第70話 許されることじゃないでしょ

「同学年の平民に負けただけでも、一族の名に泥を塗る最悪の失態だっ。なのに、あまつさえその平民の軍門に下るなんてっ……いつ僕がお前をそんなふうに育てたっ!?」


 最初の爽やかな笑みが嘘のように、ヒステリックに叫ぶゲルゼス。


「もしこのことが領地にまで知れたら、この僕への評価にも関わるだろう……っ! 今だって、この学校中に噂が広がって、最近、周りの奴らの僕に対する視線が明らかに変わった! グレイゲル家も所詮はその程度かっていう目だ……っ! なぜお前のせいで、この僕までもが軽視されなければならない!?」

「っ……で、ですが、兄上……」

「言い訳はするなと言っているだろうっ、この出来損ないがっ!」


 何の申し開きも許されなかった。

 怒号と共にガイザー目がけて投げつけられた木片が、彼の頭に直撃する。


 額から垂れる血を拭うこともできずに立ち竦むガイザーへ、兄ゲルゼスは幾分か落ち着きを取り戻しながら告げた。


「……その平民と再戦するんだ。そして今度こそ勝て。それ以外にない」

「さ、再戦……」


 仮に再戦したところで、勝てるはずもなかった。

 エデルの強さは異次元で、ドラゴンに蟻が挑むようなものだ。


「どうした? まさか、できないなんて言わないよね?」

「……で、できま、せん」


 恐る恐る告げるガイザー。

 するとゲルゼスは「そうか」と呟くと、ゆっくり近づいてきて、


 ドゴッ!!


「~~~~~~っ!?」


 腹に兄の強烈な蹴りを食らい、吹き飛ばされるガイザー。


「がっ……はっ……」

「僕の命令に逆らうんだね、ガイザー。幼い頃、あんなに厳しく躾けてあげたのに、まだ足りなかったみたいだ」


 さらに距離を詰めてきたゲルゼスが、ガイザーの頭を踏みつける。


「っ……」

「本当はお前にこんなことしたくないんだ。でも、仕方がない。お前が愚鈍だから、こうやって分からせてあげないといけないからね」


 痛い。

 怖い。

 逃げたい。


 幼い頃に受けた、躾けというより虐待と言うべき兄の教育を思い出して、ガイザーはガタガタと唇を震わせた。

 そこへ容赦なく飛んでくる暴力。


「なぁ、ガイザー、分かってくれるよね? これは僕なりの愛情だよ。弟を立派な貴族にしてあげたいっていうね。分かるよね? ねえ?」

「げほげほっ……や、やめて、ください……兄上……」

「……分かったって言えよ!」

「がっ!?」


 何度も繰り返し殴られ、蹴られ、踏みつけられ。

 ただやられるばかりで、ボロ雑巾のように教室の床に転がるガイザー。


 だがそこで、ふと彼はあることに気づいた。


 ……あれ?

 思ってたより痛くないっす?


 幼い記憶では、いつも血を吐くような激痛に襲われ、立つこともままならなかった。

 思考は恐怖で埋め尽くされ、ただ泣きじゃくるしかなかった。


 けれど今の彼は、客観的に痛みの程度を推し量れるくらいには冷静だ。

 このくらいなら余裕で耐えることができそうだと、拍子抜けしたような心地すら覚えつつあった。


 こんなものではなかったのだ。

 エデルの部屋に侵入し、そこで捕えられて受けたあの〝調教〟は。


 それに最近の実戦訓練では、もっと酷い傷を幾度となく受けている。

 本当に瀕死状態になるまで、回復魔法が発動してくれないせいだ。


 気づけば身体の震えが嘘のように止まっていた。


「どうだい、ガイザー? 馬鹿なお前でも、さすがに理解したよね?」

「……」

「さあ、その平民と再戦して、今度はどんな手を使ってでも叩きのめしてやるんだ。お前ならできる。分かったね?」


 しゃがみ込んだゲルゼスは、倒れたガイザーの髪の毛を掴み上げ、至近距離から諭すように言う。

 恐怖から解放されたガイザーは、その目を見返しながら告げた。


「…………………………………………………………やらないっす」

「なに?」







 一方その頃。

 なかなか姿を見せないガイザーに、エデルは首を傾げていた。


「遅れるとは言ってたけど、全然来ないね?」

「……逃げたんじゃないの?」

「え、ほんと? うーん、じゃあ、捜して連れ戻さないと」

「この訓練、強制参加させられるの!?」


 衝撃の事実に目を剥くアリス。


「だって、自分から鍛えて欲しいって頼み込んできたんだよ? 途中で逃げるなんて、許されることじゃないでしょ」


 さも当たり前のように言うエデルに、アリスは思い切り頬を引き攣らせるのだった。



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