第67話「絶言絶慮」
「究極の心理は言語表現で言い表すことができず、思慮分別を超越したものであること、とは言うがね、君」
「しかし、もしその『超自然』な心理が存在するとしたら、どうしてそれが『現実』だとわかるんだい?」
「だから、ぼくたちはそれを、その実在性を信じているわけさ」
「この世にあるものなら何でも信じていいってのか? それじゃあ、何か月もかけて、聖書を読んでいたって仕方ないじゃないか!」
「まあまあ。君は、そんなに聖書を読む必要もないくらいだぜ。だって、君には神さまがいるからな」
「冗談じゃないよ! 君の宗教観ときたら……」
「おいおい、勘弁してくれよ。ぼくの宗教観は、今度の事件とは無関係なんだからね」
「そうかねえ? 君には、自分の宗教観念というものがあるように思えるけどねえ」
「あるとも。それは、ぼくにとって一番大切なものだよ」
「じゃ、なぜそのいちばん大事なものを、他の人間に押しつけるんだい? 押しつけられてる方は迷惑するばかりじゃないか」
「うん、確かに迷惑かもしれない。でも、ぼくはぼくなりに考えてるんだよ。たとえば、あの事件で殺された女の子たちだけど、彼女たちはみんな、自分の信仰を持っていると思うかい?」
「そりゃ、持っているだろうよ」
「ところが、そういう子はいなかったんだ。ぼくの考えでは、彼女達は、それぞれの信仰を持っていたけれど、その信仰というのは、ぼくたちの考えるような一般的なものではなかったんじゃないかと思うんだ。つまり、彼女達の信仰っていうのは、人間の精神の中に宿っているもので、肉体が滅んでしまっても永遠に存続するものなんだ。だから、彼女達を殺した犯人にも、もちろん犯行の動機があるし、犯行方法もあるし、凶器もあるし、死体遺棄の方法や場所なんかもあったろう。そして、犯人はそのすべてについて知っていたはずだ。なのに、それらの知識をまったく使わなかったのはなぜか? ……これが、ぼくの考え方の基本になる考えなんだ。これによると、犯人はただ一つしか考えられない。すなわち、自分の中に宿っていた神さまに祈っただけなんだよ。そして、その結果として、神さまが奇跡を起こしてくれた――と、こう考えたんじゃないだろうか。つまり、殺人を犯したのは、あくまでも人間だったということさ」
「なるほど、なるほど。君の説が正しいとすると、この世に殺人事件なんてものは、ひとつもありっこないことになるね」
「そう思うかい? じゃ、これから、君に殺人事件を起こしてあげようか?」
「遠慮しておくよ。それより、君にもう一つ訊きたいことがあるんだけど……」
「何だい?」
「君は、あの三人の死体が発見されたとき、『お手上げです』と言ったそうだね」
「ああ、言ったよ」
「でも、君はこの事件を解くために、ずいぶんいろんな努力をしたらしいじゃないか。『お手上げです』と言っておきながら、いったい何をしたんだい?」
「何もしなかったよ」
「えっ!?」
「本当さ。ぼくは何もしないで、もう全部わかっちゃったんだ。わかった以上、何もする必要はなかったからね」
「じゃ、どうして警察に知らせなかったんだい?」
「ぼくは警察が嫌いなんだよ。警察は事件を捜査したり裁判をしたりして、お金を儲けたり人を動かしたりするからね。しかし、ぼくは違うんだ。ぼくは金儲けのために推理をしているんじゃないし、ましてや人を動かすためでもない。ぼくは自分の頭の中で考えていることを、自分だけで解いてみたいと思っているだけだ。だから、ぼくは誰にも言わずに黙っていたんだ。そして、ぼくのやり方どおりにやった結果、事件は解決してしまったというわけさ」
「へえー、そうなんだ。ところで、その事件の真相はどんなものだったんだい?」
「それは言えないよ」
「なぜだい?」
「だって、ぼくが喋ってしまったら、君は『そんなことぐらいで解けたのか!』と言うだろう?」
「言わないよ。君はちゃんと考えて答えを出したんだからね」
「いいや、言うね。君はそういう男だよ。でも、ぼくにはわかるんだ。君は『そんなことぐらい』って言うにちがいないってことがね」
「ふうん……まあ、いいさ。いずれそのうち教えてもらうことにしよう」
「じゃ、そろそろ帰ることにするかな。今日は楽しかったよ。また会おうぜ」
「ああ、会えるといいけどねえ」
「じゃあ、さよなら」
「気をつけて帰れよ」
「うん」
最初の彼が言った「究極の心理は言語表現で言い表すことができず、思慮分別を超越したものであること」。これは禅の言葉なんだけどねえ。
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