第32話 あやめをよろしく
店の前に置かれた大きなカバンには、手紙が添えられていた。
蓮太郎は手紙を開いた。
あやめをよろしく。
中には白い猫と、猫のエサが入っていた。
蓮太郎は呆然とかがみ込み、猫を抱いた。
「君が花屋か」
気がつくと、傍らに人が立っていた。蓮太郎は声の方を見た。
「さ……佐々木さん!」
メガネをかけず、代わりにによれよれの白衣を着て髪がぼさぼさの佐々木は、無表情で蓮太郎を見下ろした。
「確かに僕は佐々木だが、君の思っている人物ではない。僕は白い魔女の補佐官で天才機械工学者の
ファウストは淡々と告げた。ああ、やっぱりと蓮太郎は思う。
「佐々木さん……」
猫を抱きしめてうつむく蓮太郎を、ファウストが蹴る。猫が暴れ、蓮太郎はびっくりしてファウストを見た。
「弟のために泣いてくれるのは結構だが、肉親の僕が泣いていないのに君が存分に泣くのは不公平だ。君も仕事を終えてから泣くことにしたまえ」
蓮太郎は戸惑った。
「仕事、って」
「花屋は今日で閉店だ。君が白い魔女の次の操縦者だ」
歩きながらファウストは秀柾の最期を伝えた。
自らの腹を裂かせて白い魔女を絶望させた上で、デアクストスから切断した。その苦痛で銀の魔女を潰した。
しかし、その直後瀕死のデアクストスが振るった剣は、金銀を斬り裂いたものの倒すまでには至れず、金銀は銀を灰色に変化させながら退いた。
蓮太郎は秀柾の晴れ晴れとした笑顔を思い出していた。彼は1度だけなら撃退すると言っていた。あの笑顔でそんなことを考えていたなんて。
「敵はきっと、また来るだろう。こちらのデアクストスもだいぶやられた。奴らもそれがわかっているはずだ」
「あやめさんは無事なんですか」
「ケガのことなら、命に関わるほどではない。でも、君はその猫からはらわたを引きずり出して平気でいられるかい。全く、我が弟ながら理解できないよ」
ファウストは振り向きもせず言った。
「弟は僕と違って、優しい男だった。そして賢くて、慎重な奴だと思っていた。まさか自分の命をそんなバカなことに賭けるなんて思わなかった」
蓮太郎は小さく尋ねた。
「……どうして、俺なんですか」
「弟の推薦だ。君が適任だと言っていた。魔女がきっと受け入れるだろうと。弟は白い魔女をよく知っている。確かに君は魔女の拒否感の数値も低いしな」
ファウストは干からびたような声で小さく笑った。
「自分の後釜や戦闘後の魔女のケアや、そんな心配を死ぬ当日までしていたよ」
ファウストは振り返らないまま、足を止めた。
「弟が守った世界だ。僕も何としても守りたい。頼む」
蓮太郎は小さくうなずいた。
あやめは病院にいるそうだ。
「ファウスト補佐官はデアクストスの修理で忙しいので、ここからは私がご案内します」
「さて、これからどうしたいですか。魔女を病院に迎えに行きますか。まだ眠っているようですが」
淡々とした感じが佐々木と少し似ている。
「樋口さんは佐々木さんを知っていましたか」
蓮太郎が尋ねると、樋口は微かにうつむいた。
「もちろん。同じ補佐官ですし、ファウスト補佐官の弟さんなのに常識のある人でしたから、よく助言をもらったりしていました。あんな亡くなり方をするとは思いませんでした」
「亡くなった状況を知っているんですか」
蓮太郎が重ねて尋ねると、樋口はうつむいたままひとつ息を吐いた。
「ええ、音声と外部からの映像でモニターしていました。コクピットを開けた時もそこにいました。……ひどいものでした」
猫に人の言葉が通じなくて良かった。理解できたら、猫でもきっとつらい思いをするだろう。
「もし、佐々木さんが金銀を倒せていたら、あなたにお呼びがかかることもなかったんです。もう少しでした。どうせ核を使うなら、あの時使えば良かったのに。うちの魔女もお釈迦になるが、敵ももうあれきりでしょうから派手に2、3発ぶち込んでやりゃ良かったのに」
物騒なことを言っている。この補佐官は、佐々木と違って魔女に愛情はないらしい。補佐官にもいろいろいるのだ。
「もちろんあなたが乗っても私はチャンスがあれば提言しますよ。こんなに大手を振って核爆弾を使えることは、今後もう二度とないでしょうし」
蓮太郎は戦闘で核爆弾が使われていることを知らなかった。さすがにそこまでの爆弾は効果があるらしい。
樋口は前回使われた時の様子を話してくれた。こちらで作ったデアクストスと、むこうの通常機を吹っ飛ばした時のことだ。
蓮太郎は搭乗員のことを思い気分が悪くなったが、樋口は専ら使われた爆弾の種類や威力について得々と話した。大学では物理を専攻していたそうだ。カンナは佐々木に見てもらえて良かった。蓮太郎は思った。
「ファウスト補佐官は反対派だから、なかなか使ってくれないんですけどね。使わないことより、浄化装置を考えることにあの頭脳を使ってくれたらなあ」
「……」
蓮太郎が無言でいると、樋口はすみませんしゃべり過ぎました、と謝罪した。
「……敵はもう残り少ないんですか」
気を取り直して蓮太郎が質問すると、樋口はうなずいた。
「おそらく、あと1機、金銀のロボットだけです。ひどい修理でお供もつけず出てきましたから。ただ、こちらも残りは白い魔女のデアクストスだけです。ファウスト補佐官が修理していますが、あそこまで損傷を受けたのは初めてです。しかも、満足に操縦できるかどうかわからない状態だ」
樋口は意味ありげにじっとりと蓮太郎を見上げた。蓮太郎次第ということなのだろうが、居心地が悪い。
「だからあなたには力ずくでも魔女を落としてもらいたいものです」
樋口は嫌な言い方をした。
「それが無理なら何とか金銀をしばらく足止めしてくれれば、ファウスト補佐官を更迭して私が核を。そうなればいいのになあ」
それはあやめも死ぬということだ。それだけはできるだけ阻止したい。
彼女の操縦者がつないできた願いは、きっと、あやめの幸せだ。秀柾、イリス、あやめの兄、蓮太郎がまだ名前も知らない人々。彼らは最後にそれを願って死んだのだろう。世界のために戦ったのは、あやめが幸せに生きていくために世界が必要だから。
あと一歩。それなのに俺か。
「魔女もどんどん回復が遅くなっています。遂に魔力が尽きるのか今までのツケが出たのか、それはわかりませんが、体力も戻らないし、精神状態も悪い。だから私は魔女をもういっそ十人くらいまとめてつないで乗せてみたらと思っているんです。私の計算では、どんなに規格外でも十人ならカバーできるはずです」
その計算が間違っていたら十人の女の子が魔力をただ吸い取られて死ぬのだ。蓮太郎はいい加減げんなりしてきた。樋口とは人の生き死にの感覚が合わない気がする。
「あやめさんは、具合が悪いんですか」
話を切りたくて蓮太郎が知りたいことを尋ねると、樋口は何の、と問い返した。何の何が何なんだか、体調に決まっているのだが、蓮太郎が改めて言うと樋口は肩をすくめた。
「見ればわかりますよ」
見ていないから聞いたのだが、蓮太郎は諦めた。
「では、病院に行きます」
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