フリッパーズギター文脈とナゴムレコード その1

 以前、フリッパーズギターとその文脈にある音楽について書いたけど、婆さんの愚痴っぽくなってたので、もう少しマシに、かつ違う切り口から書き直してみます。

 以前のは消しておきます。




 90年代にヒットしたフリッパーズ・ギター。


 悪趣味カルチャーと渋谷系。一見あいいれることもなく相反するような両者だが、コインの裏表みたいな関係だったような印象がある。

 悪趣味カルチャーが好きな人は渋谷系に興味がない場合が多いけど、渋谷系が好きな人はどちらにも関心があるというパターンがちょいちょいあったような気がする。

 実際そういう人もいました。


 でも悪趣味カルチャーに関心のあるフリッパーズギターのファンとなるとその数は10分の1にも満たないといったところだろう。

 いや、もっともっと少ないかもしれない。

 前身バンドのロリポップソニックまでが好きで、その半数くらいの人数くらいだろうか。


 それくらい悪趣味カルチャーはマイナーなもので(マリファナの本や完全自殺マニュアルなど売れた本もあったけど)、フリッパーズギターはすごく売れたということでしょう。


 

 ロリポップソニックは87年に結成、89年にフリッパーズギターに改名しました。91年に解散と短命なのだが、その人気は長く続きました。

 渋谷系の代表格ですので。

 渋谷系よりタイミングが早かったりすると、それっぽい音楽でも時期早々で売れないという問題があるように思う……いや、そんなこともないか?

 

 同じタイミングでも売れなかったバンドもいました(後述します)

 渋谷系で括られてたりすると、そっちのファンには需要があるようですが。


 そもそも、フリッパーズ・ギターが多大な影響を受けた70年代末に結成されたロンドンのバンド、モノクローム・セット自体が売れなかった(熱心な固定ファンはいます)


 90年にフリッパーズギターがプロデュースしたコンピ『ファブギア』がリリースされた時はびっくりした。

 わたしは買わなかったけど、友人が買っていて知った。

 何故かモノクローム・セットがそのコンピに参加していて……。解散していたのだが、フリッパーズギターが在籍していたレコード会社が出資し、モノクローム・セットを再結成させていました。


 モノクローム・セットのファンのわたしとしては嬉しい出来事です(当時、かなり複雑な気分で素直に喜べませんでしたが)


 ロンドンのチェリーレッドレーベルの傘下のelレーベルのミュージシャンも参加していたコンピでした。

 フリッパーズギターがelレーベルのミュージシャンたちを紹介しようとしたのにも関わらず、その後直ぐelレーベルは倒産してしまいます。

 端的に言ってさっぱり売れんかったからです。

 elレーベルの代表のマイク・オールウェイって商売しようって気がないんかい! と当時わたしも突っ込んだ記憶があります。

 80年代に大々的にelレーベルを紹介した音楽雑誌なんかもありました(まだ持ってます)


 スコットランドのグラスゴーのポストカードというインディーズレーベルも少しマニアックだったかもしれない。

 オレンジジュースももひとつでした。

 ベル&セバスチャンはそれなりにだったんだっけ?



 決してアングラな音楽というわけでもないのに、90年代の渋谷系的な音楽は今日ではすっかりニッチなポップミュージックになってしまっています。

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