第33話 事故

 翌日午前中。バイト先であるワンアップに着き、狭いロッカールームに入ると霧島さんが腰に手を廻してエプロンを締めていた。

「お早う霧島さん」

 俺は昨日の事もあって、少し緊張して挨拶する。

「おはよう……」

 うつむき加減で目を合わせない霧島さんに居心地が悪く感じた俺はロッカーに荷物を入れて素早くエプロンを着ける。

「ミナ君、昨日の電話盗み聞きしたかった訳じゃ無いんだけど……聞こえちゃって……。高山高原行くの? あの幼馴染さんと……」

 顔を上げた霧島さんが上目遣いで俺をチラッと見て言った。

 うわっ! いきなりそれ聞く⁉ 霧島さんは昨日のカラオケ店での出来事を蒸し返す。

 俺は今日、霧島さんと会うのが気まずくて、ここに来るのをためらっていたが、まさか会って直ぐにこのデリケートな話題に踏み込まれるとは思ってもみなかった。

「明日行くつもりだけど……」

 やばっ! 俺の声小せーっ。過度な緊張で体が強張っているみたいだ。

「ふーん、そうなんだ」

 霧島さんはそれっきり黙った。

 俺はそれ以上会話が続けられなくてロッカールームに沈黙が流れた。

 ソワソワして来る。霧島さんが何を思っているのか分からない。

「私も高山高原のチケット当たったんだよ! だから明日一緒に行ったらダメかな?」

 満面の笑みで彼女が発した言葉に俺の理解が追いつかない。

「へっ? 一緒に?」

「うん、確か嗣葉さんだっけ? 彼女に連絡してオーケー貰ってくれると助かるんだけど」

「は……い?」

 言ってる意味が分からない、なんでわざわざ嗣葉と霧島さんが一緒に行かなきゃなんないんだよ? それなら個別に行く方が良くないか?

「今すぐ聞いてもらえるかな?」

「えっ⁉ 今? てか一緒でいいの?」

「うん、チケット一枚しか無いし、一人じゃ寂しいでしょ?」

「当たったって? どこで?」

「そ、そんなのはどうでもいいから聞いてみてよ!」

 霧島さんは何故か口を尖らせた。

 何でこんな事に……俺はスマホをポケットから取り出して耳に当てた。

 出ない、嗣葉は結構電話に出ない事が多い。その理由は『眠かったんだもん』と言われることが殆どで、そう言われると返す言葉は無い。

「出ないよ……。ま、まあ、俺がちゃんと聞いとくから分かったら連絡するよ」

 絶対嗣葉はネガティブな反応をするに決まってる! どうすりゃいいんだ? でもこの問題は先送り出来ない、タイムリミットは直ぐにやって来るし。

「お願いね? あーっ! 楽しみだななぁ、明日!」

 げっ! 霧島さんは行く気満々だぞ! てことは嗣葉を説得するしか方法は無い。

 腹痛くなって来たぞ……普通女の子とプールに行くなんて事になったら小躍りするくらい嬉しいだろうに、しかも二人もだぞ? 普通に考えたら最高な展開なんだけど俺の気持ちはどん底状態、嗣葉の怒る顔が浮かぶし、霧島さんを断って悲しまれるのも地獄だ。

 俺は重苦しい気分のまま仕事を始めた。


 ◆   ◆   ◇


 やっぱり出ない。帰り際、ロッカールームで何度か嗣葉に電話を掛けてみたが繋がらない。

 あーっ、腹立つ! 俺が電話に出なかったらキレて部屋まで上がって来てクレーム言うくせに!

「霧島さん、やっぱり嗣葉出ないから分かったら連絡するよ」

「うん、分かった! 所で明日何時に出掛ける予定だったの?」

「だいたい8時ぐらいに家出て北二十条駅に行く予定だったから深町中央駅には8時半って所かな? 霧島さんなら中央駅集合の方が来やすいよね?」

「うん、じゃあ8時半に中央駅集合ね! バイバイミナ君!」

 霧島さんはロッカールームを出ていきなり帰ってしまった。

「ぇ……? まだ決まった訳じゃ……」

 一人残された俺は呆然とその場に立ち尽くした。


 帰り際、俺は電話に出ない嗣葉と直接交渉するために高梨家に立ち寄っていた。

「嗣なら部屋にいるわよ?」

 柔らかい話声で嗣葉のお母さんが玄関先に出て来た。この人と嗣葉が血がつながってる親子なんて信じられない、だけど髪色は金色だし目元なんかはそっくりだ。

「おじゃまします」

 俺はお母さんに軽く挨拶をして階段を上がり始めた。嗣葉の部屋が近くなるにつれ化粧品のようないい香りが漂ってくる。

 ドアの向こうから嗣葉の鼻歌が聴こえて来た、どうやら機嫌も良さそうだし交渉が上手く行く予感がして俺は安堵してドアノブに手を掛ける。

「嗣葉、入っていいか?」

 上機嫌な鼻歌は聴こえるけど俺に対しての反応は無い。

 俺はドアをノックして再び嗣葉に声を掛ける。

「う〜ん〜」

 ん? 入っていいんだよな?

 ドアを開けると背中を向けた嗣葉が服の上に赤いビキニを当てがって姿見の前に立っていた。金髪から覗く耳には白い玉のようなものが付いている、イヤホンで音楽を聴いているであろう嗣葉はまだ俺の存在に気づいていない。

「なあ、嗣葉!」

 大きな声で声を掛けたが嗣葉は全然気が付かない、イヤホンからは音が漏れていてかなり大きな音で音楽を聴いているみたいだ。

 赤いビキニか……明日それを着るのか? ビキニなんて大胆だな……俺は嗣葉のビキニ姿を想像して唾を飲み込んだ。

 俺は嗣葉の背中を人差し指でチョンチョンと突き、「嗣葉ってば!」と声を張る。

 ビクッとした嗣葉は振り返ると猫でも驚かせたかのように飛び跳ねて絶叫した。

 大声で腕を振り回す嗣葉の手が俺の顔面に当たり、俺はよろけた、だけど嗣葉は俺を強盗か何かと勘違いしたのか攻撃を止めない。

「ちょ! 嗣っ! 俺っ! 俺だって!」

 手首を掴むと嗣葉はのけ反るように驚いて目を見開いた。

「悠!?」

 嗣葉は後ずさりしてベッドの角にぶつかってひっくり返りそうになり、俺は彼女を支えるように背中に腕を廻す。

「うわっ! 危なっ!」

 俺は嗣葉を下敷きにベッドに倒れ込んだ。

いったいなぁー、何なのよっ!」

 嗣葉の右手首を掴んで上に覆いかぶさった俺はまるで女の子を強引にベッドに押し倒したような体勢になってしまっていた。

 嗣葉と頬が触れ合う。慌てた俺は咄嗟に顔を上げて「ごめん!」と口にした。

 綺麗な薄茶色の瞳が俺を見つめ、小刻みに揺れている。嗣葉とキスが出来そうなくらい至近距離に居る自分に驚いて心拍数が高鳴ってくる。

「悠……手を……」

 嗣葉は顔を赤らめて俺にポツリと言った。

「えっ? 何?」

「悠……いいから早く手ぇどけろって言ってんでしょ!」

「はっ⁉ 手?」

 右手にスライムのような感触を感じる、いや、待てよ……スライムは実在しないからそれは違うか……? って、ことは……?

 俺は何度か手のひらをグニグニ動かしてハッとした。

 服の上から思いっ切り嗣葉の胸を掴んでいた俺は「違うんだ!」と声を上ずらせたが……。

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