第16話 魚醤とアイテムボックス
教会の離れに帰り、壺に魚の身と塩を交互に挟むように重ねていく。塩は多め、重量で魚の身と同じくらいの量にした。
上手くできても塩味が強いと思うが減らしていくのは上手くいったあとに考えよう。
それよりも塩が少なすぎて腐ってしまう失敗がないように、しっかりと塩をしていった。
「漬物石っているんだっけ?」
魚を塩漬けにして長時間おけば魚自身の持っているタンパク質分解酵素で魚のタンパク質がアミノ酸に分解されて旨味の強いソース、ナンプラーになる。と、いうことは知っていたが実践するのは初めてだ。細かいことはわからなかった。
「たぶん、使っちゃダメってことはないだろ。後で調達しよう」
部屋の隅には総士郎が買ってきたものと似た壺が2つ置かれていた。
ササリアが作っているザワークラウトだ。料理の付け合せとして出されることがたまにある。
ササリアが帰って来たら漬物石が余ってないか聞いてみることにしよう。
「ただいま帰りました。ソウシロウさんいますか?」
そんなことを考えながら手を洗っているとササリアが帰って来た。
「おかえり〜」
なんか、少し変な気もするが帰って来たササリアに「おかえり」を返した。
「台所で何してるんですか?」
ササリアが台所に置かれた壺を見て聞いてきた。
「魚を熟成させたソースを作ろうと思って」
「魚の、ソースですか?」
「魚の塩漬けを1年くらい寝かせておくと黒っぽいソースになるんだけど知ってる?」
「知らないですね。ソウシロウさんのいた世界のものですか?」
「そうだな。上手くいくかはわからないけど時間がかかるから仕込んでおこうと思って」
やはり、ナンプラーは存在しないようだ。
東南アジアの伝統的な食品のように思われているナンプラーだがその歴史は意外と浅い。
ナンプラーをナンプラーとして作り始めたのは20世紀に東南アジアに入ってきた華人で、中華料理に使われる
似たような調味料、魚の塩辛を作ると出てくる溜まり汁みたいなものは存在したらしいが、あくまで副産物として得られていたもので、それを目的に生産されたものではなかったらしい。
厳選された麹菌が必要な現代日本の味噌や醤油を作るのは魔法の力があってもまず不可能だろう。
しかし、ナンプラーなら時間さえかければ比較的簡単に作れるはずだ。
気の長い話になるがマヨネーズに変わる金策にもなるかもしれなかった。
「えーと、あの、お願いがあるのですがいいでしょうか?」
漬物石についてたずねようとしたところでササリアが切り出した。
真剣なような、少し困っているような表情に見える。
「まぁ、内容によるけど大体のことは引き受ける、、、と思う」
大見得を切りたいところだったが真剣な表情に思わず逃げ道を作ってしまった。
「明日、
「地下迷宮?」
「はい、西の地下迷宮の地下2階、祝福の泉まで一緒に行って欲しいんです」
地下迷宮か。地下迷宮、、、。
「それは危険はないのか?」
「まったく危険がない、ということはありませんが私とソウシロウさんなら問題ないはずです。ただ、明後日までに帰還したいので人を集めるのが難しい、のと運ぶものが多いので「浮く絨毯」を使いたいんです」
「浮く絨毯」。時間があるときに試してみたが、この魔法は絨毯が地面から10センチ程浮いて術者の後ろを付いて来るだけの魔法である。しかし、その絨毯の上にかなりの重量のものを乗せることができる。
この世界、どうやらアイテムボックス的なものは存在しないということだ。
そもそもアレが存在するのは魔法が存在したとしても少々ムリがある。
まず、アイテムを仕舞ったり出したりするだけで質量保存の法則が大きく崩れる。
また、低い土地から水を汲み上げて高い土地で放出すれば、それだけでもの凄い量のエネルギーを得られることになってしまう。
そこに消費する何かがあれば、まぁ納得もできるが、そういうものは無いのが大半だ。それに、消費する何かがあったとしてもそれが切れた時の挙動が問題になる。
あと「別空間に繋がっている端っこを破壊しようとするとどうなるのか?」とか「敵の頭部だけ別空間に送っちゃえば無双できんじゃね?」とか「入れるものに小さなゴミがついてたらどういう扱いになるの?」とか「欲しいアイテムを思い浮かべると取り出せるとしたら、どんな意識、物体認識機構を持ってるのか?」とか。
特に後の2つは人工知能やコンピュータ的な判断、制御の機構が必要になるので、たぶん、この世界の自由度の低い魔法では再現できない。
逆に、魔法の自由度が高ければその部分は全てを使い手、作り手が設定しなければならなくなり、膨大な制御の要素を組込む必要がある。
それは理論やその解析、データの定義と整理、そのデータの示す意味の抽出や抽象化などが前提として必要であり、高度な学問の形態とそれを扱う技術が存在しなければならない。
これは紙すらも自由に使えない中世の学問レベルでは、まず不可能と言えるレベルで難しい。
それに比べれば、だが、浮く絨毯は簡単だ。
付いてくる絨毯には術者を引っ張るような抵抗は存在しないので坂を登ったり降りたりすればエネルギー保存の法則は崩れる。しかし、アイテムボックスのように質量保存の法則までは崩れない。
その増減したエネルギーも、その代償に魔力を消費することで釣り合いがとれている可能性がある。
運用の条件も簡単で、運ぶ重量が魔法の許容量を超えれば絨毯は地に付いてしまい動かなくなる、くらいのものだ。
アイテムボックスのように「ここをこうしたらどうなるの?(仕組みが破綻するんじゃね?)」的な疑問は遥かに少ない。
「「浮く絨毯」か。大地の系統の魔法だけど問題ないのか?」
「今回は問題にならないはずです。西の地下迷宮にはほとんど人がいないので。それに迷宮外で関わる人も教会の信用できる人に頼みます。万が一、の場合も「大地の系統もそこそこ使える」ってことでごまかせると思います」
ダンジョンの危険度や「浮く絨毯」を使うことのリスクは総士郎には正確に測れない。しかし、ササリアは最大限の配慮をしてくれるようだ。
「でも、そこまでして急ぐ理由はなんだ?」
だが、少ないながらもリスクがあるのは確実である。それでも「明日、出発。明後日、帰還」にこだわっていることに疑問があった。
「実は
緑の砂糖?砂糖を泉の水から作るのか?つまり、ダンジョンに砂糖水が湧いているという事だろうか?それに砂糖で病が治る?
確かに砂糖は薬として扱われていた時代もあったはずだが過度な栄養不足や一時的な低血糖くらいにしか効果はないはずだ。
「その緑の砂糖は確実に病を治せるのか?」
「病を完治することはできませんが症状と進行を抑えることはできます。水化の病は痛みが強いのですがそれも緑の砂糖をとることで抑えられます」
ふむ。
聞く限りでは迷信や呪まじないの類ではなく本当にある程度の効果があるようだ。
緑の砂糖の「緑の」の部分が病に効くという事だろう。
「わかった。教会には世話になってる身だ。引き受けるよ」
「ありがとうございます」
総士郎が答えるとササリアは目一杯の笑顔でお礼を言った。
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