第42話貞は狂人と話す
しばらく貞は引きつった顔をしていたが、しばらくすると落ち着いてきたのか、ふうと小さく息をついた。
表情も先ほどと比べたらいくらか和らいできた。
「へえ、アタシが茶の木を育てるって言ったら、ここから出して命を助けてくれるってわけ?」
「まあ結果的にはそうなりますね」
采夏が微笑を浮かべて頷くと、貞は瞳を潤ませ胸の前で手を合わせた。
「ああ、なんてお優しいお妃様! この矮小なアタシをそこまで気にかけてくださるなんて……!」
貞はそう言って采夏への感謝の気持ちを伝えるようにまっすぐ目を見つめ頬を上気させ、かさついた唇の口角を上げて笑顔を浮かべる。
その感激している様からは、先ほどまで采夏を睨みつけていた者とは思えぬほどだ。
そして高揚した様子の貞は、再び目に力を込めて、口を開いた。
「なんて言うと思った!? 馬鹿にするのも大概にしなさいよ!!」
先ほどの笑顔から一転して、顔を歪めてそう罵る。
憎しみがあふれ出そうなほどに充血させた目。
それを見ながら、采夏は微笑んだ。
「馬鹿にできたら、どんなに良いでしょうか」
「は?」
「私は、貞様に嫉妬してるんですよ。本当に。無性に。叫び倒してしまいたいくらい。貴方が妬ましくてしょうがないんです」
「……」
また貞の時が止まる。先ほどから思ってもみないことばかりを言われて戸惑ってばかりだ。
「私は確かに、采夏岩茶が、おいしくなったのは、しばらく寝かせたり水に濡れたり、踏みつけたりしたのが良かったのかなと思いました。でもただそれだけ。貞様のように、発酵ということや、酒や他の食品と同じ原理にあるという考えには思い至りませんでした。しかも一口飲んでまだおいしくなると言う。私はこれで完成したと思っていたのに。貞様に言われて初めて、まだおいしくなる伸び代に気付く始末」
淡々と語りだした内容に貞が眉を顰める。
「だからなによ」
「だから、妬ましいのです。この茶葉をおいしくしたのは貞様のおかげでした。たまたまと言えば、そうですが、たまたまを生み出すその運こそが、どれほど尊いものか。私はこんなにお茶を愛しているのに、お茶は私を一番に愛してくれてない。そう言われているようでした」
「さっきからあんたの言ってること意味わかんないんだけど」
「茶飲みとして、陛下に及ばず。茶を作る者として、貞様に及ばず。ああ、本当に妬ましい」
そう言って、暗く嗤う采夏の顔は恐ろしいほど美しく、貞は思わずゾッとした。
本当に同じ人間なのだろうかとすら思えてくる。
先ほどからずっと采夏の言ってることが良く分からない。
今思えば、後宮で出会ってからと言うもの、この女の言動は意味が分からないことばかりだった。
「アンタ、狂ってる」
「ええ、良く言われます。茶狂いなのですって」
あっけらかんと自分が狂っていることを受け入れる。
その様もまた、狂っていると、貞は思う。
「あんたってさ、天女のふりした鬼でしょ。地獄に堕ちたら?」
「堕ちた地獄に茶があるのなら、喜んで行くつもりです」
「……無意識に人の気持ち煽ってさ。終いに意味不明な持論で人の未来決めようなんて、傲慢よ」
貞の罵りも、采夏にとっては気にも留めないものなのか、ずっと笑顔だ。
「それで、どうされますか? 私と一緒にお茶を愛してみませんか?」
そう問われて貞はしばらく無言を余儀なくされた。
采夏の狙いが分からない。分からないのだ。
どんなに罵ってみても、相手の反応は変わらない。
だからこそ、恐ろしい。
これでも貞は、後宮の妃として様々な女を見てきた。
ここに生きる女達の考えそうなことな大体わかる。
何を与えれば、自分に従うか。
何を奪えば、自分の操り人形と化すか。
何をすれば、相手が壊れるか。
底辺で生きていたことがあるからこそ、分かる。
だが、目の前にいるこの女については、その笑顔の裏に何を考えているのか、見えない。
それが恐ろしく、また悔しくて、貞は瞳を伏せて視線を逸らした。
「……いやよ。お前の情けなんて受けたくない」
「あら、ずいぶんと嫌われてしまいましたね」
おっとりとそう答える采夏の声には余裕がある。
それがやはり貞の癪に障る。
「当然でしょ? お前の思い通りになるぐらいなら、ここにいた(・・)方がいい」
貞はそう口にした。
情けか何か知らないが、良く分からない女の誘いにホイホイ乗るぐらいなら、自分一人であがく方がマシだ。
「……へえ。それは残念です」
采夏は、全然残念じゃなさそうにそう答える。
貞が顔を上げると、采夏は心なしか悲し気な顔を浮かべていた。
貞はそれにまた戸惑う。
そして、采夏は手を伸ばし、貞の牢のカギに手を伸ばす。
カチャリと音が鳴る。
「では、私はここで。また会えるといいですね」
そう言って、采夏はその場を去って行った。
戸惑う貞を残して、牢のカギを開けたまま。
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