第31話黒瑛はとある村にいきつく
采夏は、倒れていた男がどこから来たのか大体わかったので、地図があれば見せてほしいと言った。
坦がお茶を飲んだだけで分かるわけがないとぶつくさ言いつつも、この地方の簡易的な地図を広げて采夏に見せる。
「我々が今いるのは、この辺りだが」
地図を広げた但がそう言って、地図の左下の辺りを指し示す。
これから向かう龍弦村はここからさらに北西の方だ。
采夏は、しばらく地図を眺めてから、地図上のとある場所に人差し指を置いた。
川だ。
地図に描かれた北から南に流れる長い川をなぞる。
「倒れている方が水筒に入れていた水は、この川の水です」
「龍千川か。どうしてそうだと?」
黒瑛が地図を見ながらそう尋ねる。
「おいしいお茶を淹れるために、各地の名水を集めていた時期がありました。水の質によってお茶の味は大きく変わりますから。先ほど飲んだお茶の味から察するに水筒の水は龍千川の水に他なりません」
采夏の言葉に但が難しい顔をした。
「飲んだ水でどこの川か分かるとはにわかに信じがたいが、それは置いておくとして、この川は細く長いぞ。あの水筒の水が龍千川と分かっただけでは範囲が広すぎる!」
「その点も大丈夫です。お茶を飲んだ感じで、川のどの辺りの水なのかも分かります」
「分かるのか!?」
目を見開き驚く但に、采夏は頷いた。
「はい、お茶の味は、その水に含まれる不純物の量などに影響されます。基本的には上流の川の流れが激しい方の水は不純物が少なく、下流になるほど不純物が増えて水が硬くなります」
そう言いながら采夏は、地図上の龍千川を上から下へなぞってゆく。
「陛下、先ほどのお茶を飲まれた時、どのような感じを受けましたか?」
「どのような感じって……」
と黒瑛は言いながら、お茶を飲んだ時に見た幻覚を思い出していた。
小さな家に、穏やかな時間、近くには、安らげる人。
(吐きそうなほど甘い幻、だった気がするが……)
しかし今心に残るのは何故か苦い感傷の方が強い。
あの幻は、皇帝である黒瑛の身では、到底叶うことのない景色だった。
どうあがいても叶わないと知っている夢を見るのは、苦いものなのかもしれない。
そう思ったところで、黒瑛は気づいた。
(いや、あれが苦くて甘いって何言ってんだ。感傷に浸りすぎだろ! 大体あの時一緒にいた女は……)
何となく気まずい思いをした黒瑛は慌てて口を開いた。
「……龍井茶らしい甘さももちろんあったが、ちょっと苦かったな」
早口で黒瑛が答えると采夏はしかり、とばかりに頷いた。
「その通りです。さすがは陛下です。先ほどのお茶には、通常よりもきりりとした苦味を感じました。つまり……」
采夏が地図の龍千川の上流のあたりを指し示す。
「彼が持っていた水筒は、このあたりの川の水から汲んだものと思われます。不純物が少なく柔らかい水ほど、茶に苦みや渋みが出ます。つまり不純物の少ない上流の水でお茶を淹れると、よりくっきりとした苦味を感じやすく、下流の水では苦味がそれほど強く出ません。下流の水は甘さを感じやすいですが、苦味も含めてお茶の旨味ですので、味としては少し淡泊な印象になります。私のお勧めは、中流ですね。味がぼやけず、甘味と苦味の調和が絶妙です」
「な、なんと! お茶でそこまで分かるものなのか!? 適当なことを言っているのではないだろうな!」
「やめろ、坦。茶のことに関して采夏妃が嘘を言うとは思えん。まあ、普通なら考えられんが……采夏妃が言うなら、そうなんだろ」
「へ、陛下!? それほどまでに采夏妃をお認めになっているとは! 陛下がお認めになられているのならば、采夏妃がおっしゃることは正しいということでしょうね。流石陛下、人を見る目が天下一!」
「坦、お前のその盲目な感じに讃えるの、そろそろ恥ずかしいからやめろ」
黒瑛は心底疲れたような顔でそう言ったが、但には聞こえてないようでふむと唸って空になった茶杯を見た。
「それにしても私は、いつも飲む茶より甘いぐらいに感じてましたが……ううむ、しかし陛下まで苦いとおっしゃるなら、そうなのでしょう! 流石は陛下!! 陛下の舌は地上一!」
「おい、だからそれやめろって言ってんだろ。ていうか、俺が流石っていうか、茶を飲むだけでどこの川のどの辺りの水か分かる方がどう考えてもやべえだろ」
どんな時でも主を讃えるのを忘れない坦に呆れたように黒瑛は言ってから、改めて地図を見た。
采夏が指し示したのは龍千川の上流。
地図上ではその近くに村があるらしく名前が記されている。
北礼村(ほくれいむら)だ。
これから行く予定の龍弦村と少し離れているが、今いる場所から逆方向と言うわけでもない。
少し遠回りになるが、その村に寄ってから龍弦村に行くのでも時間的に問題なさそうだった。
采夏が一人で馬に乗れるということで、予定より早く移動できたことが幸いした。
「それじゃ、川の上流にある北礼村(ほくれいむら)にいくか。この男の家族や知り合いがいればいいが、いなかったらいなかったでそこに預けておいて俺達は先に進めばいいしな」
黒瑛がそう言って、龍功村を目指すことになった。
◆
山道を通って、三人は北礼村(ほくれいむら)にたどり着いた。
とは言っても北礼村は土嚢と石壁で周りを取り囲まれているため、まだ中には入れていない。
「妙に静かですね」
裸同然に倒れていた男を寝かせた馬を引きながら坦が言った。
先ほどから壁に沿って歩いているが、妙に静まり返っている。
塀の向こうは人の営みがあるはずなのだが、まるで何かを警戒するかのようだった。
「とりあえず門を叩いてみるか」
木の扉でしっかりと閉じられた大きな門を見つけて黒瑛がそう言うと、但が扉を叩く。
しばらくすると、うっすらと扉が開かれて門番が覗いてきた。
「何者だ」
門番からの警戒するような声。
(こんな山奥の村で何をそんなに恐れている……?)
黒瑛はいぶかしんだが、とりあえず馬の背に乗せている男に向かってあごをしゃくった。
「道中でこの男が倒れていた。この村の者ではないかと思って連れてきた」
黒瑛がそう言うと、門番の視線が馬に乗った男に移る。
そしてその目を見開いた。
「桂夕様!」
門番が飛び出してきた。
「どうして裸に!? 生きておられるのですか!?」
門番の慌てようを見るに、倒れていた男はこの村の出身者でかつそれなりの身分の者なのだと窺えた。
「おそらく追剥にでもあったんだろ。道端で拾った時にはこの有様だ。簡単に手当てはしたが、まだ意識は戻ってない。息はあるので生きてはいるが」
黒瑛が淡々と説明する間も、門番は倒れた男の容態を探るように脈を見たり傷を見たりとせわしない。
ざっと見た限り、黒瑛の言葉に納得できる部分が多かったのだろう。
慌てた様子で黒瑛に頭を下げた。
「ありがとうございます。とりあえず医者に見せなければ……! 誰か頼む!」
気づけば村の人達も集まってきており、門番の男と一緒に倒れていた男を馬から下ろす。
そうして男は、村人たちの手によって奥へと運ばれていった。
「よかったですね。あの方、こちらの村の出身の方みたいです」
采夏がそう言うと、坦が難しい顔をして顎の下に手を置いた
「ふうむ。本当にこの村出身者だったとは……。素性の知れぬ男の正体を見破るとはさすが陛下」
「なんでそこで俺なんだよ」
いつものやり取りを繰り広げたところで、門番の男が黒瑛のところに戻ってきて改めて頭を下げた。
「桂夕様を連れてきてくださってありがとうございました! どうぞ中へ! お礼をさせてください!」
「いや、気持ちは嬉しいが行くとこがあるんだ。悪いがここは遠慮させて」
「黒瑛様……!?」
黒瑛が門番の誘いを断ろうとしたときに、名を呼ぶ声に遮られた。
(ん? この声、聴いたことがある……)
黒瑛は、声のした方に顔を向け、そしてその場にいる人を見て驚愕に目を見開く。
片側だけの眼鏡に、まっすぐな黒髪、知的で整った顔立ちだが目の下に大きな隈のある不健康そうな顔。
「まさか、お前、陸翔か……!?」
龍弦村にいるはずの陸翔が、そこにいた。
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