第173話胸騒ぎと提案


 五年生に進級したレセリカは、前年度よりも遥かに平和な学園生活を送っていた。


 シィ・アクエルという水の一族、そして一般科を騒がせつつあったフレデリックの二人が学園から去ったことは大きい。

 とはいえ、シィが学園内に何かを残していった可能性が高い以上、完全に気を抜くことは出来なかった。


「レセリカ様、次は移動教室ですよね。お供しますよー」

「ありがとうございます、ジェイル」


 一般科に在籍するレセリカは、相変わらずジェイルの護衛がつけられている。


 前年度に騎士科を主席で卒業したジェイルは、本来であれば本格的にセオフィラス付きの護衛になる予定だった。

 しかし、他ならぬ心配性なセオフィラスの指示でレセリカが卒業するまではレセリカの護衛を任されているのだそうだ。


「どうせ、今後はずーっとセオフィラスの護衛を務めるんです。今のうちに貴重なレディの護衛を堪能させてもらうんで!」


 本人はこの調子で、全く気にした様子はない。ジェイルの本心としては、セオフィラスの大切な婚約者を守ることに密かに使命感を燃やしているのだが、それをレセリカに悟らせる男ではない。


 ちなみに、一般科という経験したことのない授業をついでに覗き見ることが出来るのも楽しみの一つだったりする。


(驚くほど平和ね)


 前の人生でヒューイを奴隷にしたアディントン伯爵も、爵位を剥奪されるのではという噂であるし、フローラ王女の事件の容疑者であるシンディーは処刑された。


 特に、前の人生でセオフィラスを暗殺することになったシンディーがいなくなった今、不安材料はなくなったと言えなくもないのだが。


(なぜだか、不安が残るのよね。未来は変えられたって、思いたいけれど……)


 もしかすると、前の人生でセオフィラスが暗殺されることになる日を、今の人生ではまだ迎えていないから不安なのかもしれない。


 レセリカはそう結論を出して、ため息を飲み込む。


(気を張り過ぎる必要はないかもしれないけれど、後悔だけはしたくないわ)


 その思いが、レセリカを今もまだ思考の渦に沈ませているのだ。


 シィ・アクエル。


 その場にいなくとも、学園に、あるいは学内の人に何か仕掛けをしたのではないか。

 ただそれを見付けるのは至難の業だ。全校生徒に、シィとどんなやり取りをしたのかを聞いて回るわけにもいかないのだから。


 シィは占いをしており、それは女生徒の間で大人気だった。

 彼と接触した生徒は数多くいて、その内の誰か、もしくは接触した生徒全員に何かしらを吹き込んでいる可能性があった。


 思いもよらぬ物や場所に、毒を仕込んでいることだってあり得る。


(考え出したらキリがないわ。どうにか手掛かりを絞り込めたらいいのだけれど)


 ただ彼は、学園に滞在する時の契約として教師らしからぬ行いは封じられていたし、危害を加えるようなことは出来なかったはず。


 それでも、妙に胸騒ぎがするのだ。


「直接、聞ければいいのだけれど……」


 ある夜、寮室でレセリカがポツリとそう漏らすと、すぐにヒューイが姿を現した。


「じゃあさ、呼び出すか?」


 あっけらかんと告げられたその言葉に、レセリカは思わずきょとんとしてしまう。


「依頼人として呼ぶんだよ。金さえ積めば、水の一族は喜んで来るぞ」


 それは確かにそうかもしれないが、そんなことが可能なのだろうか。

 ちらりと側でお茶を淹れてくれているダリアに目を向けると、来ると思います、というなんとも軽い言葉が返ってくる。


「で、でも、依頼したいことがあるわけではないわ」

「そうか? 情報の提供ってのも、立派な依頼だと思うけど。まぁ、確かに水の一族に頼むような依頼ではねーけどさ」


 風の一族であるヒューイにとっては、情報提供は立派な依頼だ。むしろメインと言ってもいい。


 そもそも、自分が掴んだ情報を売るのはどこの世界でも当たり前に行われていることなのだ。ヒューイにとっては何をそんなに戸惑うのかわからない、くらいの感覚なのかもしれない。


 レセリカとヒューイの間になんともいえない疑問符が浮かんだ頃、ダリアが静かに口を挟んだ。


「ウィンジェイドの感覚も、レセリカ様の戸惑いもわかります。私の意見としてはそうですね……アクエルは金に嘘は吐かないタイプですので、依頼であれば情報を提供してくれる可能性はあるかと。ただ……」


 シィ・アクエルはどの立場にも属さない。要は、お金さえ払えばどんな情報でも渡してくれると言うことだろう。


 それがたとえ、前の依頼人の情報であっても。

 しかもその前の依頼人が、次の依頼人の敵対相手であっても、である。


 レセリカやヒューイの常識では考えられないのだが、水の一族とはそういう者たちの集まりなのだ。


「いくら仕事だとしても、警戒は必要です。しかし申し訳ないことに、護衛が私だけでは不安が残ります」


 ダリアは元、火の一族だ。水の一族との相性は悪く、もし争いになった場合レセリカを守り切れる自信がなかった。


 風の一族であるヒューイならそこまで相性による影響はないが、そもそも戦いには不向きである。逃がすことは出来ても、欲しい情報を手に入れられるかは五分五分といったところだ。


「セオフィラス殿下に同席を頼まれてはいかがでしょう。場合によっては王妃様や陛下にも。シィ・アクエルの毒の件については、王族こそ知りたい情報でしょうし……」


 ダリアの言うように、国王が話を付けるのが一番手っ取り早いのは確かだ。

 水の一族は地の一族には逆らえない。直系の血を引く王族が相手をするのが確実だろう。


 しかし、王女が亡くなるきっかけとなった毒を生み出すアクエルを前に、冷静な判断が下せるのかと考えると不安が残る。


「頼めばきっと快く引き受けてくださるとは思うけれど……今はそれこそ、対応に追われてお忙しいはずよ。あまり無理をお願いしたくはないわ」


 それ以上に過去の心の傷を抉るような気もして、レセリカとしてはあまり気乗りしなかった。


 とはいえ水の一族を相手に出来る地の一族など、王族以外に思い浮かばない。


 三人は暫し、何かいい案はないかと考え込んでしまうのであった。

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