ダブルデート、ではなく
それは大きな木箱だった。子どもひとりは入ることのできてしまいそうなサイズの木箱。その上部に取りつけられた覗き穴に、メイベルは顔を寄せる。
──と、
「……っ、すごい、すごいわっ!人が動いて見えるなんて!」
箱の中、カラカラと回るフィルム。そこに映し出されるのは一人の男性が大きく手を振る姿。時間にしてほんの数秒のシーンがただ繰り返されるだけの映像。前世ではそんなものに何の価値も感じなかったけれど、今ならその尊さが理解できる。
メイベルは興奮に目を輝かせ、顔を上げた。
レンジャー伯爵家、その一室。招いてくれた部屋の主──ユリウス・レンジャーはとても優しい人らしい。この世紀の大発明を快く披露してくれただけでなく、メイベルの子どもじみた感想にも微笑ましげな眼差しをくれる。
「キネトスコープに関心があるとは聞いていたが……、まさかこれほど喜ばれるとは思わなかった」
「喜ばないはずありませんわ。わたくしでなくとも誰であれ……、この時代の人々にとっては等しく素晴らしい発明ですもの」
「そうか?父には『それが何の役に立つのか』と吐き捨てられたばかりだが」
「それはまだ理解しきれていないだけですわ。この発明がどれほどの効果を齎すのか──どれだけの人間を救うことができるのか、……それをお知りになったら、きっとお考えも変わるはずです」
「……そう、かもしれないな」
自信たっぷりに頷いてみせれば、ユリウスも僅かに口許を緩める。
表情の変化に乏しい人、というのが第一印象で、夜会で遠巻きに見ていた時は近寄りがたいと思っていたけれど。……でもそれは勝手な思い込みでしかなかったようだ。
窓辺から差し込む温かな陽を感じながら、メイベルは微笑んだ。それは社交界で身につけた仮初めのものではない、ごく自然な、心からの笑みだった。
招待を受けた時には少し迷ったけれど。でも来てよかったと、心からそう思う。
室内には和やかな空気が満ちていた。春の日の午後にふさわしい様相。
──けれど、それに不満を抱く男がひとり。
「そんなのよりさ、ほら、お茶にしない?シード・ケーキは嫌いじゃないでしょ?それとも他のを用意させようか?あ、もしかして食べさせてほしいのかな?」
メイベルの隣、すっかり捨て置かれた格好のレオナルドが二人の間に割って入った。それも何故だか、焦った様子で。
口早に言い募るレオナルド、そして訝しむメイベル。二人の前で、ユリウスは「何を言ってるんだか」と呆れ顔で肩を竦める。
「これはお前が作ったものじゃないし、うちの料理人に命令できる立場でもないだろう?だいたい食べさせてやるなんて、彼女は子どもじゃないんだぞ」
「ユリウスさまの仰る通りですわ。お茶を淹れるくらい、わたくしにだってできますから」
だから従兄がやるみたいに世話を焼かなくても、とメイベルは言うのだけど、レオナルドは「そういう問題じゃないんだよ」と青色吐息。鬱屈とした眼差しでメイベルとレオナルドの二人を見やる。
「僕は『ダブルデートをしよう』って言ったのに。なのにキミはユリウスに構いっきりで、全然デートって感じじゃないんだけど」
「そう言われましても……」
キャンディ・レンジャーとリチャード・ガードナーの仲を取り持つ。そのためにはどうしたらいいかと相談した時、確かにレオナルドは『ダブルデートをしよう』と言った。そうすれば自然と二人きりにさせることができるし、いざという時は助け船も出せる。
ならば、とメイベルもその提案には乗ったけれど。
「それはあくまで建前の話でしょう?」
今この場にいるのは共犯者であるメイベルとレオナルド、そして彼から事情を聞いているらしいキャンディの兄、ユリウスだけ。キャンディもリチャードも二人きりでレンジャー伯爵家の見事な庭園を散策している。
お邪魔虫三人は、ユリウスの自室から窓越しに二人の様子を見守るくらいしかすることがない。だから気をきかせたユリウスが、『キネトスコープに興味があると聞いたが』と前置き、友人から譲り受けたという発明品をメイベルに見せてくれたのだ。構いっきりなどと非難されても困る。濡れ衣でしかない。
……と、思うのだけど。
「そんな……、まさか僕よりユリウスの方がいいとでも言うのかい?頭脳明晰眉目秀麗完全無欠の僕より、機械しか愛せないユリウスの方が?」
「自分で言います?というかそんな話してました?」
「そんなの僕には認められない!頼むから目を覚ましてくれ!!」
「あいにく目はすっかり覚めておりますけど……」
メイベルの両手を握り、懇願してくる男。これが社交界で数々の浮き名を流しているらしいレオナルド・クレイトンその人などとは、以前のメイベルなら信じられなかっただろう。でもこれがこの人の本性なのだ。
自意識過剰で子どもっぽい、……憎めないひと。惚れた腫れたの枠には入らないけれど、前ほど毛嫌いすることもできなくなった。絆された、というのが適切な表現だろうか。
なんと単純な思考回路。メイベルは己に溜め息をつき、「仕方ないですわね」と諦めに口角を上げた。
「お茶にしましょうか。レオナルドさまがうるさいことですし」
「そうだな。言い出したら聞かない奴だから、諦めが肝心だ」
「二人とも酷くない?……まぁいいけどさ」
そう言える辺り、人がいいというか何というか。公爵家の嫡男で、自分自身既に侯爵の位も賜っているというのに、子爵家の娘にしか過ぎないメイベルの失礼な物言いすらあっさり許してしまうなんて。
出会いがあんな形ですらなかったら、好きになっていたかもしれない。シード・ケーキを口に運びながら、メイベルはそんなことを考える。
だったら、かえってよかったのかも。好きになってしまったら、きっと苦しいだけだから。すべてを捨てて自分だけを選んでほしいなんて、叶わないことを願いたくはないから。今みたいに軽口を叩き合える友人にもなれなかっただろうから。
──だから、これでよかったのだ。
「君はどうしてキネトスコープに興味を?」
茶器を置き、向かいに座るユリウスが静かに問いかけてくる。
「これは大陸で生まれたばかりの代物で、世間の多くはまだ知らないものらしい。元から映像分野に関心があったのか?」
「ええ、まぁ。観劇は好きでしたから、素晴らしい舞台もただ一度きりしか見ることができないなんて惜しいと思って」
尤もらしいことを言って、メイベルは微笑む。が、その本心は『推しを撮りたい』だけであることは誰にも言えない。墓場まで持っていくつもりの本音だ。
そんなこととは知らず、ユリウスは「なるほど」と納得。「それならエドウィンとも話が合うかもしれないな」と彼の友人であり、メイベルも知っている俳優の名前を出す。
と、レオナルドが突然「それはダメだ!」と声を上げた。
「ヤツまでメイベル嬢を気に入ったらどうしてくれるんだ!?ユリウス、お前さえ僕を裏切ったというのに、その上エドウィンにまで敵に回られたらさすがの僕も劣勢に立たざるをえないだろう!?」
「……こいつは何を言ってるんだ?」
「さぁ……?」
「ともかく!僕は絶対に反対だからね。いいかいユリウス、」
「わかった、わかったから距離をつめるな。唾が飛ぶ」
「僕を汚ならしいもの扱いするのかお前……」
怒ったり嘆いたり忙しい人だ。見ていて飽きないけれど、本人は疲れないのだろうか。
考えていると、いつの間にか凝視してしまっていたらしい。視線に気づいたレオナルドが顔を上げる。
──と、何故か頬を赤らめられた。
「そんな熱い目で見つめられると、何だか気恥ずかしくなってくるな……」
「はい?」
「いやしかし機械なんかにその清らかな双眸が注がれるくらいなら……。わかったよ、僕がその眼差しをすべて受け止めよう。機械に映されたものなんかより、僕の方が断然美しいだろうからね」
「……ユリウスさま、この方の仰ってること訳してくださいませんこと?」
「あいにくだが俺には理解の範疇を超えた言語のようだ。君も虫の囀りとでも思って、無視しておくといい」
「ユリウス、そこはせめて鳥の囀りと言ってくれ。虫では美しくないだろう?」
「お前こそ虫をバカにするな。モルフォチョウ属の光沢の美しさを知らないのか?」
やいのやいのと舌戦を繰り広げる二人。同じ寄宿学校出身だとしか聞いていなかったけれど、リチャード相手とは随分様子が違う。
気の置けない仲なのだと伝わってきて、メイベルは微笑ましいような羨ましいような気持ちになった。
……そういう友だちが、私にもできたらよかったんだけど。
「僕より蝶の方が美しいとでも?まったく、酷い話だよ。ねぇ、キミもそう思わない?」
「そうですわね……、わたくしもレオナルド様はもう少し謙虚になられた方がよいと思いますわ」
「キミまでそういうこと言うのか……」
抱いた疎外感から目を逸らして、メイベルは笑う。
他の誰のせいでもないのに。誰かを羨むことに意味はないのに。それでもなお、身勝手な寂しさを募らせる自分が一番嫌いだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます