第9話 密会

 説明会を受け終えた海が家に着き、そういえば検定って何かなぁとネット上で調べ物をしている頃。

 一等級ダンジョン『渋谷』内に居を構えるダンジョンラボでは一等級冒険者の我妻桜子とダンジョンラボ所属研究員である間瀬朝陽による密会が開かれようとしていた。


「お疲れー、桜子ちゃーん」

「お疲れ様です、朝陽。…と言っても上階に来る人の数がそもそも少ないので疲れていませんが…」


 朝陽の形だけの労いに桜子は肩を竦めそう答える。

 桜子の職場はセントラルの5階―――三等級~特級までの冒険者の対応を行う受付嬢である。要は一流冒険者たちの受付嬢だ。

 スポーツ選手と女性アナウンサーカップルのように冒険者と受付嬢カップルが珍しくない現代において、我妻桜子とは一般的な冒険者にとっては高嶺の花のような存在なのである。

 海に未確認スキルがなければ一生関わることのなかった人種であると言えるかもしれない。海の場合は育った家庭が家庭だけに、そうとも言い切れないが…。


「またまた~、上の輩は自信満々だから相手するの疲れるでしょー。『この俺とこのあと一杯どうですか?』…とかさー。いや~大変だねー、研究者でよかったー」

「確かにそういったお誘いはありましたね…ついて行ったことはありませんけど。あと、朝陽は研究者にしか向いていないのでそれ以外の選択肢はなかったと思いますよ?

 それで、美作さんの身体能力の変化はスキルの使用前後でありましたか?」


 普段振り回されている分のお返しとしての言葉をそこそこに本題に入る。

 桜子がダンジョンラボを訪れたのは午前に行った身体能力検査の結果を知るためであった。


(さりげなくひどいこと言うな~…まぁそうなんだけどね~)


 朝陽は桜子の言葉に特に思うことなく自身の情報端末を開いた。


「出てるよ、結果。―――結論から言うと美作海の新種スキル【スキルボード】はそれ自体が身体能力に補正をかかるようなものではなかったよ。スキル使用前と使用後、人間だから多少のズレがあるのはもちろんなんだけどその差は十分に誤差と言えるね」

「…そう、ですか」


 結果を聞いた桜子は俯きただ一言呟く。


「がっかりした?」


 朝陽はニヤニヤとしながら桜子の顔を覗きこむ。

 誰だって新スキルと聞けば今までにない効果を期待するものだ。


「いえ、そうではなくて…」


 だがしかし、桜子が俯いた理由はそんな一般的な理由が原因ではない。

 朝陽は知っている。

 桜子はその程度のことではがっかりしないと。


 俯いた桜子の表情に浮かんでいた感情は失望ではなく安堵だった―――。


「―――安心した?」


 朝陽は知っている安堵の理由を。


「っ…!」


(どうしてわかったんですか…)


 心の中を見透かされた桜子は狼狽える。

 安堵していい場面ではなかったからだ。


(桜子ちゃんは分かりやすいな~)


 その狼狽えすらも朝陽は理解する。


「…何年の付き合いだと思ってるのさ。君の考えていることが分からないわけないだろう?少なくとも今は分かっているつもりだよ……。あの時は何もできなかったけどね…」

「……朝陽」


 朝陽は思い出す。桜子の過去を。

 冒険者の第一線を駆けていた桜子が一線を退き受付嬢になった理由を。


 ――冒険者とは強ければ強いほどにしがらみが多くなっていく職業である。


 強い冒険者は誰だって手に入れたいものだ。

 上級ポーションをはじめとするダンジョン深層に眠るお宝を定期的に持って帰ってくる金の生る木を欲しがらないわけがない。

 だから冒険者センターの上層部だけでなく企業なども獲得に動く。

 そこに争奪戦が巻き起こる。


 ダンジョン外での接触、勧誘は当たり前。時には法律のグレーゾーン、最悪ブラックなところまで。

 冒険者活動にとどまらず、日常生活にまで支障をきたす場合も多々ある。

 それが争奪戦だ。


 最年少、若干18歳で一等級冒険者になった桜子も例外なく争奪戦に巻き込まれた。それも日本だけでなく世界に名立たる有名企業までもが参加した争奪戦に、だ。


 通っていた高校だけでなく、自宅にまで毎日来る勧誘。

 法で守られているはずのダンジョン内にも逃げ場はない。

 桜子を守るべきはずの冒険者センターも介入する余地がないほど荒れ狂った争奪戦。


 どこか一つの企業と契約をすれば表の争奪戦は終わる。

 しかし、桜子の心はぽきりと折れてしまっていた。


 ――表が終わっても裏は終わらない。であれば選択する意味なんてない。


 冒険者センターが遅れに遅れ、桜子を保護したとき。

 彼女は自宅近くにあるビルの屋上にいたという。


 当時、こちらも最年少でダンジョンラボに配属された朝陽は研究に夢中で桜子の危機に気づくことが出来なかった。気づいた時には消えてなくなりそうだった。


 今でこそ、一生関わりたくなかったはずの冒険者関連の職業に就いている桜子であるが、彼女には自分と同じ目に合う冒険者を一人でも減らしたいという願いがある。その願いが彼女の社会復帰を可能にさせた。


 先ほどの安堵は海が自分と同じ道を辿る可能性が少しでも下がったと思ったからだ。


(甘いよ…桜子ちゃん)


 しかし、朝陽は桜子と同じようには考えない。

 遅かれ早かれその時は来る。美作海は確実に巻き込まれる。

 その争いの渦は桜子の時よりも大きい。


「桜子ちゃん、残念だけど海君はいずれ大きな争奪戦に巻き込まれるよ。彼は君以上のものになる可能性を秘めたスキルに加えて、君以上の身体能力を持っている。見ただろう?彼の身体測定を…」

「…はい。本人は久しぶりの運動だって言っていましたけどね」


 桜子と朝陽は午前に行った身体測定の記憶を呼び起こしながら情報端末に映し出された数値を見る。

 一般成人男性の平均値と並べられていたので海の身体能力の高さはグラフを見るまでもなく明らかだった。


「ね~信じられないよね。でも事実だよ。持久力はともかく視力・筋力・瞬発力・跳躍力の数値が物語っている。数値は嘘をつかない。半年のブランクを考慮すれば、彼の身体能力はアスリートクラスにも届く数値だ」

「そこまでですか…でも納得出来ちゃいますね。この目で見たのですから」


(見るだけでなく触っちゃいました…)


 桜子は扉を開いてしまった。


 目じりをトロンと下げる親友を見た朝陽はコロコロ変わるなぁと思いつつ話をまとめる。


「ま、彼はもう私の立派な研究素材君だ。潰させたりはしないよ、絶対にね。それに桜子ちゃんだって海君が大人たちに潰されていくのを黙って見ているつもりなんてないでしょ?」

「もちろんです。そのための受付嬢ですから」


 桜子は表情を引き締めて大きな胸を張る。

 弱い桜子はもういない。いつも通りだ。


(よし、大丈夫そうだね…)


 真面目な話が終わったと判断した朝陽はキャラを戻す。

 海が言うところの無駄な時間を愛する朝陽だ。


「そうそう、桜子ちゃんは笑顔が一番似合うよ。……ていうかなんでそれで彼氏できたことないの?超美人だし、エロいし、性格いいし、お金だって持ってるのにねぇ……なんで?」

「知りません!」

「あぁ、全部フッてるからか~。好みの男とかいないの?あいつもフッてたしあいつもフッてた。この前も御曹司もダメだったから違うでしょ~。桜子ちゃんに告ってた男って結構爽やかなイケメンが多かった気がするな~。…体育会系がいない?あ、桜子ちゃん筋肉好きだっけ。でも冒険者とかはダメだなぁ、穢れのない桜子ちゃんを預けるには汚れ過ぎてる。どこかに純粋で筋肉な男は身近に……いた。」

「……だ、誰ですか?」


 桜子とて恋愛はしてみたい。今までそういった経験が出来なかったのは貴重な青春の時代を潰されたことと好みの琴線に触れる男性が現れなかったからだ。


(そんな人いましたっけ…)


 自分に合いそうな男性なんて身近にいただろうかと少し期待してしまう……してしまった。


「海君」

「っ~~~!朝陽のバカ!」


 バチンッ!


「イッタァーーーーーイ!」

「朝陽が悪いんですっ!」


 だから、期待をした分。裏切られた時の腹いせは強烈だった。

 桜子に引っ叩かれた朝陽の腕は向こう三日間、赤くなっていたという。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る