第19話 ニュー・エラ・ビギン

「俺も年取ったかなぁ……。涙もろくなっちまっていけねえ」


 アベルの背中を見つめ続けていたギルディの頬を大粒の涙が奔っており顎で留まった涙がポトリと落ちる。それが地面を黒く染め、じんわりと範囲を広げていた。


「あいつを引き取ってから十年。豆ガキが随分とでっかくなっちまってなぁ。兄貴、お前の息子はここまで立派になったぞ」


 始めは兄の子であると仕方なく引き受けたアベルの世話。諸事情で家族を失った彼が初めてギルディの前にやってきたときには、無理をしているとはっきり見て取れるほどの作り笑いを浮かべていた。それからすぐに彼の商会で自ら手伝いを始めたアベル。子供らしい笑顔を浮かべ愛想よく振舞っていたが、作り笑いを一度見てしまっていたギルディにはかつてそれがあまりにも気の毒に見えてしまっていた。


 そんな彼が今では重大な力を手にして人々のために戦おうというのだ。実の父ではないが、彼の存在が誇らしくて仕方なかった。空を見上げるとその先にいるはずの彼の実の父に彼の成長を告げるようにぽつりとつぶやく。彼のつぶやきはきっとアベルの父まで届いた。そう信じたい。


 グスリと鼻を鳴らしながら頬に張り付く涙を拭ったギルディ。そんな感傷に浸っている彼のもとに社員が寄ってくる。


「社長。お手数ですが、すぐに確認してほしい書類が……」


「わかった。さあ、仕事だ! 今日もバリバリ働くぞ!」


 しかし、彼の背中にある社長という肩書は一切待ってくれない。それに先ほどの一件に巻き込んでしまったことのお詫びを関係各所にしなければならない。さらにラケルの集落関係でもやっておきたいことがある。やることは山積みだ。涙を拭い、気持ちを切り替え自分に言い聞かせるように喝を入れたギルディは寄ってきた社員の持つ書類を受け取ると、社長という職務を全うするため仕事を始めるのだった。


 そして彼が仕事を始め、アベルが旅立ってから数時間後の事。


「―――ちょー。―――ゃちょー!」


 集中していたギルディを引き戻すように外から声が響き渡る。か細くも耳に届き、どこか聞き覚えのある声に社長室に籠っていたギルディは窓から外の様子を窺った。


「社長! 遅くなりました!!!!!」


 通りの向こうから大声を上げながら駆け寄ってくるのはなんとアベル以外死んだと思われていた商隊の数人であった。その中にはアベルがオルガノ城砦に向かう道すがら言葉を交わしたものも含まれていた。


 彼らの存在に気づいたギルディ到底例えられないほどの衝撃で思考が停止し何も考えることが出来なくなる。十秒ほどたっぷりと思考停止したギルディの脳裏には、幽霊だろうかという荒唐無稽で口に出そうものならば小馬鹿にされかねない考えすら彼の脳裏には浮かんだが、社長室の扉を乱暴に叩く音が彼らが実際に生きていることを明確に証明していた。


「社長! 死んだはずの商隊の奴らがいくらか帰ってきてるんですけど!?」


 乱暴に叩かれた扉がギルディの返答の前に開けられ混乱した様子の社員が動揺した口調で言葉を紡ぐ。そこで思考が復活したギルディは冷静そうに、しかし隠しきれない動揺を言葉の端に残しながら社員に指示を出す。


「ああ、俺もビビってる。しょんべん漏らしそうだ。とにかく行くぞ」


 報告を上げてきた社員を尻目に、足早に会社の外に出たギルディは真っ先に彼らの存在を確認する。続々と生還者のもとに集まり再会を祝う社員や彼らの身内。そんな中でギルディはアベルと言葉を交わした男に事情を問いかけた。


「お前ら……、どうして……。てかどうやって……」


「社長。俺らも魔獣に食い殺されそうになったんですけどギリギリのところで王国の魔獣討伐部隊の人間に助けてもらって。それよりアベルは!?」


 手短にどうやって生き残ったかを伝えた男はアベルの安否を問いかけた。彼らはアベルが命を懸けて注意を引きつけたおかげで生き残ることが出来た。故にアベルは彼らの命の恩人。彼の勇気ある行動がなければ彼らは今頃魔獣の胃を通り越し、判別のつかない排泄物と化していただろう。その安否を心配するのは当然と言える。


 男の言葉を聞き安心し力が抜けたように肩を落としたギルディは呟くように男の問いかけに答えた。


「ああ、あいつは生きてるよ。長い長い旅に出てっちまったよ」


「そうですか、よかった……。というか旅? それってどういう……」


 ギルディの答えを聞いて頷き安心したように息を漏らす男。しかし、ギルディの回答は傍から聞いたらいろいろと端折りすぎているため意味不明である。当然男も理解できない者の一人であり首をかしげながら問いかけ返そうとした。しかし、それを遮るように周囲に声が響き渡る。


「あなた!!!」


 その声に反応した男は音の方向へ視線を向けた。そこにいたのは女性と小さな女の子。男の妻である女性と先月誕生日を迎えた娘であった。


 家族の存在に気づいた男は先ほど抱いた疑問を一時的に保留にすると一目散に駆け出し二人と抱き合い、その存在を噛み締めるように強く抱きしめた。


「ああ、生きててよかった……」


「俺も会いたかった。ごめんな、心配かけて……」


 感動の再会を果たした家族に視線を送ったギルディ。そんな彼に近づき肩を叩く存在があった。


「すまないが少し聞きたいことがあるんだがいいか?」


 肩を叩かれたギルディはそのほうに振り返り視線を向けた。そこにいたのは小柄な女性。そこまで身長の高くないギルディが見下ろせるほど、背丈が低い女性であった。


 しかし、そんな彼女の纏う気配は明らかに一般人とは異なっていた。近いものを上げるとするならばアベルの纏っていた気配。しかし、彼の纏っていたものよりもさらに洗練されており、全くの別物と言っていいほどのものである。素人目に分かるほど練りこまれ、高められた戦士の気配であった。


「あ、あぁ。もちろん構わないが」

 

 女性の持つ異質な気配に飲まれ動揺するギルディは、言葉に詰まりながらも女性の問いかけに答える。それを聞いた女性は気配をそのままにギルディに本題を投げかける。それは彼女の現在の目的であり、一月ほど前から探し続けているものであった。


「このあたりで妙な剣を持った人物を見ていないか。見ていたらその人物が行ったほうも教えてくれれば幸いなんだが」


「もしかしてヴィザリンドム様の事でしょうか?」


 ギルディが脳内で唯一思い当たる剣の名前を口走ると女は前のめりになってそれに興味を示した。


「それだ! その剣の持ち主はどっちに行った!?」


「それならつい数時間前にクリフォルのほうに行きましたが……」 


「そうか。情報感謝する」


 アベルの向かった方向を聞いた女性は小さく頭を下げるとすぐに背を向け歩き始めた。置いてけぼりを食らったギルディはぽかんとした表情のまま、立ちすくみ見送ることしかできなかった。そんな彼のもとに家族との再会を終えた男が駆け寄ってくる。女性を背中を指さすとどこか興奮した様子で彼女の正体を語り始める。


「社長、あの方が俺たちを助けてくださった魔獣討伐部隊の方です。確かあの女性は討伐部隊の隊長だって」


「討伐部隊の隊長!? てことは王国最強の神装使いじゃねえか!?」


 男の知らせた女性の正体にギルディは思わず怒鳴るような口調になってしまう。その存在は商人として情報を集めている最中何度も耳にしていた。彼らが住むユクリタ含めた土地を管理するグリシラ王国の魔獣討伐のための部隊という選りすぐりのエリートたちを纏める隊長であり、王国所属最強の戦士。アベルの持つヴィザリンドムと同じ、神装を扱い、真紅の爆炎で魔獣たちを焼き払うその姿は苛烈そのもの。


 それが小柄な女性であるとは知らなかったギルディは意外そうに小さくなった彼女の背中を見つめた。噂には聞いていても彼自身彼女のことは初めて見る。噂では二メートルを超えた筋骨隆々の女性であるとか、実は女性のように振舞っているだけの男性であるなどさまざまで、荒唐無稽なものから的を射ているんだがいていないんだがよくわからないものなどで溢れていた。噂には尾ひれがつくものとは言え、こうもおかしくなってしまっているとその見た目とのギャップに苦しめられる。


 感嘆の域を漏らしながら彼女の背中を見送ったギルディは同時に一抹の不安を覚えていた。ヴィザリンドムを探しているということはアベルを探しているということ。彼が何かしたのだろうか、もし何かしら無礼を働いてしまっていたのならとんでもないことである。


 しかし、冷静に考えてみれば顔すら合わせたことのないアベルを咎めようと思って追い回すはずがない。彼女の目的が何か別にあるということに気づくのは彼が仕事に戻って冷静になってからの話である。


 その一方で、聞き込みを終え、通りを歩く女性の隣に付き従うように男が並び歩いた。どこかヘラヘラとした雰囲気を纏ったまま彼女の隣に並んだ男はこれまた軽薄な口調で言葉を紡ぎ始める。


「いかがでしたか、隊長。追ってる神装の有力な情報は手に入りましたか?」


「情報が手に入った。それも特大だ。つい数時間前にこの街を出てまだ近くにいるらしい。急げばいくらでも追いつけるぞ」


「本当ですかねぇ。俺たち魔獣退治するからくねくね進んで足が普通より遅いですし。こないだも追いつけるって言って追いつけなかったじゃないですか。またクリフォルまで追いつけないんじゃないですかぁ?」


「グダグダいうんじゃない、鬱陶しい。そう思うんだったらすぐに出発するぞ。」


「えー、まだみんな飯食ってる途中だと思いますけど」


「お前が余計なことを口走るからだ。とっとと準備するように連中に伝えろ」


「ヘイヘイ、了解いたしました。あーあ、オジサンみんなに怒られちゃう」


 軽口を叩く男を一蹴すると、女は男に出発準備の指示を出す。それを聞いた男は軽く敬礼をすると女性の隣から離れ足早に他の兵士たちの居る場所へ向かって行く。


 残された女は彼の軽薄な態度に呆れたように溜息を吐くと頬を掻いた。そんな彼女の脳内に声が響く。


『フフ。相変わらず大変そうだな』


「あんなものは昔に比べればまだかわいいほうだ。それより神装の動きはどうだ」


『徐々にこの街から離れていっている。方角からあの御仁の言う通りクリフォルに向かっているようだ。あとこれは戯れのようなものだが、どういうわけか奴の雰囲気が変わった。どこか柔らかくなって復活直後は剃刀みたいだったが、今は昔に戻ったようだ。今代の所有者は前回ほどとは言わずともそこそこ優秀な人物らしいな』


「余計な話はいい。すぐに出発する」


『フフフ。相変わらずだな』


 虚空に声を響かせた女も男の向かった方向へ歩き始めた。





























 ユクリタを旅立っておよそ数時間が経過したアベルとラケルの二人。彼らはここまで一切の会話を交わさず、無言のまま進んでいた。理由は旅立つ前のあの出来事。あれが二人の間に言いようもないぎくしゃくとした雰囲気を作り上げていた。


 二人とも内心で負の感情を抱いていた。アベルは彼女を守るといったにも拘らず前に出ることしかできず、事態の収拾を測れなかったこと。ギルディにああいわれたとはいえ、納得しきれない部分はある。ラケルがついてくるといった以上、彼女を守るのは彼の使命であり、それが出来なかったのは不満でしかない。どこで発散すればいいかというのも内心で負の感情を育てる一因となっていた。


 一方のラケルは二人を余計なトラブルに巻き込んでしまったのではないか。アベルを困らせてしまったのではないかという心配を抱いていた。自分が母親と帰ることを拒んでしまったことでギルディに無用のトラブルを圧しつけてしまい、アベルに後顧の憂いを与えてしまったのでないかと不安になっていた。ただでさえ、面倒を見てもらいっぱなしであるにも拘らず最後の最後でどでかいトラブルを持ち込んだことが彼女を蝕んでいた。


 しかし二人ともこのままではいけないと理解していた。それはギルディも言っていた通りだろう。この問題は今日の日のうちに解決しておくべきであると二人とも察していたが、切り込むタイミングを失っていた。


 どうしたものかと考えながらお互いにそっぽを向いて歩く二人。そんな二人の視界の端に木々の間をすり抜けながら近づいてくる大型の生物が映りこんだ。野犬のような姿をした魔獣が二人を標的に駆け寄ってきており、今にも二人を餌にしてやろうと牙を剥いていた。


 それを確認した二人は即座にお互いの起こすべき行動を起こした。アベルは背にかけた剣を抜き、ラケルは木の陰に隠れるようにして魔獣から距離を取った。二人の準備が終わった直後、魔獣はアベルと接敵、戦闘が開始される。


 だが、覚悟を決めたアベルの前に一体の魔獣では正直相手にならない。じっくりと相手の動きを見極めると、剣の刃をしっかりと立て切り裂いていく。アベルが優勢のまま、五分も経たないうちに魔獣との戦闘は終わりドスンと倒れ伏した。


 魔獣との戦闘を終えたアベルは気を抜かずに周囲を注意深く見まわした。前回の戦闘では気を抜いてラケルを危険に晒してしまった。同じ轍は踏まない。十秒ほど見回してやっと魔獣が来ないことを確認したアベルは息を吐き出し肩の荷を下ろした。


 背中に剣を掛けたアベルが木の陰に隠れていたラケルに視線を送ると彼女と目が合う。


「……大丈夫?」


「あ、はい」


 身体に傷がないことを確認したアベルは念のため、本人に確認を取る。その問いに短く答えるラケル。二人の間に気まずい沈黙が流れた。


「あの……」


 その沈黙を破ったのはラケルであった。


「さっきは私のせいですみませんでした。あと……、ありがとうございました」


「いや、俺は何もしてないよ。こっちこそごめんね」


 ラケルの謝罪に対して謝罪を返すアベル。言葉を交えた二人の間に一瞬の沈黙が走るが、アベルが言葉を続けた。 


「俺、もっと頑張るよ。一人でもどうにかできるように、さ」


 頬を軽く叩いたアベルは笑みを浮かべながら改めて決心を見せつけた。その笑顔がこの問題がこれで終わりであると言っていることを理解したラケルは、彼の笑みに返すように笑みを浮かべた。


「はい! 私も頑張りますのでよろしくお願いしますね!」


 これでこの問題は終わり。そういう雰囲気が流れ、二人は改めて笑みを浮かべた。


「それじゃ、行こうか」


「はい!」


 二人は気持ちを新たにすると並び立ち再び歩き始めた。

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