90年代のわたしの酷い生活 改めてネタな経歴を

 ゲーム会社時代は、仕事がつまらなかった分は給料は良かったり、いちお会社員だから、一般の方々とそんな大差ないような、ふつうの生活だったけど(会社はブラックですが)


 一旦マンガ家さんのアシスタントを始めてから、そっちは楽しかったんだけど、次第に生活習慣がおかしくなっていった感じ。


 夜に出勤して朝までなんてこともあったり(夜職かよ!)

 やっぱり修羅場になると、徹夜が当たり前になってしまう(勿論、ブラックですが)


 マンガ家さんが、普段からコツコツ仕事しているタイプなら、よほど沢山連載抱えてるとか無茶なスケジュールじゃない限り、修羅場にはならないはずなんだけどねw


 勤めてるわけじゃなく、在宅ワークだし、フリーダムだから、そうなってしまうのか。


 わたしも商業誌に自分のマンガ描くようになって、それでいっぱいいっぱいになって、でも月に読み切り1本描いてる程度じゃ生活苦で、結局また自分のマンガ描きながらも、マンガ家さんのアシスタントをするようになった。


 仕事場のテレビで、エヴァンゲリオンの放送、もう終わりかけだったけど、一回リアルタイムで観た記憶があるので、それくらいの時代でした。


 その頃、もうほんと酷い生活でしたよ。


 まず、マンガのネーム書いて、編集さんに渡して、オッケーが出ても直ぐマンガは描かない。

 基本、遊んでしまうw


 キャラのデザインとか納得いくまでスケッチしたり、練っていったり、資料用意したり、次のマンガのネタ考えたりもしてたけど、月の半分は殆どゲームしてましたw

 ニートと同じです。

 週に何度かアシスタントに行きもするけれども(かなり不定期)


 当時、同棲してた人がいて、その人が食事作ってくれることが多かった。

 わりと凝った料理を作ってくれたりと、本当に助かってた。


 で、月の半分過ぎたころになり、ヤバい……となってから、ようやくマンガを描き始め出すのであります。


 もうギリギリです。締め切りもオーバーする。ふつうにすんなり間に合ったことのほうが少ない。

 もう修羅場で、同棲してた人に、ベタ、ホワイト、トーン貼りだけ手伝わせたりもして。


 三日間、徹夜なんてことも何度かありました。

 ようやく完成直近になって、わたしもトーン貼ってて、カッター握りながら、机に突っ伏したまま居眠りなんかしたことも。


 そんなヘロヘロ状態で、編集さんに原稿を渡すと、呆れたことに、そのままゲームショップにゲームを買いに行くのだった。

 そして、帰宅してから、そのゲームの取説読みながらようやく寝落ちして眠ってました。

 爆睡したあと、また月の半分ほどゲーム三昧なのでした。


 もうずっとそんなパターンの生活がループしていました。

 なかなか酷すぎるでしょ?w


 やはり、そんなだから、徐々に自律神経おかしくしていった。

 最初は、なかなかそれに自覚がなくって、割と悪化してから気がついた。


 その頃には、もう掲載誌が休刊になってしまってたこともあり、

 まぁ、東京は家賃高いよね。同棲してた人とは割り勘だったとはいえ。

(ロフト付きワンルームで家賃は77000円。ちなみにゲーム会社の時は同棲せず家賃11万の部屋に住んでいた。どっちも杉並区)



 それで、少し休もうと大阪に移ってきたわけです。

 あ、もう2000年代に入ってました。

 掲載誌が休刊になってからはずっとニートでした。 

 同人誌作ったりもしたけど、それは仕事ではなくシュミですね。

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