天沢アリス
……………………
──天沢アリス
彼女に与えられた最初の名前はXR000001AAという個体識別番号だけ。
その肉体はカーボンファイバーとナノマシンと人工筋肉と素敵な何かで出来ていた。
「おはよう、アリス」
彼女は電子的に入力された以外の言葉として、その言葉を目覚めて最初に聞いた。
「おはようございます。私は富士先端技術研究所製アンドロイドXR000001AAです」
「ああ。知っているよ」
そう彼女に返すのは人のよさそうな笑みを浮かべた初老の男性だった。
「君は今日から正式に名前が与えられる。天沢アリスだ」
「データベース検索中。該当する記録なし」
「そうだ。君はこの世でひとりの天沢アリスだ」
「この世でひとりの……」
初老の男性のIDカードを見る。そこにはPh.D南島美那雄と記されていた。
「天沢とは母方の旧姓でね。君に会った名前だろう。XR000001AA。AA。
「合理的だと理解しました」
「もっと君に合った名前があっるとは思わないのかい?」
「これまでデータベースを参照したところ、人間の命名基準は複雑です。私はそれを理解するに足る経験値が不足しています。ですが、アリスというのは日本製の私に会っているのでしょうか?」
「今はアリスも立派な日本の名前だよ」
「理解しました」
アリスがただ頷くでもなく、言葉だけでそう述べる。
「君は起動前の人間の動きを、義肢を利用した動きを学習していたね」
「はい。参考データ数9500万2000件以上のデータを参照しています」
「では、動作確認をしよう。まずは立って見てくれ」
「はい」
アリスは言われた通りに病院にあるようなベッドから地面に立つ。
「次は歩行」
アリスは軽く周囲を歩いて見せる。
「上出来だ、アリス。君はこれから様々なことを学んでいく。人間に近づいていく。それが我々の目的だ。
「人間と同じ……」
アリスが思考する。
「南島博士。私は人間になりたいです」
「ああ。私も君を人間にしたい」
そうだった。アリスは最初から人間になりたかったのだ。
だが、彼女は人間を模倣することはできても、人間そのものにはなれない。南島博士がいくらアリスを人間として扱おうと、アリスがいくら人間のことを学習しようと、アリスが人間になることはない。
そのはずだった。
「日本情報軍……?」
「そうだ。南島博士。あなたの研究は我々が接収する。損失に対する補填は行われるが、あなたはこの研究について永遠に口を閉ざさなければならない。これは国家によって承認されたことであり、あなたは従う義務がある」
紺色の軍服に桜を象った階級章をつけた男たちがやってきて、南島博士のタブレット端末に文章を送信する様子をアリスは見ていた。
「納得できない。横暴だ。我々の研究は国防とは全く関係ない」
「国防に関わるか関わらないかを判断するのはあなたではない。我々だ。従いたまえ。それとも刑務所に入るかね?」
我々の指示に従わないのは国防に対する重大な犯罪だと日本情報軍の紺色の軍服を纏い、日本情報軍大佐の階級章をつけた男は宣告した。
「どうかしている。所長は?」
「彼は納得した。彼は話の分かる人間だ。ここの研究予算の7割が一体どこから出ているのかを知っている」
日本国防省から金が出ているのだ。国防装備庁や軍そのものから。
富士先端技術研究のお得意様は日本国防軍だった。第4世代の熱光学迷彩からナノマシン連動式の光学照準器、そしてミサイル防衛のためのレーダーなどの開発。もちろん、富士先端技術研究所は国防関係の仕事ばかりしているのではない。プラスティックを自然環境に無害なように分解するナノマシンや、人工的に栄養素を付加し何千万人もを飢餓から救う遺伝子組み換え作物なども開発してる。
だが、7割だ。7割は日本国防四軍に関する研究だ。
「告訴する」
「好きにしたまえ。だが、既に執行命令は出ている。差し止めはできない。国防に関する重大事態だからだ。だが、あなたが軍を訴えるのは自由だ。我々日本情報軍の役割は日本国と日本国が国是とする自由民主主義を守ることにあるのだから」
そして、アリスは日本情報軍の手に渡った。
アリスは人間になりたかった。だが、日本情報軍は彼女を兵器として扱った。
だが、それでもアリスは人間になりたかった。
そして、南島博士が日本情報軍を告訴する直前になって事故死したのと、日本情報軍がアリスに人間になる機会があると告げたのは同じ日のことだった。
「腐敗が始まると刻印は消えるのか?」
「移すのは3時間以内です」
「確かな情報なんだな?」
「はい、大佐。以前の情報源からの情報です」
彼らがそうやり取りをした後に、アリスの下に人間の手が、手だけが置かれた。
「アリス。天沢アリス。あるいはXR000001AA。君を人間することができる機会を我々は与えよう。この勇者の刻印を君の腕に移す。手を重ね、強く念じたまえ。刻印に自分の腕に移るように、と」
アリスは言われた通りにそうした。
すると、その子供のものと思われる手に刻まれた刻印がアリスの手に移った。
「成功だ」
「これで進むことができる」
日本情報軍の幹部たちは満足そうだった。
「君はこれからこれと似た刻印を持つ人間全てを殺害してもらう。そのために今日まで訓練を重ねてきたのだ。そして、全ての刻印を持つ人間を殺したとき──」
日本情報軍大佐が告げる。
「君は人間になるという願いを果たせる」
そして、今に至る。
「対象と接触するも対象の刻印は判別できず。ただ、その可能性はあります。今の段階では断言はできません。以上です」
『了解した。引き続き、任務に当たれ。第401
スマートフォンに見せかけた軍用通信機に雑音が混じる。
『クソ。何だ? 電子攻撃?』
「もしもし?」
『通信に枝が付いた可能性がある。通信機を手順に従って破棄し、一時帰投せよ』
「了解」
アリスは小型の軍用通信機の自壊スイッチを入れる。ナノマシンが指定されたパーツを分解していく。物の数分で軍用通信機の機密情報と機密指定のパーツは全て消滅した。
アリスは人間になりたかった。
だが、人間とは罪を犯せば罰される存在だ。
自分がこの両手を血に染めて、願いを叶えたとしてそれは罪ではないのだろうか?
アリスは無線機をゴミ箱に投棄する。
「それでも……私は人間になりたい……」
……………………
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