第10話 ソードマン・ゲット・ロスト

 翌日、顔に当たる光で目を覚ましたアベル。彼は昨日の残りのスープを準備しながら、昨夜言われたことを思い返していた。スープの鍋を掛けている炎を見つめながら昨日の出来事を思い返すアベル。覚悟が足りないと言われ何も言い返すこともできなかったのを最後に気づけば朝になっていた。


 確かに彼にとっても魔獣というものは因縁ある対象である。そうでなくても誰かを守ることが出来る力が手に入るのであれば少なくとも損をすることはない。戦うため、守るためとしての力をつけるのであればヴィザリンドムという存在はこの上ないほどに素晴らしいものだろう。


 しかし、それでも彼の覚悟は決まらない。まだ魔獣に対して剣を振るおうと思えるほどの気持ちを抱くことが出来なかった。だが、彼は昨夜覚悟を決めるようにヴィザに急かされている。長々と引っ張るわけにはいかない。果たして自分は剣を握り魔獣と戦うべきなのだろうか、それともこのままヴィザとの短い付き合いを終え今まで通り叔父の会社で働くべきなのだろうか、アベルは二つの狭間で揺れ動いていた。


 これからのことを考えながら火にかけた鍋を見つめるアベル。震える水面を見つめながら未来のことを考える。故に目は鍋を見ていても意識で捉えることはできていない。故に鍋の状態に全く気付くことが出来ない。


「アベルさん! 鍋鍋! スープ沸騰してますよ!」


 外界から隔絶された彼の耳に入ってくる焦りの声でやっと意識を取り戻したアベルは目の前で火にかかっている鍋に意識を向ける。鍋の中身は完全に沸騰してしまっており、グツグツと音と泡を立てながら蒸気を上げている。その影響でかなり中身が減ってしまっており、何処か焦げ臭い匂いすら発している。


「やべっ!」


 目の前に光景に反射的に取っ手に手を掛けるアベル。だが鍋は長々と火にかかっていた。当然、それにつながる取っ手にも本体から熱が伝達される。故に取っ手は鍋と同程度まで熱を持ち、とんでもない熱量を帯びることになる。


「あっづっぅ!!!」


 反射的に素手で掴んだアベルの皮膚を無情にも焼き尽くそうとする取っ手を、悲鳴を上げながら離すアベル。彼の手のひらは真っ赤に腫れあがってしまっていた。


「わわわっ! ひ、冷やす用のお水取ってきます!」


 腕を押さえながら火傷の痛みで苦悶の声を漏らすアベルを見て、ラケルは慌てて井戸に走り始める。一人取り残されたアベルは火傷の痛みに耐えながら布を駆使して火から鍋を下ろす。しかし、やはり手のひらは痛いのか、苦悶の表情を浮かべている。そんな彼の脳内に響く声。


『バーカ』


 何とも気遣いのない短い言葉であった。この言葉を残した脳内の存在はすぐに存在を消す。存在を消した彼にアベルは反論の一つも言えないまま、火傷の痛みに耐えるのであった。


























「だ、大丈夫ですか……?」


「うん……。さっきの村でかなり長い時間冷やしたし、薬ももらったから。それにもう少しで到着だから足を遅らせるわけにはいかないしね……」


 手のひらに布をグルグルと巻いているアベルを心配そうに見つめるラケルとそれに対してあえて明るく振る舞って見せるアベル。ただでさえ、スープを半分以上ダメにしたうえ、出発時刻を遅らせてしまっているため、火傷の痛み程度で足を止めるわけにはいかない。


「あと半日もすればムルに付くからそこで一泊してそのまま村まで送っていくよ……」


「本当にわざわざ送ってもらってしまってありがとうございます……」


 火傷の痛みで弱弱しくなっているアベルと罪悪感で弱弱しくなっている二人の間にどことなく重い空気が流れる。そのままの空気で半日以上歩き続けた二人は目的地であるムルという小規模の町に到着する。一般人では乗り越えられない高さの壁に囲まれたそこに入った二人はいつものように宿を見つける。


「今日も同室で大丈夫です!」


 昨日のラケルの言葉に圧されたアベルは再びベットが二つの部屋を一つとり、宿の確保を終えた。残るは夕食であったが、手のひらの火傷のこともあり鍋を握ろうとはとても思えない。


「今日は料理って気分じゃないし……、外で食べよう」


「はい、喜んで!」


 手のひらにチラリと視線を落としたアベルは隣に立つラケルに外食の提案をする。その提案に好意的な返事をする返したラケルは部屋に荷物を置いて外で食事をとれる場所を探す。


 二人はこの後すぐ食事処を見つけ、そこで食事をしながら太陽が沈んでいく時間を過ごしていると店の中で妙な言葉が耳に入る。


―――街のそばで魔獣が人を襲っている―――


 店の中で小さく響いたその声を耳で聞き取ったアベルは、声の主を探すと椅子から腰を上げその人物に声をかける。


「なあ、さっき魔獣が人を襲ってるだのなんだの言ってたけど」


 アベルの声掛けを受けた男は突然声をかけてきた彼に対して一瞬驚いたような様子を見せるが、すぐに立ち直ると彼の問いかけに応える。


「ん? ああ、あんた旅人なのか。最近、このあたりの魔獣が妙に活発になってるみたいでな。街の人間や旅人が何人も襲われて命を落としてるらしいくてな。とはいえ壁の内側には入って来られないみたいだからこの中はとりあえず安心だがな」


 男の答えに納得したように首を縦に振るアベル。商隊で行動している時にも何度かこの街には来たことがある。街に入ってくるとき、普段開いているはずの門が閉じられていたのはそのためだったのだと納得した。首を縦に振りうんうんと首を振ったアベルは男に礼を言うと元居た自分の席に戻った。


 彼が自分の席に戻ると離れる前と状況が異なっている。一人で残してしまったラケルの他に二人の男が座っていた。その男たちは積極的にラケルに声をかけており、どうやら彼女が目的で同じ卓についているらしい。しかし、ラケルは彼らの行動を受けて表情を歪ませている。当然彼らに同行することも本意ではない。そんな彼女を見たアベルはその卓に割って入る。


「なあ、俺の連れに何か用か?」


 突如として割って入ってきたアベルに、気づくと同時にパッと表情を明るくさせるラケルと敵意を向ける二人組。アベルにジロジロと視線を送った二人組は立ち上がると立ち塞がるように彼の前に並び立つ。


「あぁ~、このかわいい子のお連れさん? ちょっと借りてってもいいか? まあ、返事は別にどっちでもいいんだけどさ!」


「いいわけないだろ。俺の…………、俺たちの連れだぞ。振る舞いだけの三下はとっとと帰れ」


「あぁ!?」


 二人組の脅すような口調に全く怯むことなく、は逆に挑発するような言葉を投げつける。しかし、それを二人組が受け入れられるはずもない。怒りを露わにするように声を荒げるとアベルに詰め寄っていく。


「チョーシこいてんじゃねえぞこらぁ!」


「俺たち魔獣殺しの冒険者だぞ!」


 二人組は周りを気にすることなく大声でアベルを恫喝する。その様子を見て周りの客は冷ややかな視線を送り、渦中のラケルは怯えたように体を縮こませる。詰め寄られる本人からすればたまったものではないだろう。しかし、そんな二人の行動はたったの一言で収められる。 


「黙れ」


 決して大きな声でないにも拘らず二人組の怒声の間に割って響いたその声は、まるでそれだけで人を殺せるのではないかと錯覚させるほどの重圧を放っていた。店すら倒壊するのではないかと思わせるほどの威圧感を孕んだ一言に二人組だけでなく店内全ての人間の行動が停止する。そのうちに一人であるラケルもアベルに視線を向けた状態から、身体をピクリとも動かせずにいた。そんな彼女にアベルはチラリと視線を向けると二人組に向けた言葉を続ける。


「小さな村のお山の大将風情が。の言うことが聞けないとでも?」


 続けて発せられた彼の言葉で店内の重苦しい重圧が解け、店内の人間の行動制限も解ける。当然二人組の行動制限も解けており、二人組は悔しそうに舌打ちを打つと逃げるように店内から消えていった。


 二人組が消えたことで安心したラケルは、緊張が解けたように肩を落とすと大きく息を吐く。その一方で二人組を追い返した張本人であるアベルは呆れたように大きく溜息を吐くと同時に口を開く。


「おいヴィザ。何も言わずに俺の身体勝手に乗っ取るなよ」


『あれで事が丸く素早く収まったんだから問題ないだろう』


「確かにそうだけどさ。もうちょっと威圧感なく対処できなかったのかよ」


『あの手の手合いは上下関係をはっきりと理解させてやるのが一番だ。お前だって獣と言葉でわかり合おうとは思わないだろう?』


「獣って……」


 勝手に体の制御権を奪い、二人組の対応をしたヴィザに文句を言うアベルであったが、彼の対処で事態を素早く収集することが出来た。そこに関して感謝しているアベルは文句もほどほどに改めてラケルの対面に座る。


「ごめんね。威圧しちゃって」


「い、いえ。あの二人にお帰りいただくためでしたから」


 罰が悪そうに苦笑いを浮かべながら小さく謝罪する彼に対して、返すように小さく頭を下げるラケル。お互いの謝罪で事態が収拾した二人は食事を再開した。


 食事を終えた二人は宿に戻るために月明り照らす道を進む。その途中、先ほど店で聞いたことを思い出したアベルは何か知っているだろうかとヴィザに問いを投げた。


「なあ、最近この辺で魔獣の行動が活発になってるらしいが、何か心当たりあるか?」


『そりゃお前、俺が目覚めたからに決まってるだろ?』


「はい?」


 脳内に響く、当然と言わんばかりの軽い口調が理解できなかったアベルは、反射的に気の抜けた声が出る。そんな彼を他所に声は続けて脳内に響く。


『魔獣っていうのは人を殺して食うようになっている。その中でも特に神装を持ってるやつを集中して襲うようになってる。俺が二百年ぶりに目覚めてお前が俺を所持している。当然魔獣はお前を狙って活発になる。それに反応して周りの魔獣も活発になるのは当然だろ?』


「お前そういうことはもっと早く言えよ! めちゃくちゃ重要じゃねえかよ!?」


『この程度は神装使いには常識だ』


「俺はつい一週間前までただの一般人だ!」


 突如として声を荒げたアベルの声にラケルはビクリと肩を跳ね上げ、彼のほうに視線を向ける。それに気づいたアベルは手で彼女を制すると再び脳内の声に耳を傾けた。


「それじゃ、俺はラケルの村の近くまでいかないほうがいいのか?」


『ああ、近くに行って魔獣が村に入ったらその村に奴らじゃどうすることもできないだろうな。近くまで行ってもお前は村には入らないほうがいいだろうな』


「じゃあ、あとで伝えておくべきか」


 ヴィザとの相談で方針を決めたアベルは、困ったように大きく溜息を吐き後頭部を乱暴に掻いた。


 宿に辿り着いた二人はそのまま中に入ろうとする。が、扉を開け足を踏み入れようとしたところでアベルは視線を感じ振り返り周囲を見回す。


「アベルさん、どうかしましたか?」


「いや……、なんかみられてるような気がして……。ま、いいか」


 しかし、気のせいだと納得させたアベルは改めて宿に足を踏み入れる。そして自分たちの部屋に戻ると二人はすぐにベットに入り眠りに落ちるのだった。

























 月が頂点に上り、街が寝静まる時間。深い眠りについていたはずのアベルの身体がユラリと起き上がる。そのまま無言でベットから降りた彼の身体は幽霊のような動きで部屋から、そして宿から出る。月明り以外の光がない中で宿の前で佇む彼の身体は膝を曲げ小さく溜めを作ると音もなく大きく跳び上がった。


 その一方で宿から少し離れた路地でささやき合う二人の男。彼らはアベルが食事をしていた店でラケルに絡んだ挙句にヴィザに追い返された二人組。彼らは恫喝したにも拘らず、彼の覇気に圧された末に追い返され恥をかかされたという理由で目を付けたラケルを誘拐しようと企んでいた。


「寝てる間に殺してあの女を攫うぞ」


「社長もあの村の女を回収できなかったって言ってたから俺たちが女連れて帰っていったらきっとめちゃくちゃ評価上がるぜ」


 彼らは社長と評する男に褒められ金品をもらい女を侍らせている自分を想像し下卑た笑みを浮かべていた。彼らの手には睡眠薬と短剣、ロープが握られており誘拐するための道具が揃っている。このままいけば二人は彼らの手にかかってしまうだろう。


 しかし彼らの目論見はアベルが夜の町で駆けだした時点で破綻している。それでいて駆け出したアベルに補足されている彼らの妄想が果たされることはない。


 跳び上がり屋根の上を走っているアベルの身体は二人を発見すると背中の剣を引き抜くと切っ先を彼らの向けたまま屋根の上から飛び降りる。全体重の乗った突きに油断しきっている彼らの身体が耐えられるはずもない。二人組の片割れは剣の切っ先に貫かれると同時に肉片を周囲に散らばらせる。


「なっ!? お前っ!?」


 片割れが殺されたことを反射的に理解したもう一人は咄嗟に声を上げるが、その言葉を最後まで紡ぐことが出来ないまま、横薙ぎに振るわれた剣に真っ二つに切り裂かれる。力なく倒れこむ下半身とボトリと落ちる上半身。無言のまま、見下すような視線で二つの死体に見つめたアベルの肉体は剣に着いた血を振り払うとすぐにその場を離れていく。


 翌日、二つの惨殺死体が発見されるが夜更けに音もたてずに起こった出来事であったため、手掛かりは見つからなかった。眠りについていて何も知らないアベルも他人事のように軽くその出来事を流すのであった。

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