第69話 まさか僕に言い訳してる?

「はぁ……ほんと兄貴は容赦ないっす……」


 亜空間での実戦訓練を終え、エデルの部屋を後にしたガイザーは、ふら付く足を懸命に動かし、寮の自室へと向かっていた。


 放課後すぐから始めた訓練だったが、気づけば夜中になってしまっている。

 明日が授業のない休日で良かったと、ガイザーは大きく息を吐く。


 ……もっとも、休日返上で、明日もまたエデルの元での特訓があるのだが。


「ん? これは……」


 部屋の前まで来たところで、ドアのところに何かが挟まっていることに気づく。

 手紙だ。


「もしかして、女子からのラブレターっすか……?」


 ドキドキしながら中身を見たガイザーだったが、一転してその表情が曇った。


「げっ……兄上からだ……」






 翌日の放課後。

 用事があるから少し参加が遅れるとエデルに頭を下げたガイザーは、訓練の前にある場所へと向かっていた。


「ああ、嫌な予感しかしないっす……」


 重い足取りでやってきたのは、基本的に上級生しか利用しない教室だ。

 そこで待っていたのは数人の生徒である。


「遅かったねぇ、ガイザー」


 部屋にガイザーが入ってくるなり、声をかけてきたのはその中の一人。

 爽やかな笑みを浮かべ、教卓に腰かける十七、八歳くらいの青年だった。


 身に着けている制服から、この英雄学校の五年生だと分かる。

 細身でそこまで上背があるわけでもなく、また整った顔立ちの好青年であるが、どことなくガイザーと顔つきが似ていた。


「じゅ、授業が終わってすぐ来たんすけど、一年の教室から遠くて……」


 と、ガイザーが恐る恐る告げた瞬間だった。

 青年の顔から笑みが消える。


「ああ? ガイザー、お前さ、まさか僕に言い訳してる?」

「っ……」


 教室の空気が変わった。


 周囲の温度が、十度近くも下がったかのような錯覚に襲われるガイザー。

 他の生徒たちも思わず息を呑んで、その場に固まっている。


「す、すいません、……」


 ガイザーは慌てて謝罪した。


 似ているのも頷ける。

 彼が「兄上」と呼んだその五年生は、正真正銘、ガイザーの実の兄なのである。


 四つ年上で、名はゲルゼス=グレイゲル。

 剣の名門として知られる貴族、グレイゲル伯爵家の次男だ。


 長子ではないため領地を継ぐことはできないが、幼い頃より一族中から期待されている優秀な人物だった。


 剣の名門に恥じぬ剣の才能を有し、ここ英雄学校ではガイザーと同じ剣技部で活躍。

 四年時には主将を務めたほどで、その実績も評価され、卒業後はすでに王宮騎士になることが決まっている。


 王宮を守護する役目を担う、騎士の中でもエリート中のエリート、それが王宮騎士だ。

 英雄学校の卒業生であっても、簡単にはその厳しい採用試験を突破することはできない。


「……まったく、相変わらずトロいやつだねぇ、お前は」


 呆れたように息を吐く兄に、ガイザーはただその場で立ち尽くすしかない。


 領地経営で忙しい父に代わり、幼い頃からガイザーはこの兄に厳しく躾けられた。

 当たり前のように暴力を振るわれた記憶が蘇り、絶対的な兄の前では、いつも蛇に睨まれた蛙になってしまうのだ。


「……で、今日は何で忙しいこの僕が、お前みたいな出来の悪い弟ために、わざわざ時間を取ってやったか分かるかな?」

「い、いえ……分かり、ません……」


 兄の問いに心当たりがないわけではなかったが、仮に正解したところで、どのみち兄の怒りが収まることはないと理解していた。


「お前、平民に負けたんだって?」

「っ……」

「それだけじゃない。その平民に、まるで手下のようにへつらっていると聞いている」


 静かな口調で淡々と告げる兄ゲルゼス。

 だが次の瞬間だった。




「このグレイゲル家の面汚しがあああああぁぁぁぁっ!!」




 教室中に怒声を響かせ、ゲルゼスが教卓を殴りつける。

 轟音と共に板が真っ二つに割れ、砕け散った木片の一部がガイザーのところまで飛んできた。

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