第4話 アイム・ミート・アンノウン
地面に向かって刺さる剣に向かって手を伸ばし、ズリズリと身体を引きずりながら移動するアベル。そんな彼の足に容赦なく魔獣は噛みつく。ふくらはぎに牙が刺さりアベルの足に激痛が走り、声にならない声を上がる。だが、ここで抵抗を諦めば、アベルの命は魔獣の糧となる。
身体中に残る力をすべて凝縮すると、最後の抵抗として魔獣の鼻面に向かって蹴りを繰り出した。引き絞られた矢のように弾き出されたアベルの蹴りは強烈に魔獣の鼻面に突き刺さる。その衝撃でたじろいだ魔獣は閉じていた口を開きアベルの足を離してしまった。
最後の抵抗で自由を勝ち取ったアベルは最後の力を振り絞り、身体を持ち上げると地面に刺さる剣に手を伸ばし、縋るように両腕で抱きしめた。
アベルが剣が触れた瞬間、魔獣は鼻面を蹴られた怒りで牙をむきながら彼に跳びかかる。それはアベルの視界でも捉えていた。すぐさま剣を引き抜きその切っ先を突きつけようとする。
が、引き抜くことが出来ないどころか予想だにしない出来事が起こる。魔獣の動きが急激にスローになっていく。その身体になびく毛並み、牙の隙間から流れ出る唾液、その他含めたすべてがはっきりと視認できるほどの速度まで。しかし、そこまで遅くなっても時間の遅延が収まることはなく、さらにその速度はさらに遅くなっていく。そして、やがて完全に停止してしまった。鼻先が触れるほどの距離で停止する魔獣。アベルは何が起こっているのかが全く理解できないまま、剣に縋り付いていた。
一体何が。そう思考を巡らせようとしたところでアベルの身体に異変が起こる。身体全体が振り回されたかのような無重力感に包まれる。直後、思考の輪郭がぼやけていき、考えたいことが全く纏められなくなる。それどころか何を考えたいかすら分からなくなり、最終的にぼやけた視界で魔獣の鼻先を見つめることしかできなくなっていく。
完全に思考力が奪われたところで彼の視界は白い世界に飲み込まれていく。抵抗しようにも身体を動かすどころか瞳を動かすことすらできない。抗うこともできずに白い世界に飲み込まれていくアベル。彼の視界が完全に白に飲み込まれたところで、彼の意識も視界のように白に飲み込まれ、肉体のすべてを放棄させられた。
白の世界に飲み込まれたアベルの意識がゆっくりと浮上を始める。意識が半分ほど覚醒したところで今自分が魔獣に襲われていることを思い出し、強制的に意識を覚醒させた。反射的に腰を落とし行動できるような態勢を取ると、目を見開き周囲を見回す。
しかし、彼の目の前で止まっていたはずの魔獣は彼の前から姿を消している。それどころか彼の身体に刻み込まれていたはずの傷が失われていた。
自分の身体を見回したアベルは改めて周囲を見回した。彼の立っている場所も先ほどの薄暗い地下ではなく、太陽の光差し込む湖の水面へと変化していた。水面に立っていることに一瞬驚くアベルであったが、驚いたところで立っているという事実が変わることがない、と自分を無理やり冷静にした。
自分の身に何が起こったのだろうか。そのことに思考を巡らせようとするアベル。しかし、そんな彼の行動は背後から響いた声によって中止させられる。
「クク……。やっと戻ってきたか相棒。俺を突然地下に仕舞い込んじまったときには一体何事かと思ったが、ようやくまた会いに来たか」
今まで誰もいなかったはずの空間から響く男の声。アベルは声の主を確認するために、勢いよくその方向に振り返る。
そこに立っていたのはアベルと同じくらいの体格で白いコートのようなものを羽織った男性。彼は腕を組みながらアベルに背を向け仁王立ちをしている。その男はアベルに背を向けたまま、再び言葉を紡ぐ。
「さて、今度の相手はどんな奴だ? 久しぶりにお前に俺の力を貸してやることにしようか」
言葉を紡ぎ終わった男はゆっくりとアベルのほうに振り返った。アベルはそこで初めて男の顔を見た。きれいに整った顔につり上がった目がアクセントになっており、銀髪が一つ一つの動作で小さく揺れる。間違いなく美男子といえる容姿であった。
そんな彼の顔がアベルの顔を見た瞬間に歪んでいく。眉間に皺をよせ、唇を真一文字に結ぶ。同時に首が傾いていき、次第に一文字に結んだ口が開いていく。
「……誰だ?」
最終的に男の口から飛び出したのは、アベルの正体を問いただす言葉であった。首から上で戸惑いと疑問を表現する男に対してアベルはどう返答していいか戸惑い、口を閉ざす。
「え、アグリスの奴じゃないのか? え?」
徐々に疑問の色を強めていく男に対して、アベルも彼に対して問いを飛ばした。この状況で問いを飛ばそうものならば余計に話がややこしくなりそうであるが、アベルも自分の身に起こった事態に混乱しており、そこまで頭が回っていない。
「逆にあんたは誰なんだ?」
目の前で首をかしげている男に対して問いを飛ばすアベル。そんな彼の問いかけを聞き、男は急に不機嫌そうな表情へと変貌し、アベルを睨みつけた。
「おいおい、この世界にたったの十人しかいない俺の存在を知らないだと? どうやらお前よっぽどの世間知らずみたいだな」
「は? って十人しかいないってことはまさか!」
「やれやれ、……どうやらお前の身体はよほどのピンチみたいだな。 あいつ以外に力を貸すなんぞ癪で仕方ないが、力を貸すと言ってしまった以上言葉を撤回するのはメンツにかかわる。力を貸してやろうじゃねえか」
アベルの言葉を他所に目瞑ったかと思うと口を開き、言葉を紡ぐ銀髪の男。目の前で混乱するアベルの肉体の置かれた状態を確認した男はゆっくりを目を開いたかと思うとアベルに向かって手のひらを差し出した。直後、差し出されたそれから突然閃光が発せられる。その眩さに思わずアベルは腕全体で顔を覆い隠し、閃光から自分を守ろうとする。
「さあ、久しぶりに俺が力を振るうぞ。神の剣技をその身で体感しろ!!!」
アベルに鼻面を蹴り飛ばされたことで怒り狂い、牙をむいた魔獣は容赦なくアベルに襲い掛かる。まともに動くことのできないアベルはまともに抵抗もできずに魔獣にその頭を食い壊され残された胴体から血をまるで噴水のように噴き出すことになるはずであった。
しかし、その未来が訪れることはなかった。そしてこれからもそんな未来がくることはない。
大きく開いた口をアベルの頭に狙いをつけ、一瞬あれば噛み砕けるところまで差し掛かる魔獣。アベルの頭が完全にその断頭台さながらの口に入ったところで魔獣は勢いよくその口を閉じる。その威力はトラバサミなどといった罠などとは比較にならないほど強力。噛みつかれようものならば、彼の頭は噛み砕かれ脳漿は飛び散り、胴体と泣き別れを果たしていただろう。
しかし、魔獣の口に頭を噛み砕いた感触は訪れない。あるのは歯同士がぶつかった感触と、ガチンという耳障りな音であった。剣を杖代わりとして立っていたほどに消耗していたはずの男に、あの一瞬で回避できるよう力が残されていないことを本能で察していた魔獣はいったい何が起こったのか理解できないまま、反射的に周囲を見回そうとした。
しかし、なぜか彼の体は動かない。首を振ることが全くできないどころか、耳を動かすことすらできない。代わりに彼の体はストンと重力に従って落ちる感覚を覚え、同時に視界が先ほどより地面に近くなる。
それがリーダー格の魔獣の最期の瞬間であった。地面に落ちた感触を最後に絶命し、残されることになった肉の塊から血が流れ出ていく。
その傍らで剣を振りぬいた低い体勢で立つアベル。しかし、彼の纏う雰囲気は先ほどのものとは全く違っていた。
「あん? 何だこの体、ズタズタじゃねえか。これじゃ全力で剣が降れねえじゃねえか。……まあ、それでもあの魔獣殺す程度には振れるか」
自分の体を見回したアベルの肉体は不満そうな言葉を発し呆れたように溜息をつくが、すぐに剣を握り直し残る二体の魔獣に視線を向けた。二体の魔獣はリーダー格が殺されたことをすぐに察知し、アベルの体を向くと牙をむき、唸り声で威嚇をしていた。その威嚇をものともせず、アベルの体は剣を肩に担ぎ体勢を低くすると、挑発するように指を二、三度曲げ伸ばしする。
「かかってこい畜生共。てめえらのその喉笛切り裂いてやる」
その声が合図となったように魔獣は同時に走り出した。挟み込むような形で距離を詰めてくる魔獣。アベルの肉体はその動きに対応する。あえて一方の魔獣に向かって全力で走り始めるとその手に持つ剣を握り直す。二者の距離が近づいていき、両者の制空権が降れる。
その瞬間、両者は攻撃に移った。魔獣はその人間以上の巨躯と突進の威力を乗せたタックルでアベルの肉体を吹き飛ばそうとする。がアベルの肉体はそのタックルの軌道から外れるように横っ飛びをする。そして側面に周りこむと同時に剣を斜め下から振り上げ、胴体に深く切れ込んだ。さらに魔獣の胴体に食い込んだ剣を横薙ぎに振りぬき、タックルの勢いと合わせて魔獣の胴体を横一文字に切り裂いた。
悲鳴を上げる間もないほどの超速の連撃で一瞬のうちに絶命する魔獣。しかし、まだ油断はできない。もう一匹、残された魔獣がアベルの肉体向かって走っている。同胞を殺されたことで怒り心頭の魔獣は走る速度をさらに上げ、猛然とアベルの肉体に突っ込んでいく。
しかし、それでは思うつぼである。剣から血を払ったところで即座に反転すると、魔獣の直線状に剣を水平に設置する。おおよそ突きの体勢である。そしてある程度距離が詰まったところで魔獣に向かって突きを打ち放った。最高速で駆けていた魔獣に重大なダメージを追うことを避けられても、完璧に回避を行う余裕はない。突き出された剣の軌道から逃れることができないまま直進した魔獣は、その剣の切っ先に前足の付け根を貫かれる。その影響で体勢を保てなくなり、顎の下を擦りながら前のめりに倒れこむ魔獣。
一方アベルの肉体は切っ先が前足の付け根をえぐると同時に首の側面に回り込んでいた。そして倒れこみ一瞬身動きが取れなくなったところで、アベルの肉体は剣を振り上げると、それを勢いよく振り下ろし魔獣の首に突き立てた。いくら魔獣の肉体が強靭だといっても全力の剣檄を受け止められるだけの強度はない。首に突き立てられた刃は首元を容易に切り裂くと、地面ごとえぐりながら魔獣の頭と胴体を泣き別れさせた。
「久しぶりにやったが、まあそこいらの有象無象なんぞこの程度か。相手にもならんな」
傷を負うこともなく、三体の魔獣を瞬殺した張本人は、そのあっけのなさに溜息を吐くと剣を地面につき体重を預けながら愚痴をこぼした。
『なあ、あんたまさか……』
ここでアベルの肉体内部に声が響き渡る。声の主は肉体の制御を取られたアベル。彼は自身の肉体の制御を取って華麗に魔獣を倒した張本人の正体を問いかけた。
「あ? あぁ、この俺こそが!」
自身の肉体の内部から発せられた声を認識したその張本人は声高らかに宣言する。
「世界を管理する十柱のうちの一柱! そして十振りのうちの一振り! 魔神剣ヴィザリンドム様だ!」
そう宣言した彼は地下中に響き渡る声で高笑いを上げ始めた。
剣の中に眠る人物、もとい剣そのものである張本神。彼こそが、この世界を管理する神々、十柱のうちの一柱。剣へと姿を変えた魔力をつかさどる神、ヴィザリンドムであった。
アベルが神装の一本を手に取り、ヴィザリンドムが目覚めたその時。世界に散らばる残りの九振りの使い手は一斉にその事実を知ることになる。誰から教えられたわけでも、それこそ相方に教えてもらったわけでもない。しかし、彼らは持ちうる感覚のすべてが敏感に反応し、最後の一人が目覚めたということを感じ取っていた。
その反応は九人九色。あるものはいずれ強敵となって自分の対戦相手となることに対する好奇心。あるものはどう動くかを慎重に予測し、それを踏まえたうえで行動を起こすもの。あるものは目覚めに対して一切の興味なし、面倒を持ってこなければ好きにやってくれといったスタンスを見せるもの。様々な反応を見せた。
無論、アベルと彼らはそれが運命であるかのように交わることになる。脈々と歴史に名を刻み続けてきた神装使い。彼らが接触したとき、どんな化学反応を見せるのかそれが分かるようになるのは先の話である。
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