第112話接触と不甲斐なさ


 薄暗くなり始めた校舎にて、一人男性寮に向かう男子生徒。その後を追うように、早足で彼に近付く職員がいた。


「リファレットさん、ですね?」

「? ……ああ、アクエル先生でしたか」


 男子生徒はリファレット・アディントン。教師はシィ・アクエルだった。

 リファレットは内心で首を傾げる。なぜシィが自分のことを知っているのか、と。なぜなら、彼にとってシィは学園に来たばかりの教師でしかなく、担任でもなければ授業も選択していないからだ。


「出来れば僕のことはシィと呼んでください。ファミリーネームはあまり慣れていないので」


 そんなリファレットの困惑を知ってか知らずか、シィは人の良さそうな笑みを浮かべている。ともあれ、教師に声をかけられて無視をするわけにもいかず、リファレットは彼に向き直った。


「では、シィ先生。私に何か用ですか」

「用、というよりもただのお節介になるのですが」


 シィはそう言った後、にこやかな微笑みを湛えながらスッと視線だけをリファレットに向けた。

 細いフレームの眼鏡の奥で彼を見る青い瞳にどこか冷たいものを感じ、リファレットは少し気圧されてしまう。


「最近よく、ラティーシャさんとセオフィラス殿下に視線を送っていますね?」

「っ!」

「あれほど露骨な視線なら、気付く者は多いと思いますよ。騎士を目指すならもう少し感情のコントロールが必要ですね」


 確かにリファレットは、ラティーシャやセオフィラスの姿を見付けるとつい目で追ってしまう。一目惚れした令嬢と、その彼女が思いを寄せる相手なのだ。あまり見ないようにと気をつけてはいても無意識に見てしまうのだろう。自分でも薄々、勘付いていた癖だった。


 それがまさか、教師にバレていたとは。シィの言う通り、確かに自分はまだ未熟だとリファレットはギリッと歯を鳴らす。


「それほど、追い詰められているのですか? 僕は教師として心配なのですよ。担任でもなければ接点もありませんけどね。それとは別に、僕はラティーシャさんの担任でもあります。彼女がいつか視線に気付いたら不安になってしまうでしょう。そうなる前に、こうして声をかけさせてもらったのです」


 まったくもってその通りだ。愛おしいと思っているのに、怖がらせてしまっては意味がない。

 心当たりがあるだけに、リファレットは視線を落とす。後ろめたい思いもあるからか、なかなか言葉が出てこなかった。


「恋のお悩み、ですね? ラティーシャさんは自他ともに認めているほど殿下一筋ですし」


 図星を指され、リファレットはハッとなって顔を上げた。その先に見えたシィは、どこまでも柔らかく微笑んでいる。

 どうやら叱るつもりではないらしい。ただ、相変わらず瞳の奥だけはどこまでも冷たく見えるのが不気味であった。


「殿下が、邪魔ですか?」


 シィは表情を変えずに、また淡々とした声色で問う。かなり過激な内容だった。思わず目だけで周囲を窺ってしまう。


 そんなリファレットの様子を見てクスクス笑ったシィは、口元に手を当てながらどこまでも軽い調子で言葉を続けた。


「大丈夫、周囲には誰もいませんし、僕も他言しません。邪魔に思うだけなら自由ですよ。行動に移すとなると問題ですがね」


 怒りや嫉妬、そう言った感情は抑えようと思って抑えられるものではない。誰しも、醜い感情を抱くことがあるものだ。

 そんな思考まで禁じて罰することは学園も王族も出来はしない、とシィは語る。行動に移して初めて、罰することが出来るのだ、と。


「吐き出してしまっては? それだけで楽になることもあります」


 この教師は、遠回しに自分を励ましているのだろうかとリファレットは思った。言葉選びは少々過激ではあるが、そう言われてわずかに気が楽になっている自分に気付いたのだ。


「……私が、彼女の心を射止めることはきっとありません。殿下が、いる限り……」


 そうしてようやく、リファレットは声を絞り出した。殿下が邪魔か、と問われれば確かにその通り、邪魔ではあった。

 だが、だからといって殿下が本当にいなくなるのは嫌だとも思っている。恋敵ではあるものの、リファレットは彼を人として、そして次期国王として尊敬もしているのだから。


「逆ですよ、リファレットさん」

「逆、とは?」


 思いもよらぬ言葉に、リファレットの眉根が寄る。


「彼女に好かれるためには、殿下と親しくなるのです。そうして彼女と殿下の接点を作って差し上げる。彼女はそれだけで喜ぶでしょう。しかし心配は無用です。殿下は、レセリカさんしか眼中にないようですからね。ラティーシャさんの恋が実ることはないでしょう。その時に、一番近くで傷心の彼女を支えられるのが貴方なのではないですか?」


 それではまるで、弱った心に付け込む悪い男ではないか。いや、実際そうでもしないと彼女が自分を選んでくれることはないだろうとも理解していた。


「器の大きなところをお見せなさい。寛大に彼女を見守り、それでも一途に愛するのですよ。いつかきっと、ラティーシャさんにもわかる日がきますから。なんせ、まだ十歳の少女なのです。好みだって変わるでしょう。焦る必要はないのですよ」


 それも一理ある。リファレットもそう簡単にラティーシャのことを諦める気はないのだ。結局、遠くで見守ることしか出来ず二人の時しか話しかけることを許されないのなら、少ないチャンスをいかに使うかが大事なのではないか。


 八方塞がりで、恨みがましく目で追うことしか出来ない今より、行動出来る方がずっといい。そもそも、ジッと待つなど性に合わないのだ。


「殿下と親しくなど……それこそ難しいのではないですか」

「そうですね。ですが、それを考えるのは君の役目でしょう? 貴方が頑張らなくては何も変わりません」

「……おっしゃる通りです」


 何でも聞けば答えが返ってくると思ってはいけない。

 ただ、このシィという教師なら何かいい案を出してくれるのではという妙な期待を持ってしまうのだ。全てを見透かしているような、先の先まで見据えているようなあの青い目を見ていると、不思議と頼りたくなってしまう。


 その視線を受け、シィは一つクスッと笑うと眼鏡を指先で上げ直してから一歩リファレットに近付く。そして、耳元で最後のアドバイスを口にした。


「かわいい生徒のためですからね。……セオフィラス殿下、ラティーシャさん。この両者と仲の良い人物に接触してみては?」


 シィはリファレットから離れると、そのまま振り返ることなく通り過ぎ、廊下を歩き去って行く。


「……レセリカ様、か」


 二人が共通して親しくしている人物、レセリカ・ベッドフォード。

 最初の冷たく容赦のない印象はすでになく、人を思いやれる優しく聡明な未来の王太子妃だと認識している。今では尊敬の念も抱いている人物だ。


「私と話してくださるだろうか」


 ラティーシャの件を、内密に相談してみるのもいいかもしれない。きっと彼女なら、秘密を守りながら話を聞いてくれる。だが、虫の良すぎる話ではないか?

 そもそも、女子生徒に話しかけることさえなかなか出来ない自分が、どう接触を図ればいいというのか。


「何か、機会があればいいんだがな」


 リファレットは己の不甲斐なさを自嘲するように小さく笑うと、再び男子寮に向けて歩を進めた。

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