第73話 西方の使者
青国に、西方からの使者がやってきていた。
青国から遥か西方の国々とは、大きな交易街道を通って長年交易を行なっている。
青国からは主に、絹と陶磁器、そして茶葉を出し、西方からは玻璃細工などの美術品や金に宝石類が青国に入る。
西方からの貴重な品々をこよなく愛していた秦漱石の時代でより盛んになっていた。
その西方の使者が、青国にやってきたのは正式に実権を握った皇帝黒瑛への挨拶、という体ではあるが、実際は青国の現状の確認だ。
青国は、遊牧民との茶馬交易が復活した。そのことを西方諸国は警戒している。というのも、今までと同じ水準で茶葉の輸出が可能なのかと心配しているからだ。
もし、茶葉の輸出を遊牧民に優先させるつもりだとしたら、一言物申すつもりなのだろう。
黒瑛はそのことを分かった上で、西方の使者を歓迎した。
使者は西方特有の色素の薄い赤毛の御仁だった。和やかな笑みを讃えているが、時折若き皇帝黒瑛に鋭い視線を向ける。
黒瑛が、今まで通りの交易を約束すると言っても、相手はなかなか信用できないでいるようで表情は硬いままだった。
そのため黒瑛は仕方なく、後宮に連れてきた。
「ほう、ここが、有名なハレム……青国の後宮デスカ」
使者は感心したようにそう言うと好奇心で目を輝かせてあたりを見渡した。
後宮の中は、外朝とは違う優美さがある。庭には季節の花々が咲き誇って実に華やかだ。
「他国の使者をここに連れてきたのは初めてなのですよ」
ともにいた陸翔がそう説明すると、使者は嬉しそうに笑みをこぼして頷いた。
特別な待遇を受けている、と分かってまんざらでもなさそうだった。
だが、すぐに鋭い視線を黒瑛に向けた。
「しかし、何故、私をこちらにお招きしてくださったのデスカ?」
特別な場所に入れてくれたのは分かるが、しかし、それと交易の件とはまた別だと言いたげだった。
「いや、直接見てもらった方が早いと思っていな」
不敵な笑みで黒瑛がそう答えると、長い足を動かして先を急ぐ。
使者はすこし訝しげな表情を浮かべるが、素直に後を追った。
そして、黒瑛がここだと言って、雅陵殿と書かれた門に入ると、そこで使者は大きく目を見開いた。
「これは……まさか全て、お茶、デスカ!?」
視界いっぱいに広がる茶畑に、使者は驚愕の声を響かせる。
黒瑛は相手の不意をつけたことに満足そうに笑みを深めると、口を開いた。
「今、我が国ではお茶の生産に力を入れている。後宮内にて、茶畑を設けたのもその一つ。西方に送る茶葉についても、今まで通りの品質のものを送ることを約束しよう」
黒瑛の声を聞きながら、使者は心を奪われたかのように茶畑に魅入っている。
「なんと、これほどまでの茶畑を城内に取り込まれるトハ! これほどの茶畑、一体どなたが管理しているのデスカ?」
使者が未だ興奮冷めやらない様子でそう尋ねると、茶畑の方から一人の女性が現れた。采夏だ。
「こちらの茶畑は、私が管理しております」
采夏は笑みを浮かべてそう答えた。
突然現れた美しい女性に、使者は驚きで目を丸くする。
美しい黒い髪を丁寧に結い上げ、朱色の衣に黄色や桃色の花が刺されているジュクンを華やかに着ている。
「貴方が、この茶畑を……?」
「はい、龍井茶の茶木を植樹し、挿し木等もすることで数を増やしてまいりました」
「なんと……! とても素晴らしいです! 貴方は、ここで働く、女性デスカ? とても良い仕事デス!」
そう言って、興奮したように采夏に手を伸ばす。西方には、握手という文化がある。敬意を表す時に、相手の手を握るのだ。
使者は感動のあまり女性の手を握ろうとして……。
「気安く触れてもらっては困る。彼女は特別な女性だ」
横から割って入ってきた黒瑛によって阻まれた。
「特別な女性……?」
驚く使者に、黒瑛の背に隠されていた采夏がひょいと顔を出す。
「申し遅れました。青国の皇后の茶采夏と申します」
采夏がそう答えると、使者はもう目が落ちそうなほどに見開いた。
そして一言「素晴らしい!」と呟き、黒瑛に頭を下げた。
「たびたびのご無礼を謝罪いたシマス。そして交易の件も安心しマシタ。国の頂点の女性が管理する茶畑、とても素晴らしいものデシタ。国をあげてここまで、環境を整えておられるのなら、問題ありまセン。我が国にも今後の交易に問題ないこと伝えておきマス」
使者の言葉に、黒瑛はほっと胸を撫で下ろした。
西方に余計な軋轢を生みたくない。使者を納得させたことは今後の外交関係で良い方向に働くだろう。
そう考えると、皇后のために作った茶畑は、皇后のためだけでなく自分のためにもなったことをひしひしと感じる。
采夏に深い考えがあったわけではないだろうが、彼女の行動の全てが黒瑛を助けているように思えてならなかった。
「よろしければ、お茶はいかがでしょうか?」
采夏はここぞとばかりに誘うと、使者は嬉しそうに破顔した。
先ほどまでの少し警戒したような笑みではなく、純粋に喜んでいる笑みだ。
使者としても、今後の茶葉の交易に問題がないことが分かって安堵したのだろう。
「ありがとうございマス。私はとても、お茶が好きなので、とても嬉しいデス」
独特な訛りを含んだ言葉で使者はそう答えた。
黒瑛達は、皇后の宮へと場所を変えた。黒瑛と陸翔、そして赤毛の使者は大きな円卓を囲って席に着く。
そして、近くで采夏が湯を沸かしていた。
「何か、飲みたいお茶はありますか? ここは国の中心地。青国の茶葉でしたら、どんなものでもお出しできますよ」
陸翔が和やかにそう問いかけると、使者は嬉しそうに顔を綻ばせた。
最初に見えた時は少し硬い印象を受けたが、今は無邪気な表情を見せている。
「どんなものも、と言われマスととても迷いマス。でも……そうデスネ。実は、前々から飲んでみたいお茶があったのデス! 私の祖父も私と同じように青国に使者として赴いたことがありマス。それで、祖父の手記にて、『白いお茶』のことが書かれていたのです。どうやら、祖父がこちらに訪れた時に振る舞われたようデス」
白いお茶。聞き慣れない単語に、陸翔は少しだけ首を捻った。
「白いお茶、ですか?」
「はい。お茶の名前は、分からないデスが、とてもまろやかな味だったと書かれてマシタ。それと、とても白かったと。ずっとそのお茶を探してきたのですが、『絹の道』を通ってやってくるお茶にはそんなお茶はみつかりまセン」
長年探していたお茶が飲めるかもしれないという期待のためか、前のめりな様子で使者は語る。
陸翔もお茶が好きだが、それほどに知識がある訳ではない。
ちらりと采夏に視線を移した。
陸翔の視線に促された采夏は少し迷うように口を開いた。
「白いというのは茶葉のことでしょうか? ……となりますと、白毫銀針かもしれません。白毫銀針の茶葉は、白く小さな毛に覆われていて、白く見えます」
と答える采夏の言葉ははっきりしなかった。
白毫銀針はその名の通り茶葉が小さな毛に覆われていて、茶葉の色は白く見える。それに、少々発酵させて作られる白毫銀針は、お茶の分類的には、『白茶』に分類されるので『白いお茶』という表現にも合っている。
青国のお茶は、基本的には『緑茶』文化で『白茶』である白毫銀針は珍しいお茶に当たる。そのため西方には流れていない可能性は十分にあった。
「では、是非、そちらを頂きたいデス」
ぐっと両手を組んで嬉しそうな使者の言葉に押される形で、采夏は頷いた。
(そうね、まずは振る舞ってから考えましょう。白毫銀針はとても美味しいお茶であることにはかわりないのですから)
飲んでもらえれば、違うかどうかは分かる。
そうして采夏は、数ある茶葉の中から白毫銀針を選んだのだった。
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