夢の詰まったトランク

 その男は、扉の鈴をこれまでにないほど大きく揺らして入店してきた。


「ハローハロー! シロちゃん、チェシャ猫、ハロー!」


 片手を振り上げて一回転し、歌うように挨拶をする細身の男。もう片手には大きなトランクをゴロゴロ引きずっていた。


「やあ羽鳥くん! いつもすぐに来てくれて助かるよ」


 シロはにこりと笑って会釈し、チェシャ猫は舌打ちしながら目を逸らす。

 初見の愛莉は、その男の姿に釘付けになった。

 目深に被ったキャップ帽に、カラフルなペンキを浴びたような派手なパーカー。キャップの鍔が下がっているおかげで、顔が影になっている。引きずっているトランクも色とりどりのチェック柄で、そこに立っているだけで目がチカチカするような華やかさだった。


「すごい個性の人が来た!」


「お? 他にお客さんいるの、いと珍し」


 入ってきた男が、指でくいっと帽子の鍔を押し上げる。あらわになったのは、脱色した明るい色の前髪と、ぱっちりした大きな目だった。

 彼は腰をほぼ直角に曲げて、愛莉の顔を覗き込む。話し方もさることながら、仕草まで風変わりな男だ。しかし愛莉も戸惑うでもなく、椅子に座ったまま前屈みになって男を見つめ返していた。彼を観察し、自分と同い歳くらいか、少し歳上かなと推察する。

 ふたりの様子をカウンター越しに眺め、シロが声を投げた。


「心配ないよ、羽鳥くん。このお嬢さんは、さっき電話で伝えた愛莉ちゃんだよ。チェシャくんの友達」


「ワオ。チェシャ猫に友達なんていたのか! ワンダフルだ」


 男がぱっと華やかに笑うと、覗いた舌に銀の舌ピアスが見えた。目をぱちくりさせる愛莉に、シロが彼を紹介する。


「この人は羽鳥恭介くん。近くの大学の学生だよ。工学部だっけ?」


「いかにも! 機械いじりがカリカリに焼いたベーコンと同じくらい大好き」


 羽鳥なる男は立ち上がり、愛莉を指さしウィンクする。愛莉はしばし、彼のハイテンションに呆気に取られていた。その様子を見計らい、シロがまた、カウンターから声をかける。


「羽鳥くんはね、機械いじり好きが高じて、オリジナルおもちゃを発明したりしてるすごい人なんだよ。見てのとおりの頭のネジを四割くらいなくしてるから、おもちゃも突飛なものばかりなんだけどね」


 彼はにこっと笑って、柔らかな口調で続けた。


「研究室を爆発させたり、助教授の車を改造したりして問題を起こしまくってるから、全然卒業できないんだよねー」


「えっ、留年してるの?」


 愛莉が歯に衣着せぬ表現に置き換えると、黙っていたチェシャ猫がぽつりと呟いた。


「大学生だけど、俺とタメ……二十四歳だよな」


「俺ちゃんは青春を延長してるんだ!」


 羽鳥はくるりと回転して、指先とウィンクをチェシャ猫に向き変えた。チェシャ猫が鬱陶しげに気色ばむ。


「ダブりもだが、問題起こしてることは反省しろよ。それと、そのうざったい動きやめろ。声も動きもデカイんだよ」


「チェシャ猫が静かすぎるんじゃない? そんなんだから気配がないんだよ」


 今度は指をピースサインにして、前後に激しく振りはじめる。ひとつひとつの言動が珍妙で、愛莉はしばらくぽかんと口を半開きにしていた。やがてだんだん順応してくると、愛莉も立ち上がって両手をピースにした。


「面白い人だね!」


「そう! 俺ちゃん、面白く生きてる! 毎日自由だから毎日楽しい! 因みに今も、講義をサボってここに参上してる!」


 羽鳥は愛莉とハイタッチして、それからすっと、テーブルの上の壊れた拳銃を手に取った。愛莉が目を剥く。


「あっ、危ないよ! 触ると怒られ……」


 しかしそんな羽鳥は、手馴れた所作で拳銃を掲げ、変わらない華やかなテンションで言った。


「あちゃー、派手にやったね。弾は抜いてあったのが救いってとこかな」


 彼は割れている拳銃を片手で構え、チェシャ猫の額に向けた。


「こんな壊れ方って、どんな熱いバトルがあったのやら!」


 額にぴたりと銃口を当てられ、チェシャ猫が普段以上に不機嫌面になる。


「そこのクソガキが落として壊しただけだ」


「ファンタスティック」


 羽鳥が口角を上げる。


「なーんて、壊れた理由なんてどうでもいいけどねん。俺ちゃん、人もモノも壊れてれば壊れてるほど大好きだなー」


 愛莉はまた、羽鳥との出会い頭と同じように目を丸くした。


「羽鳥さんって、何者?」


 呆然とする彼女に、シロが答えた。


「近所のダブり大学生。ただちょっと、見てのとおりの変わり者でね……」


 シロの目線の先では、羽鳥が片手にイカれた拳銃、片手で帽子の鍔を摘んでニヤついている。


「オリジナルおもちゃどころか、銃火器や暗器なんかも作っちゃうんだ」


「ええ!?」


「しかも、ご実家は由緒正しき神社。レイシーについても詳しいタイプのね。だから彼が作る武器の中には、対レイシー用もある」


 シロの指先が、壊れた拳銃を示した。


「チェシャくんの対レイシー用サプレッサー一体型拳銃も、羽鳥くんが遊びの延長で作ったものなんだよ」


 愛莉は尚更、喫驚した。


 *


「わーっ! 初めて見るものがいっぱい。触ってもいい?」


「どうぞどうぞ!」


 床に座った愛莉が歓声を上げる。その横の椅子には、愛莉を止めることなくむしろ勧める羽鳥の姿があった。


 店の床では羽鳥のトランクが全開になっている。そしてそこにあらわになっているのは、拳銃やナイフ、針などの武器の数々だった。

 ずらりと敷き詰まった物騒な面々を目の当たりにして、愛莉が興奮している。そして彼女の無邪気な反応が楽しいようで、羽鳥も喜んで広げているのだ。

 騒ぐふたりを一瞥し、チェシャ猫が顔を顰める。


「どうぞじゃねえだろ。バカに危険物持たせやがって……。ったく、ウゼーのとウゼーのが邂逅したな」


「こらこら、羽鳥くんはチェシャくんの武器のために呼び出されてくれたんだよ。感謝しようよ」


 シロが盆にクリームあんみつを載せて運んでくる。


「羽鳥くん、チェシャくんの拳銃どうかな。すぐに修理できそう?」


 彼に問われると、羽鳥は壊れた拳銃の引き金に指を突っ込み、くるくると軽快に回してみせた。


「うんにゃ! お生憎様。入院の必要がありまする」


「つまり、持ち帰って修理すると。今夜のお仕事には間に合いそうにないね」


 シロがテーブルにあんみつを置くと、羽鳥は回していた拳銃をぴたりと止め、投げ捨てるような所作でトランクの中に放った。そしてすぐさまスプーンに持ち、あんみつに突っ込む。


「そんなこともあろうかと! 頭が良くて気が利いて準備に隙がない俺ちゃんは、そのトランクを持ってきたさ」


 あんみつの白玉を口に運び、羽鳥はスプーンの先でトランクを示した。


「拳銃ちゃんの入院中は、その中に入ってる武器、貸してあげちゃうよん」


「なるほど、そのつもりでこんなに持ってきてたんだね」


「そうそう。新作を試すついでにね」


 にんまりする羽鳥に、シロは苦笑いを返してカウンターへ戻った。茶器を手に取り、丁寧に磨きはじめる。


「チェシャくんの仕事がしっかり捗る、真面目な作品を貸してね」


 と、それに食いついたのは愛莉だった。


「えー! どれを借りてもいいの? 何個まで!?」


 借りるのは自分ではないのに、愛莉は目を輝かせてあれやこれやとトランクの中を物色する。


「これはなに? ペン?」


 彼女が万年筆らしき道具を手に取れば、羽鳥があんみつを頬張りつつ椅子の上から見下ろす。


「それはね。真ん中のあたりを捻ってみ」


 ペンの真ん中に切れ目がある。単にインク交換のために外れるようになっているだけに見えるが、実際外してみると、中から細く鋭い錐が剥き出しになった。

 たちまち、愛莉の驚喜の声が上がった。


「かっこいい!」


「相手の懐に潜入する仕事のときに使えちゃうよ。ペンに見せかけてポケットにいれておけば、いつでも刺し殺せるってわけさ」


 羽鳥がスプーンで錐を指し示す。


「その錐は対レイシー用なので、百パーセント銀でできてるんだよん」


「銀だと強いの?」


 愛莉が間抜けな顔で聞くと、羽鳥はスプーンを指の谷間でくるんと一回転させて頷いた。


「オフコース。銀は昔っから魔除けアイテムとして名高いんだよ。レイシーの種類によってはダメージを与える物質は異なるけど、銀の魔除けの力はわりとなにに対しても効果的なんだな」


「へえー!」


「チェシャ猫の拳銃も、銀の弾丸が入ってる。これが鉛玉だったらレイシーには効果イマイチなくせに人間は殺せる、つまんないおもちゃだったさ」


 羽鳥はまた、あんみつにスプーンを入れた。豆を掬って口に運び、幸せそうな顔で頬張っている。愛莉はペン型の錐を握って、無邪気にチェシャ猫の方に掲げる。


「チェシャくん、どれにする?」


 しかしチェシャ猫は、にべもなく愛莉を無視した。


「羽鳥、今まで使っていたものと全く同じ型のものはどれだ」


「えー、折角だから変わったのを借りたらいいのに」


 愛莉がむくれるも、チェシャ猫は彼女を一瞥もせずに一蹴する。


「遊びじゃねえんだぞ。こっちは命懸けなんだ」


「そうだけどさー。折角こんなに面白いのに」


 不服そうに唇を尖らせ、愛莉は再びトランクの中を覗いた。ふたりのやりとりを見て、羽鳥はくすくすと笑う。


「チェシャ猫の気持ちはよく分かる。デッドオアアライブの崖っぷち絶望ワークだものねん。だけど残念無念、此度イカれたあの拳銃と、同じ型のものはこの世にふたつとないのさー」


「は!? ないのかよ」


 歌うような口ぶりの羽鳥に、チェシャ猫の声がやや大きくなる。羽鳥は彼の反応を楽しそうに観察し、あんみつの寒天を口に運んだ。


「あいつは輸入物の既製品を、俺ちゃんオリジナルスタイルに改造したものでね。一度作ったものをもうひとつ作る趣味はないし、そもそもどこをどう改造したのか、いちいち記憶してないのだ」


「覚えてないのか……。今回の壊れたやつ、直せるのか?」


「見れば思い出すんじゃないかな」


 不安を煽るような言い方をして、羽鳥はスプーンを手指の中で回した。


「というわけで。愛莉お嬢の言うとおりに、いつもとひと味違う新しいパートナーを選んじゃえよ!」


「なになにこのナイフ! 変な形!」


 床では相変わらず、愛莉が武器に大喜びしている。彼女が掲げたナイフを見て、羽鳥が前屈みになった。


「Your eyes is so high! お目が高い! それはスペツナズナイフ。中二病に好かれやすいイカしたナイフちゃんだ。スイッチを押すと銀の刃が射出するぞーい」


「刃が? 撃ってみてもいい?」


 愛莉がそう言うやいなや、ナイフの刃がひゅっと飛び出した。空を切って羽鳥の顔をすれすれで通り抜け、テーブルの上空を割き、チェシャ猫の鼻先を掠めて壁に突き刺さる。

 羽鳥が笑ったまま硬直し、チェシャ猫もしばらく壁のナイフを睨んでいた。カウンターから見ていたシロも、茶器を磨く手を止めている。愛莉が目をぱちくりさせた。


「無意識にスイッチ触ってたみたい。ごめんね」


 いたずらっぽく謝る愛莉を横目に、チェシャ猫は壁に刺さった刃を引き抜いた。


「人に向けて持つんじゃない。レイシーだけじゃなく人を殺せる道具なんだぞ」


「あっ、この鉤爪みたいなのもかっこいい。これもいいかも。どれもいいなあ、ねえねえチェシャくん、どれ借りる?」


 失敗しても叱られてもめげない愛莉は、ナイフを片付けてすぐさま別の武器で遊びはじめた。チェシャ猫がため息とともに項垂れる。


「全然反省しない……。なんかもう、どうでもよくなってきた。いつもの拳銃がいちばん使いやすいんだが、それがないならなんでもいい」


「じゃ、あたしが選んじゃう。そうだなあ、こういうのもかっこいいし、これもいいなあ」


 愛莉が次々と武器を手に取る。スペツナズナイフを掠めてから固まっていた羽鳥は、元に戻ってあんみつを食べていた。楽しそうな愛莉を一瞥してから、チェシャ猫ににこりと笑いかける。


「さながらファッションに頓着のない彼氏の代わりに服を選ぶ彼女のようだ。流石は現役女子高生、眩しいぜ」


 愛莉本人は聞いていないのか、振り向くことなく武器を吟味している。羽鳥は肩を竦め、少し声のトーンを落とした。


「ファッション感覚で武器選び。このお嬢ちゃんは頭がおかしいようだ」


「あんたに言われちゃ世話ねえな」


 そんなやりとりをした辺りで、愛莉の弾けた声がふたりの会話を遮断した。


「決めた! これがいい!」


 愛莉が持っていたのは、ゴツゴツした無骨なフォルムの拳銃だった。

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