徒然モノクローム⑥

1.格下


 梅津 健うめづ たけるという少年の来歴は概ね笑顔の語った通りだ。

 幼い頃から気が弱くて何時もおどおどしていた健はやんちゃな子供達には格好の標的だった。

 最初はものを隠したりなどの軽い悪戯だけだった。

 しかし、何をされても反撃されないというのは子供特有の悪い意味での無邪気さを大いに増長させた。

 次第に大勢の前で恥をかかされたり、暴力を受けたりとイジメは過激になっていった。

 頼れる大人が傍に居ればまた違っていたかもしれないが、健の周囲には頼りにならない大人ばかり。

 担任教師に泣きついても見てみぬ振り、親も仕事で忙しいからと取り付く島もない。


 ただただ涙に暮れるだけの健が決定的な崩壊を向かえたのは六年生の時だった。

 夏休みを目前に控えていたからだろう。

 浮かれ気分のイジメっこ達は何時もより過激な……やり過ぎとしか言いようがないことをやった。

 その結果、健の中で何かが音を立てて崩れたのだ。

 気付けば教室は血の海。イジメっこ達は全治数ヶ月の重傷を負った。


『おい、何をやっているんだ!!』


 騒ぎを聞きつけやって来た担任が健を問い詰める。それがまた彼の怒りに油を注いだ。

 自分が辛かった時は無視したのに……ドロドロとした怨念は担任にも向けられた。

 健は椅子で何度も何度も担任を殴り付けた。死にはしなかったが担任教師は一生ものの障害を負ってしまった。


 事件は起きてしまった。だがその後が更に問題だ。

 カウンセラーなり精神科医なり、壊れてしまった子供の心を救う努力を大人がしていれば健が歪んだ恐怖に憑かれることもなかっただろう。

 健の家は裕福で両親が子供に関心を持たない人間なのが問題だった。

 叱りも慰めもせず保身のために行動し始めたのだ。

 彼らは我が子がイジメられていることを知っていた。それを利用して学校やイジメっこの保護者達を脅し付けたのだ。


『誰のせいでこうなったかと言えば、原因はあなた達でしょう』


 争うというのならどうぞご自由に。こちらは既に弁護士を雇っていますから法廷で会いましょう。


『ただし訴訟を起こすというのであればこちらも相応の対応はさせて頂きます』


 イジメが引き起こした凶行、責任の所在は見てみぬ振りをした学校側とイジメっこ達にもある。マスコミも巻き込んで大々的に取り上げてもらう。

 そうなれば学校の評価は地に落ちるし、イジメっこ達の保護者も世間様から厳しい目を向けられる。

 凶行を起こした健を咎める声も出て来るだろうが立ち回り次第では十分に世間の同情を集められる。


『なかったことにする。それが全員にとって一番良い解決方法なのでは?』


 その提案に学校側も保護者も頷かざるを得なかった。

 担任教師もそう。実家が太ければ話はまた変わるだろうがそんなこともなく彼は一介の教員。

 健の両親達が雇った以上の弁護士を長期間雇って訴訟を行えるほど経済力は持たない。


『何ならこちらが訴えても良いんですよ? 今回の件は息子に対するあなたの仕打ちが原因の一つなんですから』


 泣き寝入りするしかなかった。

 これでこの件は終わり――……とはならない。表向きはしたが健にとっての不幸はここからだ。

 始末をつけた後、両親は健に言った。


『面倒なことをしてくれた。私達に迷惑をかけるな』


 ただでさえ不安定だった健はまたしてもキレた。

 イジメっこや担任教師がされたように両親もまたその先鋭化した攻撃性を向けられたのだ。

 叱るなり諭すなり親が親の役目を果たしていれば違ったのだろう。

 だがあろうことか、


『あ、あ……ごめ……ごめんなさい……も、もう殴らないで……』


 親としての不明を詫びたわけではない。暴力から解放されるためみっともなく我が子に土下座したのだ。

 散々に腫れた顔で必死に頭を下げる親を見た時の心境は如何なるものか。

 これが凶行の罰だとすればあまりにも惨い。誰もが誰も得をせず、不幸になった。


 それからの話をしよう。

 両親は卑屈に健の顔色を伺いながらやり辛いだろうからと故郷を離れるよう提案し、彼もそれを受諾した。

 もう顔を見ているのも嫌だったからだ。

 両親は関東のとある土地にアパートを買い、その管理をふらふらしている親戚に任せた。名目上の保護者だ。

 保護者の下で一緒に暮らしているという体を装いつつ健は見知らぬ土地での一人暮らしを強いられた。

 そして中学に入り、新しい生活が始まった。

 最初は別に何をするつもりもなく空虚な暮らしだったが不幸は止まらない。


『よォ、俺らちっと金欠でさ~金貸してくんない?』


 交友関係を築くこともなく大人しくしていた健を狙い目と見たのだろう。

 ハイエナが寄って来たのだ。そしてそれは健のトラウマを大いに刺激するもので気付けば絡んで来た生徒はボロボロになっていた。

 血塗れで許しを乞う姿を目にして健は理解した。


『ああ、奪う側に回れば良いんだ。そうすれば二度とあんなことにはならない』


 執拗な暴力を以って校内を掌握。しかし、心に安寧は訪れない。

 まだだ。この程度ではまだ。同区にある中学校、果ては他の区へと。

 安寧を求めて暴力を振るい続ける。それは底のない桶で水を掬うようなもの。

 しかし、当人はそのことに気付かぬまま虎の尾を踏み付けてしまった。


(……準備はして来たが)


 タイマンを受ける以外の選択肢は消えた。逃げることは出来ない。逃げれば終わる。

 当日、健はギリギリまで戦いの準備をして学校に向かった。

 学校に着いたのは昼休みで、あちこちで生徒が談笑している。それがまた煩わしくてしょうがない。

 苛立ちながら教室に向かおうとする健だったが、


「くすくす……ねえ、あれ」

「ああ。あれマジなのかな」


 気付く。周囲の自分を見る目がおかしいことに。

 普段ならば畏怖と共に目を逸らすのが常なのに、遠巻きではあるが自分を見て笑っている。

 見下し、嘲るようなその視線を健は嫌というほど知っていた。


「……何だよお前ら」

「いや別に~? 何でもな……がっ!?」


 舐めた態度を取った男子生徒を殴り飛ばす。

 しかし、周囲の態度は変わらない。おかしいだろう。怖じて大人しくならないなんておかしい。

 一人の生徒がある方向を指差す。校内掲示板だ。

 そこには、


「ッ」


 健の過去を揶揄し、小馬鹿にするような貼り紙がびっしりと敷き詰められていた。


「んだこれは!? 誰がやった!!!!」


 顔を真っ赤にして叫ぶ健に答える者が居た。昨日、“白幽鬼姫”花咲笑顔と“赤龍”高梨南の襲撃に参加した生徒達だ。

 痛々しい包帯を巻いた彼らは言う。


「何、キレてんすか。やっぱり白幽鬼姫の言ったことはマジだったんで?」

「て、テメ……」


 自身の背景を見透かされて動揺していたのだろう。

 普段の健なら見落とすはずがない。

 どうして白幽鬼姫が健に気を遣って誰も居ないところで暴露しなければいけないのか。

 この貼り紙を貼ったのは昨日、笑顔と南にやられた者達だ。そしてそれはこの学校だけではない。

 西区にある他の中学校でも同じ貼り紙が貼り付けられているだろう。


「何時ものアンタなら“誰がやった”なんて聞くまでもなく分かってただろうになあ」

「よォ、ボス。ハッキリ言うぜ。俺らはアンタを疑ってる。ホントは腰抜けの糞野郎なんじゃねえかってな」

「東区との戦争。俺らは血を流したぜ。アンタの指示通りにさ」

「だのにそのアンタがよりにもよってサツを呼ぶなんて情けねえ真似をして全部、ふいにしちまったなんてさ。あり得ねえ」


 ニヤニヤと笑いながら詰る彼らに健への恐怖はなかった。

 深く根付いていたそれはより濃厚な恐怖によって塗り潰されてしまったのだ。


「信じさせてくれるよな? ビビリ散らした負け犬なんかじゃねえって、おっかねえ黒狗なんだって証明してくれよ」

「白幽鬼姫とのタイマン、楽しみにしてるぜ」


 それからはもう気が気ではなかった。

 普段ならそこそこ真面目に授業にも耳を傾けるのだが、そんな余裕は微塵もない。

 刻々と迫るその瞬間トキがひたすら胸をかき乱していた。


(ま、負けたら全部……全部……い、嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ! あ、あの頃に戻るなんてもう……!!)


 天井知らずに研ぎ澄まされていく攻撃性。

 それは何をも切り裂く刃か、はたまた硝子の剣か。


 ――――審判の時、来たれり。


「折角、西区に来たんだし遊んで帰りたいよね。テツ、ここらのおススメスポットとか知ってる?」

「レゲーオンリーのゲーセンとかあったような気がする」

「良いじゃ~ん! 終わったら皆で行こうよ」

「の前に飯食いてえ。午後、体育だったから腹へってんだよ俺ぁ」


 宣言通り、笑顔はたった四人だけで乗り込んで来た。

 周囲は敵だらけだと言うのに皆、平然としている。


「鞄、預かってくれる?」

「あいよ」


 笑顔は南に鞄を投げ渡し、校庭中央で健と向き合った。

 そして脱いだ学ランを肩に引っ掛けながら言う。


「思った通りのツラだ。そりゃあイジメられるよね。骨の髄まで負け犬って感じ」

「花咲ィ~!!!!」


 一触即発。そんな空気に割って入ったのは南だった。


「いきなりおっ始めようとすんなや。立会人の意味がねえだろう」


 ゴホン、と咳払いをし南は言う。


「動けなくなるか降参を申し出た時点で決着だ! 良いな?」

「うん」

「……ああ」

「よしよし、そいじゃあ――――始め!!」


 先手を取ったのは健だった。

 後ろでに隠していた催涙スプレーを放射!


「んな!?」


 が、無駄。笑顔は引っ掛けていた学ランを使い盾とすることでスプレーを防いだ。

 そのままぐるりと学ランを振り回し手に持っていた催涙スプレーを弾き飛ばす。


「チィッ」


 動揺するも直ぐに建て直し懐から折り畳み式警棒を取り出し殴り掛かる。

 が、これもダメ。ひょいひょいと回避される。


「これなら!!」

「これなら、何?」


 フリーの手で胸元のホルスターから引き抜いたダーツを投擲するも当たらない。

 笑顔は溜息と共に健の手首を捻り警棒を奪う。

 武器を奪われた! と警戒するがそれは要らぬ心配で笑顔は警棒を放り捨てた。


「次は何? ナイフ? どれだけ仕込んでるか知らないけど全部無駄だからさっさと出し切っちゃいなよ」

「舐めやがって……!!」


 ナイフを取り出し、斬りかかる。

 刃物を取り出すと普通の奴は本能的な恐怖で動きが鈍るものだ。

 西区を統一する戦いの中で得た経験則だったが笑顔の動きは変わらない。

 それどころか振るわれたナイフを手で掴み取ってのけた。

 刃が肉に食い込み血が流れ出るが、その無表情はまるで揺るがない。


「光物を出せばビビると思った? 君と一緒にしないでよ」

「クっ!?」


 ぐい、と顔を近付けられたことで健はナイフを手放し距離を取った。

 そして気付く。タイマンを見ている者らが白けきっていることに。

 あまりに情けない立ち回りは彼らを失望させるには十分だった。

 それを敏感に察知した健が誤魔化すように叫ぶ。


「さっきから避けるか防ぐか……俺を舐めてんのか! あ゛あ゛!?」

「やるだけやらせてあげようって仏心だったんだけどね。まあそう言うなら――――終わらせようか」


 ダン! と地を蹴る。

 ダッシュの勢いを殺さぬまま笑顔は身体を捻り背を晒す。


「!?」


 何を、と思うよりも早くその後ろ回し蹴りが炸裂した。




【Tips】


・全国制覇

夢の終着点。刻まれる伝説。暴走族にとっては最高にして最大の栄誉。

ただこの称号やたらと物語が頻発するこの世界においてはあっちこっちに移動しているので実質甲子園の優勝旗みたいなもんである。

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