第11話 ソードマン・ディサイド・フューチャー

 滞在した町で一悶着あったものの、特に気にすることもなく改めてラケルの村を目指すアベル。彼は以前よりもさらに注意深く周囲に気を配っていた。昨日ヴィザに聞かされた魔獣は神装使いにより強く惹かれるという話し。言葉通りに取るのであれば、アベルのもとには魔獣が他の人間よりも寄ってきやすいということである。つまりラケルをより危険に晒すということであった。せっかくここまで送り届けたというのにここで彼女が魔獣に襲われてしまえば今までの道のりがすべて意味がなかったことになってしまう。それだけは何とか避けなければならない。


 故にアベルはこれまで以上に周囲に注意を払う。物音一つにすら敏感に反応し、動くものがあれば魔獣ではないかと疑ってしまう彼は何も知らないラケルからすれば非常に奇妙に、不気味にすら見えているだろう。


「アベルさん。随分周囲を警戒されていますがどうかされましたでしょうか……。何かおかしなことでもあるのでしょうか?」


 心配そうな声色で問いかけてくる彼女に対し、アベルは眉間に皺を寄せると同時に唇をかんだ。というのも魔獣が自分に向かって襲い掛かってくるということを告げて余計な心配をさせるのではないかという不安があるからであった。

 

「いやぁね……。うん、まあちょっといろいろあってさ。もともとこの辺一帯危ないらしいし注意するに越したことはないかなって思って」


「そうですか……」


 誤魔化すようなたどたどしい口調で答えたアベルに対して訝しむような視線を送るラケル。そんな彼女の様子を見て何とか話を逸らすため、話題の方針を切り替えるための言葉を紡ぐ。


「それよりもう少しで村でしょ? どのあたりか案内してもらっていいかな?」


「あ、ええはい。ええっと、もう少し進んだあたりで大木が見えるようになるんですけど、そこから左にうっすら道が伸びているのでそこを道なりに進んでもらえれば大丈夫です。詳しくはついてから説明させてもらいますね」


「よろしく。それじゃ急ぐとしますか!」


 そういうとアベルは少しだけ歩む速度を上げる。それに追従するようにラケルも速度を上げた。それから十分ほどで彼女が示した大木に到着する。その横にはラケルの言う通り薄く道のようなものが出来ている。それを見て首を縦に振り、うんうんと声を上げるアベル。


 しかし、ラケルはなぜか眉間に皺をよせ首を傾げていた。理由は大木についている一枚の板。


「この木に看板なんてついてたっけ……? 十日前にはついてなかったと思うんだけどな……」


 誰にも聞こえないほどの小さな声で呟かれたその言葉はそのまま虚空へと消えていった。そんなことを知らないアベルは話の続きを始める。


「ここの左の道をまっすぐ進めばいいんだよね」


「はい。この道を道なりに進み続ければ村には到着できます」


「それじゃあ行こうか」


 彼女の言葉を聞いたアベルは短く一言添えると再び歩き始めた。しかし、歩き始めてすぐ、彼は森に起こっている異変を感じ取った。


 あまり森が静かすぎる。先ほどまで嘘のように木の葉の擦れる音が聞こえていたにも拘らず今ではどんなに耳を澄ましても聞こえない。不自然すぎる事態にアベルの警戒レベルが一段階上がったところでさらに状況は一変する。


 先ほどまで何も聞こえなかった森の奥から近づいてくる木々を薙ぎ倒すような音と地面を踏みしめる鈍い音。その二つの音はまっすぐに、そして恐ろしい速度でアベルたち二人に迫っていた。


「魔獣だ!」


 アベルたちが視認したのはイノシシのようにずんぐりとした肉体と鼻を持った、アベルと同じ高さほどの巨大な魔獣であった。ドスドスと地面を踏み鳴らしながら迫ってきており、二人に食らいつこうと鋭く並んだ歯を剥き出しにしている。


 一直線に走ってくる魔獣に対して回避行動を取ろうとするアベルは、横っ飛びをする直前、後ろに控えているはずのラケルにチラリと視線を送った。


 本来であれば即座に身体を動かし、少なくとも魔獣の進路から外れなければならない。しかし、彼女は医師になってしまったかのように身動き一つとらず、眼球すら動こうとしていなかった。このままで彼女は魔獣の餌食になってしまうと反射的に導き出したアベルは横っ飛びしようと踏み出していた身体の重心を無理やり後方に移動させると、半ばタックルのように彼女を自らの身体と一緒に押し飛ばした。彼女の身体はアベルに覆いかぶされるような形で地面に背をつけた。


 一方で猪突猛進という言葉の通りに一直線に進んでいた魔獣は進路上から二人が消えてしまったことで自身の肉体に急ブレーキをかける。二人から少し離れたところで停止すると首を動かすと二人に向かってギロリと睨みを飛ばす。


 アベルはそれを意識を割きながら下敷きになっているラケルの身体を揺する。


「ラケルちゃん? ラケルちゃん!?」


 しかし、ラケルはそんな彼の呼びかけに全く応えない。ただ体を震わせるだけで意識が外界と隔絶されてしまったかのように何のリアクションも見せない。


 だが、彼女の反応こそむしろ当然と言える。丸二日にわたって魔獣に追いかけまわされ続けた彼女にとって、魔獣という存在はもはや恐怖の対象でしかない。それはどんな大きさ、数、強さであるかなど関係なく問答無用で彼女の精神を蝕んでいく。精神に深く刻み込まれたそれは彼女を行動不能に陥れるには十分すぎるほどの効力を持っていた。


 彼女の見せた様子で魔獣という存在がトラウマになっていることを本能的に察するアベル。彼が一度ラケルから視線を外し魔獣のほうに視線を向けると、既に後ろ足で砂を巻き上げ突撃体勢を取っておりあと数秒もしないうちにスタートを切らんとしていた。先ほどと違って距離が非常に近い。判断を迷おうものならば、一瞬のうちに二人とも終わりである。


 そこからアベルの行動は早かった。ラケルの腰に手を回し力任せに抱き上げると突進の直線上から離脱しようとする。しかし、同じ手にかかるほど魔獣は鈍くはない。走り出したアベルを捉えた魔獣は一瞬のうちに鼻先をアベルの逃走方向にズラすと勢いよく走り始める。それと同時に弧を描くようにアベルに追従しており、もはや激突は時間の問題であった。


 器用に突進を曲げてきた魔獣に驚きながらそれでも全力で足を動かすアベル。それと同時に彼は自身の内側におり、こういったときに出てくるはずの存在に呼びかけた。


(ヴィザ、頼む! 俺じゃどうにもならん!)


 以前言われたことが脳裏によぎるアベルであったが、そんなことに構っている場合ではない。藁にすがる思いで内側の存在に呼びかけた。しかし、その呼びかけに応じる者はいなかった。


(ヴィザ!!!)


 先ほどよりも語気を強め内側の存在に呼びかけるが、それでも彼は答えず無言を貫く。一体どうしたのだろうか。そんなことを考える暇すらないほどに魔獣は迫ってきていた。あと五メートルほどもないところまで迫りアベルは足に全力を籠め大きく跳び上がった。その甲斐あって余程鋭角に曲がらない限り突進に直撃しない場所に逃げ延びることに成功する。


 しかし、まあそれは単に突進の軌道から逃れることが出来たというだけで魔獣から逃れることが出来たというわけではない。まるでアベルが跳躍して躱すことを予測していたかのように急停止した魔獣はアベルの跳躍した方向に後ろ足で蹴りを放つ。その蹴りはアベルを的確にとらえており跳び上がり空中にいるアベルには回避する方法がない。


 それでも彼は彼女を守るための行動を起こした。咄嗟に空中で身をよじると蹴りに背を向け、全身を硬直させ衝撃に覚悟を決める。


 そして、その直後彼の背中に蹴りが直撃した。同時に経験したことのない強い衝撃が彼の背中に奔り、アベルは短く苦悶の声を上げる。それと同時に呼吸が出来なくなり身体に力を入れられなくなってしまう。力を入れられなくなった彼の手から零れ落ちるようにラケルが地面に転がっていき、蹴られた当人は大きく吹き飛ばされた。


 吹き飛ばされたアベルは身体に残る痛みをこらえながら取りこぼしてしまったラケルに視線を送った。横たわった体勢から地面に手を着き上半身を持ち上げている状態で魔獣を見上げる彼女は恐怖で微動だにしておらず、口元だけが忙しなく喘いでいる。そして魔獣はそんな彼女をまるで勝ち誇るかのように見下ろしている。神装を持っているアベルには目もくれず。まるでお前の相手など容易いと言いたげに興味を示さない。


「ヴィ……、ザ……」


 助けを求めるようにアベルの口からか細く発された声であったが、それでも答えることはなかった。


 ここで、このタイミングでアベルは今こそが選択の時であることを理解した。目の前の命のために身を捨ててでも戦うか、それとも自分の身可愛さに目の前の命を見捨てて逃げるか。これからの一生を決める重大な決断を迫られていた。


―――さあ、どちらにする?―――


 彼の脳内に響き渡るヴィザの声。発せられていないにも拘らず響くその声を頭の中で反芻したアベルは、魔獣とラケルを視界に捉えどちらにするかを思考し始める。選択肢は二つ。ここで彼女を見捨てて戦わないことを選択するか、あるいは自分を犠牲にしてでも彼女を助けるために戦うか。


 だが、そんな選択はあってないようなものだった。一瞬のうちに答えを導き出したアベルの行動は早かった。


 痛みに悶えながら跳ねるようにして立ち上がったアベルは走り出すと同時に背中にかけた剣を抜き放つ。そして牙をむき出しにし今にラケルに食らいつこうとしている魔獣に対して投げつけた。突然の出来事に魔獣は反応することが出来ずに横腹に飛翔した剣に突き刺さる。傷口から血が噴き出し、痛みで悶絶する魔獣は後退る。


 その一瞬の間にラケルと魔獣の間に割って入るようにして立ち塞がったアベル。


「やらせねえ……。絶対にこの子は殺させねえ!」


 雄たけびと同時に手を開き前に突きだすと、魔獣の身体に刺さっていたヴィザリンドムが引き寄せられるように彼の手のうちに戻ってくる。戻ってきた剣を握り直したアベルは体の前に剣を構えると視線を一瞬ラケルに送る。すぐに魔獣に対して視線を引き戻したアベルは鼻息を荒く吐き出しながら牙をむき出しにし怒り狂う魔獣を強く睨みつけた。そして大きく息を吐き出し吸い直すと高らかに声を吐き出した。


「来いッ!!!」


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