第32話 ニアミス
な、何だこの沈黙。
霧島さんはゆっくりと瞼を閉じて顎を上げた。
俺の中で心臓が爆発しそうなほど早くなり、眩暈を起こしそうになる。
目の前に居る女の子は明らかにキスを求めていて、俺も初めてを体験したい衝動に駆られる。
静まり返った空間に隣の部屋の低音がリズムを刻み、俺のドキドキと重なり合う。
彼女との距離が徐々に近づき、唇が重なり合いそうになった瞬間、テーブルに置いてあった携帯がブーッブーッと振動して二人は動きを止めた。
薄目を開けた霧島さんがテーブルに目をやり、俺も釣られて携帯を眺める。
振動していたのは俺の携帯、薄暗い部屋に輝く四角い画面には高梨嗣葉の文字。
携帯から俺に視線を戻した霧島さんが「出ないの?」と無機質に聞く。
「えっ? あ、うん……」
俺は動揺しまくって携帯を掴んで耳に当てた。
『あ? もしもし悠? バイト終わった? 今度の休み
携帯の音声は多分霧島さんに聞こえてる。部屋は静かだし、距離がそもそも近い。
「リゾートの券? どこの?」
『それがなんと高山高原なのっ! 凄いでしょ?』
「へぇ? そいつは凄いな……話は今度聞かせてくれ」
霧島さんに話を聞かれたくない俺は早々に話しを打ち切ろうとした。
『なにさ! 悠は興味ないの? 高山高原って言ったら巨大プールだよ? 悠は私の水着姿見たくないワケ?』
霧島さんの目が一気に冷たくなったのは、多分気のせいじゃない。
「じゃ、また後でな」
耳からスマホを離し、嗣葉の声を断ち切るように俺は画面上の通話終了のボタンを触る。
『ちょっと悠、私――』
俺は通話を切断したスマホをテーブルに放り投げた。
ゴトンとテーブルに落ちたスマホがまた振動し始め、嗣葉の名前が表示される。
「ミナ君、帰ろ? 私、甘いのも食べて一曲歌ったら満足しちゃった」
マイクと端末を籠に入れ、霧島さんが部屋のドアを開けてそそくさと廊下に消えた。
「えっ? ちょ……待って!」
俺はバイブし続けるスマホをズボンのポケットに押し込んで彼女の後を追う。
清算を終えた霧島さんが自動ドアを通り抜け、外に出て行くので俺は急いで彼女の傍に駆け寄った。
「霧島さん、送ってくよ」
俺の言葉に反応した霧島さんが立ち止まり、笑顔で振り返って「大丈夫だから」と拒絶する。
「じゃ、また明日」
霧島さんは早足でカラオケ店の駐車場から歩道に出て直ぐに見えなくなってしまった。
流石に気まずいな……キス寸前で嗣葉の着信か。俺、あの時浮気しているような気分になって、どうしていいか分からなくなっちまった。別に嗣葉と付き合ってる訳でもないのに……。
霧島さんの反応も嗣葉とのやり取りの後、急によそよそしくなったし。あの時、電話が掛かって来なかったら霧島さんと俺はキスしてたんだろうか? 分からない……そんなのはたらればだし、結果はしなかった……ただそれだけだ。
霧島さんのキス顔……可愛かったな……。
何だか胸の奥が苦しくなってきた、こんな感覚は初めてだ……。
心地良い苦痛? 体の芯が溶けそうな感じがする。
「すっげー疲れた…、帰って寝てぇ……」
俺は一人呟きながら自転車のスタンドを外した。
◆ ◇ ◆
自転車を惰性で走らせてガレージの前に停める。
そう言えば嗣葉のこと、放置してたんだ……。俺が高梨家の二階の窓に何となく目を向けると、嗣葉がカーテンの隙間からこちらを見ていて一瞬焦った。
カーテンが閉まると速攻玄関ドアが開いて嗣葉が口を尖らせて飛ぶように短パン姿で俺に駆け寄ってきた。
「ちょっと悠! 何でさっき電話切ったのよ!」
「忙しかったんだって、あの時……」
「忙しい? バイトも終わってたのに?」
「俺にもいろいろあるんだよ!」
詮索されたくない俺はガレージのシャッターを開けて自転車を中に押し込んだ。
「色々って何よ? まさかあの娘と遊んでたんじゃないでしょうね?」
言われた途端、体がギクリと反応してしまった。平常心、平常心、普通にしてれば分かんないって!
「図星かなぁ? 凄い動揺してるっぽいけど」
「か、カンケー無いだろ? だいたい霧島さんと俺が遊んで何が悪いんだよ?」
俺がシャッターを閉めて逃げるように早足で自宅の玄関に向かうと、嗣葉が追いかけて来る。
「誰も霧島さんとは言ってないんだけど。そっか? あの娘は霧島さんだったっけ? で? 何してたの? 霧島さんと」
俺の前方に回り込み、顔を覗き込む嗣葉に言い訳を探すが直ぐには見つからない。
「別にどうでもいいだろ? ちょっと話ししてただけだって!」
玄関前を塞がれ、色々聞いて来そうな嗣葉に俺は焦り、話題を変える。
「それで、高山高原はどうするって?」
「そうそう、それなんだけど次の悠の休みに一緒に行かないかなーって……」
嗣葉は顎に人差し指を当て、首を傾げた。
「次? 明後日だけど」
「じゃ、決まり! 明後日朝8時に迎えに来て」
「えっ! 急すぎねーか?」
「楽しい事は早くやらないと、今日死んじゃうかも知れないんだし。それとも何? 暇人で引き籠りの悠に予定が有るっての?」
「いや、無いけど……」
「んじゃ、そーゆーことで!」
嬉しそうな嗣葉は跳ねるようにステップを踏んで自宅に帰って行った。
ほぼ一方的に嗣葉に予定を決められてしまい、一人残された俺は思考が停止寸前に陥りそうになってしまった。
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