第192話「彫心鏤骨」

「これは、私が一生に一度の大作と思い定め、彫心鏤骨して書き上げた小説です。どうかこの原稿をお納め下さい」

私は先生の前に原稿を差し出した。それを私は先生にお見せしたかったのだ。

しかし、先生は原稿をパラパラとめくっただけですぐに私に手渡してきた。

「なんだ、また例によって小手先だけじゃないか。こんなものを書いてもしょうがないよ。ぼくには分かるんだからね。おまえの書く話は、みんな駄作だ!」

私は黙って頭を下げた。その通りだから反論できなかったのだ。

「なにかいいたいことがあるんなら、いえばいいだろ?」

そういわれて私は思わず口走ってしまった。それは先生が小説を書くために私のことを調べ上げているということに対してだった。私はそのこと自体よりも、自分がそんな風に調査されていることが恥ずかしくてたまらなかった。先生のような偉い人が自分のことをそこまで調べ上げたりしているなんて考えたこともなかったからだ。それに先生の小説に対する情熱は並々ならぬものがあり、私なんかより遥かに真剣なのだということを改めて思い知らされたような気がした。だが、そんなことは今更いう必要もないことだった。

「おまえはどうやら小説家になりたくて仕方がないらしいね」

「はい……」

「じゃあ、ぼくの話をよく聞いてくれ。ぼくは小説を書くために生まれてきた人間だと思っている。だから、小説のことしか考えていない。ぼくにとって小説とは人生そのもので、それを書き続けることだけが生きている証であり、喜びでもある。そして、書き終えたときにはじめて生甲斐というものを感じることができるんだ。だから、ぼくは決して手を抜くことなく、全力を挙げて小説を書いている。小説を書かないときは死んでいるときと同じだといつも思っている。もし、小説を途中で放り出すようならば、それは死んだも同じことだと考えている。それだけぼくにとっては小説が大事な存在だということだ。しかし、おまえのように中途半端なものを書いていては何にもならない。ぼくだって昔は小説家になろうと思って頑張っていた時期もあったさ。でも、無理だった。だから、おまえみたいな奴を見ると無性に腹立たしいんだよ。なぜ、そんなふうにしか生きられないのかと思うと哀れになってくるんだ。そんな生き方をしている限り、いつまで経ってもおまえは半人前のままだよ。ぼくみたいになりたいっていうんなら、まず小説を捨てることだね」

「……」

「おまえの書いた小説を読んでいると、ぼくのことを馬鹿にしているように思える時がある。『小説を書いている』という態度じゃないよ。もっと違うものがあるだろう? まぁ、そんなところも未熟といえばそれまでだけどね」

「すみません……」

「とにかく、今のおまえは駄目だ。小説を書く資格はないよ。小説を書く人間は、常に真剣勝負でなければ駄目なんだ。遊び半分では小説など書けるはずがない。遊びで書いているようなものは小説ではないんだ。おまえにはそれが分かっていない」

「はい……分かりました」

私は先生の言葉に打ちひしがれ、何もいえなくなってしまった。そして、ただひたすら謝るしかなかった。

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