第16話 隠蔽
21時。
海が家で遅めの夕飯を食べている頃、セントラルの上層――46階のとある一室にて静かな問答が繰り広げられていた。
「朝陽、何のつもりですか?」
「ん?何が?」
「何がって…」
「カイ君をダンジョンから少しだけ遠ざけたこと?これでも私なりに抑えたんだよ?」
桜子と朝陽によって引き起こされたものである。
ダンジョンラボからの帰り道、どこか硬い表情をしていた海を横で見ていた桜子としては気になって仕方がなかった。
海にあのような顔をさせてまで彼をダンジョンから遠ざける理由があるのだろうか。
ダンジョンの神秘大好き間瀬朝日が未知を未知のまま放っておく訳がない。
どうして知的欲求を抑え込んでまで海をダンジョンから少し遠ざけるような発言をしたのか。
どうして桜子に迷惑が掛かっているという嘘の情報を遠回しに海に伝えたのか。
桜子には理解できなかった。
(研究馬鹿な朝陽が引き下がるなんてあり得ません)
朝陽に対してナチュラルに失礼なことを考える桜子、そんな桜子の思考を察して失礼なとムッとする朝陽。
長い付き合い故にふとした瞬間に行われる無言の会話。訪れる静寂。
しかし、この場にいるもう一人の人物にとっては勘弁願いたい静寂だった。
「私の部屋なのだから二人だけで会話しないでくれ」
泣き言のような注意をした人物。
名を
桜子と朝陽が訪れている46階にある一室の主は相も変わらず仲がいいなと苦笑いしながら会話に混ぜてもらう。
「ごめんねマコちゃん。でも桜子ちゃんがさぁ~」
「朝陽、あなたねぇ」
「悩んだり怒ったりするのは構わないけど、しわ増えるよ?」
「すみません真さん。……朝陽が」
「なんで私が悪いことしたみたいにするのさ」
「よく分からないが朝陽が悪い、ということにしておこう。そちらの方が丸く収まる」
「マコちゃんまでひどいな~」
「キャラだよ、キャラ。諦めろ」
桜子には真さん、朝陽にはマコちゃんと呼ばれている彼女は一応、冒険者センターが幹部の一人である。
桜子と朝陽が普段通りにしているのは竜胆を嘗めているからではない。ただただ仲がいいだけ。
竜胆が冒険者センターの幹部になる前から親交があるからこそのこの態度。
公の場ではちゃんと竜胆を敬うような態度をとる。朝陽は怪しいが。
(やはり友人との対話は心が和むな)
冒険者センターの幹部になる前、ダンジョンの中で冒険者業をバリバリに熟していた竜胆。
自身の気質に合わない権力特有の湿っぽい環境によって緊張していた心が二人の友人のおかげで解けていくゆく。
(そろそろ、か…)
何とも言えない心地よさを感じながらも、仕事はしないとな、と脳を切り替える。
竜胆はそれまでの声色を一段階も二段階も落とした。
「―――で、だ。そろそろ本題に移ろう。朝陽、君がここに来たということは現在行っているスキル検証の結果が出たということ、と受け取ってもいいか?」
現在行っているスキル検証。
他でもない美作海の【スキルボード】である。
しかし、竜胆真はとある人間が新スキルを保有したということしか知らない。
四年前の女子高生自殺未遂という事件から今日まで、スキル検証の結果情報を一番に知り、その情報を世に流すべきか否かを判断する役目を担ってきた彼女がその日確認された新スキルの効果は疎か名称すらも把握していないなど異例中の異例である。少なくとも竜胆の記憶にはない。
確認されてから数日が経っても新スキルの詳細が全く分からない、なんて状況は。
間瀬朝陽による情報の隠蔽―――。
何も知らない人が聞けば、重罪だと言いかねない離反行為。
だが、竜胆は怒る素振りを見せずただ朝陽の眼を見つめる。
彼女が怒らない理由は単純明快。
竜胆が朝陽に一定以上の権限を与えているから。それ以上でもそれ以下でもない。
気づかれないよう、奪われないよう貴重な研究素材を決して周りに悟らせない。
冒険者センターの外は疎か、信を置いている人間以外には決して情報を漏らさないダンジョン研究家としての間瀬朝陽を信用した結果の権限である。
無駄をこよなく愛する友人としての朝陽ではなく、独占欲の塊であるダンジョン研究家としての間瀬朝陽を竜胆は信じた。
そんな朝陽が持つ権限は新スキル確認から一週間の情報隠蔽の許可。
もう少し細かく言えば強力過ぎる新スキルを出来る限り調べれるための研究時間。
四年前の事件を防ぐため、上層部の反対を力づくで押し切った竜胆が朝陽に与えたものである。
その権限は四年前から昨日まで使われることはなかった。
しかし、今夜使われた。
四年前の事件―――史上最年少の一等級冒険者、我妻桜子の自殺未遂の事件から初めての出来事である。
だから、竜胆は警戒していた。
あの時のように世界を巻き込む、新スキル保有者が誕生したのではないか、と。
その予感は当たる。
「私は君に例外的な権限を預けているわけだが、君がその権限を使ったのは今回が初めてだ。―――その新スキルはどうだ。争奪戦を引き起こすような代物なのか?」
「うん。確実に起こるよ、争奪戦は。それもあの時のより大きなものが」
「……聞こう」
竜胆の言葉に朝陽は頷き、情報端末に表示されている情報を読み上げる。
「―――新たな新スキル保有者の名前は美作海、今月の初めに16歳になったばかりの青年で、住んでるところは……」
「どうでもいい。早くスキルについて言ってくれ」
「あ~はいはい……件の新スキル名は【スキルボード】。最大の特徴はスキル獲得することが出来るということ。スキル獲得から四日目の今日時点ですでに【身体能力補正】【筋トレ故障完全耐性】【筋量・筋密度最適化】【自然治癒力補正】【自己鑑定】の五つのスキルを獲得していて、もうじき【両利き】のスキルも手に入る。それで―――」
「ちょっと待ってくれ」
止まらない朝陽の口を思わず閉ざすよう命令する。
(すべて事実なのか?)
―――ありえない。
竜胆の心中を一言で表す言葉としてこれ以上にない言葉。
自分の耳を疑ってしまう竜胆であるが、朝陽――はニヤニヤしているので参考にならない。
横にいた桜子の顔は真剣そのもの。
(事実なのか…)
ここでようやく竜胆は妄言を事実として飲み込む。
スキルを獲得するスキル。夢のようなスキルである。
そのうえ、すでに獲得したスキルの中には竜胆自身聞いたことのないスキルが二つも紛れ込んでいる。
(非常識だな。いや、ダンジョンではこれこそが常識なのか?)
平静を取り戻した竜胆は朝陽に続きを言うよう促す。
朝陽は若干不満気な顔をしていたものの一応は上司の命令なので従った。
「…えっと、それでカイ君は型破りなスキルだけじゃなくて彼自身が相当の身体能力、運動センスの持ち主なんだよ。ね?桜子ちゃん」
「はい、私もこの目で見ましたけど彼は身体能力とセンスまでもがハイレベルなんです」
「…ほう」
「それに頭も相当キレる。実践を経験したわけじゃないからまだ何とも言えないけど、考えなしに突っ込んでいくタイプではないね~。まぁ、残念な思考回路してるけど」
「ちょっと、朝陽」
「え~本当じゃん」
「それでもです!」
「……」
朝陽が美作海という青年の思考回路を残念がっており、桜子も注意はするものの認めてはいる様子。
ただ、二人から青年への悪感情はこれっぽっちも感じられなかったので素行に大きな問題があるわけではないと竜胆は判断し、再び始まった桜子VS朝陽には目もくれず、朝陽から情報端末を取り上げて美作海の情報を見る。
(天は二物を与えずと言うが彼は例外だな……)
竜胆は唸らざるを得なかった。
そこにあったのは朝陽自身の考察を除くスキルの詳細や純粋な数値のデータ。
スキルに関しては言わずもがな。石板が次に出てくるか確証は得られないが、おそらく得られるだろう。
【身体能力補正】【筋トレ故障完全耐性】【筋量・筋密度最適化】【自然治癒力補正】【自己鑑定】―――そして【両利き】。
最高の戦士になるための基礎的なスキルがここにある。
(まるでスキルが保持者を育てているようだ……)
【スキルボード】の意図―――。
だからこそこれだけでは終わらない、まだ続きがあると思える。
そして、美作海自身の身体能力。
アスリートに迫るものを数値越しに感じた。
(スキルの陰に隠れているが……いや、隠れていないな)
ダンジョンに潜れば潜るほど、
しかし、過程はどうであれ結果としてダンジョンが人体に
ただ、竜胆は知っている。素の身体能力が高ければ高いほど
竜胆の経験則―――。
しかし経験則と言って侮ることなかれ。
超一流冒険者の経験則は時として事実を上回り真実に辿り着く。
また、センスや頭の回転についても桜子と朝陽が太鼓判を押していることも忘れてはならない。
竜胆は桜子の眼を信頼しているし、朝陽の賢さも知っている。
運動能力が高くてもセンスがないものは大勢いる。
それらがあってもお
(伸びしろしかないな……)
争奪戦が巻き起こることを竜胆は確信する。
しかし、確信と同時に疑問も浮かび上がってきた。
(なぜ謎多き状態で私に報告してきたのだ?)
そう、朝陽の行動に対する疑問である。
竜胆が朝陽に与えた権限は新スキル確認から一週間の情報隠蔽の許可。一週間というのはスキルを調べるために与えた最大限の時間。
なのに朝陽は期限の日まで三日も残し、不完全な情報を持ってきた。
(……そういうことか)
竜胆は桜子と言い合いを続けている朝陽を見て苦笑する。
これは「時間が足りません、だからください」という名の中間報告だ。
【スキルボード】の情報にザッと目を通した人間なら誰でも分かるスキルの異常性。一週間ぽっちで理解することなど到底不可能な新スキル。
(このまま新スキルの情報を世に放てば美作青年はどこか知らない国へと拉致されるな…)
故に竜胆は決断した。
「朝陽、どれくらいかかる」
「桜子ちゃんさぁ、彼氏の一人や二人……さぁ?どれくらいかかるのやら。何せ、何も予測することが出来ないことが分かっているスキルだからねぇ。ダンジョンみたいだよね~。……知ってる?ダンジョンって出現してから30年以上も経つって」
何日、何か月の単位ではない。何年かかるか分からない。
朝陽は暗にそう告げた。
「そうか……分かった。私が何とかしよう」
「流石マコちゃん、どこぞのお偉いさん方とは違って話が分かるね。冒険者に好かれるだけある」
「今の同僚には大層嫌われているがな……」
二人の美女がニヤリと笑う。
セントラルの上層――46階のとある一室にて完全なる情報の隠蔽が行われた―――。
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