セーフハウスへ

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 ──セーフハウスへ



 日本情報軍第401統合特殊任務部隊JSTFは生体認証スキャナーのデータから凛之助の位置を探ろうとしていた。


 位置さえ分かれば、アリスが始末できると踏んで。


 だが、彼らにとっては運の悪いことに凛之助たちが暮らす神奈川県海宮市の生体認証スキャナーのデータを管理しているのは政府ではなく、民間警備企業だった。


 新宿駅がテロで1500名の死傷者を出して以降、政府の警察力を信頼できなくなった自治体は、この手の民間警備企業に業務委託を行うようになっていた。民間警備企業と名乗っているが、実際は自動小銃や機関銃、装甲車やヘリで武装した民間軍事企業PMCだ。


 装備の面ではテロ防止に役立つ高火力の部隊だったが、彼らはサイバー攻撃に対して日本城軍や政府機関並みのセキュリティを有していなかった。


 夏妃はマンションを脱出する直前、海宮市の生体認証スキャナーと街頭監視カメラを一斉にダウンさせた。性質の悪いワームを使った行われた攻撃により、民間警備企業のサーバーはダウンし、復旧までに48時間を要した。


 その時にはもはやどこにも凛之助と夏妃の姿はなかった。


「暫くはここに隠れるよ」


 夏妃が案内したのは生体認証スキャナーがない路地裏が入り口になっている建物で、その隠された階段の先にある地下室だった。


 そこには大型デスクトックパソコンとサーバー、ベッドや業務用冷蔵庫などが置かれていた。段ボール箱も山ほど積み上げてある。


 簡単なキッチンやシャワーも整備されており、ここだけで暮らしていける環境が整えられていた。どうしてこのようなものが、と凛之助は疑問に感じた。


「私の仕事の都合上、不味い相手に遭遇する可能性は常にあったんだ。特に今回の日本情報軍。奴らは日本国を、国民を、自由民主主義を守るためだと言って、無茶苦茶をする。国民の監視は東ドイツの秘密警察シュタージのハイテク版」


 忌々し気に夏妃が語る。


「ウィルスはその日本情報軍が?」


「そう、間違いない。日本情報軍は得意とする攻勢ウィルスのパターン。雪風、まだ生体認証スキャナーと街頭監視カメラのサーバーはダウンしている?」


『ダウンしています。ワームに対する防衛エージェントが圧倒的に不足しています。サーバーを丸ごと入れ替えない限り、復旧は非常に困難です』


「だとすると甘く見積もっても48時間。けど、この街の生体認証スキャナーと街頭監視カメラはいつでも潰せる。ワームで荒らしまわった間に、管理システムにトロイの木馬を仕込んであるから。それを使えば意図的に都合の悪い情報は消せる」


 凛之助にはチンプンカンプンだったが、夏妃の表情は今までになく険しく、彼女が相手しているのが、、途方もない相手だということが分かった。


「夏姉。手伝えることは?」


「今は大丈夫。そうだ。このスマホを使って央樹さんに連絡して。リンちゃんのスマホはもう使わないで。間違いなく攻撃されているから。今ごろ、こっちの位置情報とかを探ろとしているはず。リンちゃんのスマホのセキュリティプログラムは私が書いたけど、それでも万全とは言えない。位置情報通知をオフにして、SIMカードごと電子レンジでチンして破壊して。これまでの痕跡は私が消しておく」


「分かった。何と伝えれば?」


「日本情報軍に目を付けられた、とだけ。それで察してくれるはず。奥村さんも刑事として日本情報軍と一緒に仕事をしたこともあるだろうし」


 凛之助は央樹の電話番号に電話をかける。


「奥村さん? 凛之助です。日本情報軍に目を付けられました」


『ああ。どうりで。となると、襲撃者は日本情報軍?』


「ええ。そのようです」


『なら、切るよ。それから暫くはそっちには近づかない。日本情報軍のマークが外れるまで待つ。連中のリソースも有限だ。俺が関係ない振りを押し通せば、日本情報軍も無関係としてくれるだろう』


 そう言って央樹は電話を切った。


「奥村さんは暫くこちらに関わらないと」


「それで正解。私たちは今や日本情報軍って秘密警察のお尋ね者。慎重に行動しなければいけない。まずは連中の通信をハックしてみようか」


 夏妃のデスクトップパソコンのマルチモニターに次々と周囲の光景が表示される。


「これは?」


「夏妃特製ドローン。宅配ドローンのタグで非合法な地域も飛び回り、電波を拾い、人を追い、周辺状況を把握してくれる優れもの。ここいらで日本情報軍が使っている周波数に合わせて、暗号解析ソフトウェアを起動。雪風、ドローンのコントロールをお願い」


『了解しました、マスター』


 ドローンが各地点から飛び立ち、怪しい電波を探す。


「見つけた。連中の周波数だ。暗号化してるからって油断してるな?」


 夏妃がにやりと笑うと通信内容が聞こえてきた。


『対象との接触は成功したか?』


『対象と接触するも対象の刻印は判別できず。ただ、その可能性はあります。今の段階では断言はできません。以上です』


『了解した。引き続き、任務に当たれ。第401統合特殊任務部隊JSTFは君を全力で支援する。今、対象の自宅付近の生体認証スキャナーの記録を──』


 そこで雑音が入った。


「しまった。通信に割り込んじゃった」


 夏妃がキーボードを叩く。


「リンちゃん。今の会話で心当たりある?」


「ああ。勇者だ」


「勇者?」


 夏妃が首を傾げた。


「勇者とは魔王と敵対する定めにあるもの。勇者が魔王を倒せば、勇者の願いは叶う。その代わり、願いを叶えられる勇者はひとりだけ。それでいて勇者の刻印は複数人に刻まれる。私は勇者が魔王を殺し、そして勇者同士が殺し合うという不毛な戦いから抜け出したかったために、この地球へと転生したのだ」


「そう、だったんだ」


 夏妃が難しい顔をする。


「私は魔法のない世界を転生先に選んだ。魔法がなければ魔王は見つけようがないからだ。勇者の刻印も意味が分からないまま葬り去れる。そう思っていた。だが、この世界にも勇者がいて、私を狙ってきている」


 凛之助がアリスのことを夏妃に伝える。


「……酷いね。人を殺して、願いを叶えてもらうだなんて。それも魔王を討伐するまでは勇者を団結させておいて、それが終わったら殺し合わせる。控え目にって残酷」


「神々は私を何度輪廻させても魔王となるように仕向けてきた。勇者に殺されるための存在として。その檻から抜け出すための、今回の転生でもあった。だが、まさかこの世界にも魔王と勇者の関係を知っているものがいるとは……」


 凛之助は流石に打ちのめされた気分だった。


 魔法のない世界。勇者と魔王が殺し合わない世界。神々の玩具にされない世界。それを目指して転生したというのに、この有様なのだ。


 今回も勇者たちが数名現れるだろう。具体的な数は分からない。


 だが、彼らはかなり強固な支援を受けていると予想できる。少なくとも日本情報軍が抱えている勇者に関しては。


「大丈夫。お姉ちゃんは傍にいるよ」


「ありがとう、夏姉」


 今回はひとりではない。それだけが心の支えだった。


……………………

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