第12話 筋トレ地獄とご褒美

「はっ…はっ…はっ…っ…はっ…」


 ランニングマシンの上を一心不乱に駆ける。

 ペース配分は一切考えていない。

 何故なら中級ポーションがあるから。


 ポーションというのはダンジョンでドロップしたり、【調合】のスキル持ちがダンジョン産の薬草を加工することで生まれる回復薬だ。

 ダンジョンの中ではもちろんのこと、ダンジョン外でも使えることから非常に需要の高いアイテムで、下から初級・中級・上級と効果によってランク分けされている。

 その効果は初級ならば切り傷・掠り傷・打撲のような軽度の外傷を癒し、中級ならば、捻挫・骨折などの比較的重い外傷を癒し、筋疲労、つまり体力までも回復させる。

 上級にもなると使用者が生きている限り、身体の欠損・臓腑の疾患、その全てに関係なく癒し、使用者の身体を健康体そのものにするという。


 夢のような回復薬。それがポーションだ。


 しかし、効果が効果だけに値段は初級のポーションですらかなり高い。

 中級ならばその数倍・十数倍。

 上級ならば……ね?


 そんなポーションを…それも中級ポーションを俺は投与し続けてもらっている。美人な桜子さんに付きっきりでいてもらいながら、だ。

 今以上に恵まれた環境で運動することは今後の人生において一度としてないだろう。


「そろそろポージョンいりますか?」

「あ、お願い…します……」

「どうぞ」


 桜子さんから午前中、何本目になるか分からない中級ポーションを受け取り、飲み干す。


「……っあ~…ありがとうございます。生き返りました」


 骨が関節が筋肉が身体が喜ぶ感覚。いつまでも走り続けれるなこれ。


 朝陽さんを懲らしめようと桜子さんと心を合わせたときから約4時間―――。

 腕立て・腹筋・スクワット・ランニングを中級ポーションバフによって最大効率で行って来た結果―――



 ―――――――――――――――――――

 右上:マラソン 19.1/100㎞

 右下:腕立て伏せ 3000/10000回

 左下:腹筋 2000/10000回

 左上:スクワット 2600/10000回

 ―――――――――――――――――――



 ―――俺の目の前を浮く石板の数字はだいぶ変わっていた。


 4時間でこの変化は驚異的である。

 文字通りすべての飲み水を中級ポーションに替えた結果は凄まじかった。

 腕がちぎれる・腹筋が吊る・足が言うことを聞かなくなる寸前、それよりも少し前の段階でポーションを飲むことによってノンストップで動き続けたんだ。


 え?そんなにも大量の中級ポーションをどこから入手したって?


 それはもちろん朝陽さんが持つストックからだよ。

 午前はそれだけで持つようだが午後は足りなくなるとのことでこの後、桜子さんが朝陽さんの研究費で買い足しに行ってくれるらしい。


 朝陽さんを懲らしめるためにストック分を使い切っちゃいましょう!だから桜子さん頼みます!と言ったのは俺であるが、流石に研究費から巻き上げるのはやり過ぎなのでは…?


「海君、ポーションいりますか?」

「…いえ、まだ大丈夫です」

「わかりました。でも遠慮しないでください。朝陽はそこそこ名のあるダンジョン研究家なので上からもそこそこの額を研究費用としてもらっています。ですから…」

「多少で、あれば、問題ないと…」

「はい」


 …桜子さん曰く、俺の心配は必要のないものであるらしい。

 初めの方はぎゃーぎゃーと騒いでいた朝陽さん。今は、虚ろな目で目の前にある機械をぼーっと見ている。

 彼女を未だ席に縛り付けているのは研究者としての矜持だろうか。

 生きたままに屍となっていた。

 対して、ランニングマシーンで走る俺をずっと見守っている桜子さんはどこか楽しそうだ。今までにどれほど朝陽さんに振り回されてきたのだろうか。二人とも不憫だ。


「海君、20㎞まであと少しです。頑張ってください。そこまでいったら少し遅い昼休憩にしましょう」

「…はいっ」

「朝陽、聞いていましたか?」

「……………ぅん」


 あぁ……可哀そうだ。



 ◇◇◇



 ヴゥ~ン………


 俺の減速に合わせて足元の機械も減速していく。

 そしてついには止まった。


 午後10時―――。

 今日の筋トレ、およびランニングは終了である。


「はぁ…はぁ…はぁ……っ…」


 息も絶え絶えの中、目の前に浮かぶ石板を見る。


 ―――――――――――――――――――

 右上:マラソン 80/100㎞

 右下:腕立て伏せ 10000/10000回 達成!

 左下:腹筋 7500/10000回

 左上:スクワット 9000/10000回

 ―――――――――――――――――――


 そして次に自分の身体を見る。


「…うわ、すげ…」


 何回着替えたか数えていないくらいに着替えたスポーツスーツが汗によってより肌に張り付き、筋肉の隆起が際立つ。

 腹部からは余分な脂肪が削ぎ落ちてシックスパックだけが残り、太ももも一回り大きくなっている。

 腕に力を入れずとも三角筋が隆起しているのも分かる。

 総じて言えば良い感じにムキムキになっていた。


【スキルボード】のノルマは腕立て伏せしかクリアしていないが言いようもない達成感を感じる。


「なんでそんなに満足げなのさ…腕立て伏せしか終わってないよ」


 朝陽さんが情報端末を弄りながら1階に降りてくる。


 18時くらいからだろうか。絶望のあまり逆に開き直ってしまった朝陽さんは「今日はここまでにしましょう」「そうですね」とトレーニングを終わろうとしていた桜子さんと俺を見て「終わらせるわけないだろー!」と怒鳴ってきた。今は落ち着いているがあの時は凄まじかったな。

「ああいいとも!そこまで使うんだったらもっと使ってしまえ!その代わり海君はもっと筋トレして出来るだけ早く私に研究素材を提供しろー!」とギャーギャー騒いでいた。

 22時まで筋トレを続けていたのはそのためだ。

 途中で桜子さんが「朝陽…そろそろ……」と言っても朝陽さんはイヤだと言って聞かなかった。

 午前中から朝陽さんに対して申し訳ない気持ちを持っていた俺と朝陽さんがキレた後に反省し始めた桜子さんは、結局は朝陽さんの言いなりになっていたのだ。


「どうだい海君。これ、毎日やる?」

「絶対やりません」


 もう今日みたいなのは勘弁だ。

 昼休憩や数度の間食、トイレ休憩にかかった時間を抜いてザッと11時間の運動。

 正気の沙汰ではない。途中途中に感じた肉体の成長と長きにわたる桜子さんの声掛けに加えて強ければモテる、筋肉はモテると言い聞かせた自己催眠。

 これらがなければ折れていた。

 しかし、そこまでやり抜いても【スキルボード】は変わらず『始まりのスキルボード』のまま。モテ男への道は果てしない。


「よろしい。…で、腕立て伏せだけは終わったようだけど、どう?何か変化ある?」

「えっと…―――



【<始まりのスキルボード>】

 ―――――――――――――――――――

 右上:マラソン 80/100㎞

 右下:腕立て伏せ 10000/10000回 達成!

 左下:腹筋 7500/10000回

 左上:スクワット 9000/10000回

 ―――――――――――――――――――


 報酬

 スキルボード 【????】


 スキル 【??????】

     【?????????】

     【?????????】

     【???????】


 ――――――――――――――――――――



 ―――…特にありません。あるとすれば腕立ての横に『達成!』って出てます」

「変化ないようだね。…う~ん、やはり4つのノルマをクリアして初めて変化が起こるのか~。大変だね~、私のお金が無駄にならないように頑張ってよー」

「……最善は尽くします」


 所々に棘がある朝陽さんの言葉になんとか返事をする。


 桜子さんはもちろんのこと刺々しくても朝陽さんも俺のスキル検証に協力してくれている。

 どうしてここまでしてくれるのかは謎だけれど、俺自身が成長できるのであれば今はそれでいいと思う。


「あの、海君」

「はい?何ですか桜子さん」


 考え事をしながらアミノバリューを飲んでいると桜子さんに声を掛けられる。

 どうしたんだろう。

 桜子さんは少し顔を赤く染めていた。


「あの、その、海君が嫌でなければなんですけど…その、触らせてもらっていいですか?」

「……え、どこをですか?」

「…筋肉です」


 いいに決まっているじゃないですか……。


「もちろんです。いつまでも触っていていいですよ。あ、でも汗で汚いんでシャワーを浴びてからでも―――」

「頑張った後の汗が汚いわけないじゃないですか……あ、すごい…かたい…あ、ここも……」


 ペタペタつんつん俺の腕や腹を触る桜子さん。

 直前まで少し下がっていた筋トレのやる気ボルテージが一気に最高値を記録する。

 俺は感情をそのままに朝陽さんに提案。


「朝陽さん。もうちょっと筋トレしていいですか?」

「ダメ、帰れ。身体は癒せても心までを癒すことが出来ないからね。ポーションは万能じゃないんだよ。―――壊れちゃうよ?」

「あ、はい……」


 しかし、すぐさま却下をくらう。理由が理由だけに納得せざる負えない。


「そんなにやる気があるんだったら明日もくれば?学校とかあるんだろうけどその後なら来れるでしょ?予定ある~?」

「ないです……ボッチなんで」

「だよねー、よし決定。桜子ちゃん、お楽しみのところ悪いんだけど明日も海君の付き添いできる?」


 桜子さん、聞かれてますよ?

 ツンツンしてていいので答えて下さい。


「わぁ…すごいかたい………はっ!…んんっ……来れますよ」

「ありがと~、じゃあ決定ね。明日は今日みたいに湯水のごとく中級ポーションは使わないけど残り3つのノルマ終わらせるから、その気でいてねー」

「20㎞に2500に1000ですか……頑張ります」

「期待してるよー」

「はい」


 その後、うっとりとした顔で俺の筋肉を触る桜子さんを断腸の思いで引き剥がし、身支度を整えてダンジョンをあとにする。


「暗くなってしまいましたし、私が車で送っていきましょうか?」


 生ぬるい夜風が当たるセントラルの入り口を出ると桜子さんが駐輪場に向かおうとする俺を呼び止めた。


「……いえ、チャリで来れるくらいにはうち近いんで大丈夫です」

「そうですか。気を付けて帰ってくださいね……あ、そうだ。明日学校が終わったら連絡してください。これ私のLimeです」

「……え?」


 (……なんですって?)


 チャリなんかで来なければよかったと落ち込んでいた俺は思わず、隣にいる桜子さんのことを二度見してしまう。


 え、Limeって連絡アプリのLimeですよね?

 ライムじゃないですよね?…なわけないか。私のライムってなんだよ。


「……いいんですか?」

「はい…私何か変なことでも言いましたか?」

「い、いえ、そうですよね。待ち合わせに困りますもんね。……あ、読み取れました。ありがとうございます……ほんとに」


 心からの感謝を言葉に込める。


「それではまた明日」

「はい。また明日よろしくお願いします」


 昨日と比べてチャリに乗った時間が5分減った―――。

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