうから。」
女性は、強引に英の手に5千円札をつかませた。
「それにしてもびっくりしたわ。松永くんから電話をもらった時はあわてちゃって、ほら、このサンダル右と左が違うでしょう。財布だけつかんでタクシーに飛び乗ってきたの。」
確かにそのサンダルは左右どちらも黒色だったが、あきらかに形が違っていた。
その後続々と人が集まってきた。
楠田、桑田の父親、兄弟、祖父母、学級担任、サッカー部員、クラスメートなど、わずか30分の間にその数は30名を超えていた。
やがて、医師と看護師が出てきた。
医師は、手術が成功し輸血と点滴を続ければ翌日には歩けるということを桑田の家族に告げた。
和人と英はその日、桑田に会うことはできず、楠田の車に乗せられ帰宅した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます