第92話不安要素と信頼
水の一族。つい先ほど、セオフィラスから聞いたばかりの言葉だった。まさかここでそれが繋がるとは。
内心の動揺を悟られぬよう、レセリカは努めて冷静に質問を口にした。
「でも、水の一族は貴族を、地の一族を害することは出来ないんじゃ……」
もちろん、その問いの答えはレセリカにも予想がついている。そのため、この質問は答え合わせのようなものだった。
「何ごとにも抜け道ってのはあるんだよ。貴族の暗殺に使う目的じゃなきゃ、いくらでも仕込めるってこと」
毒ではなく薬と言われれば問題はないし、そもそも依頼主がそれを誰に使うかを言わなければ、それも問題ないとみなされる。
「たとえ、実際には貴族の暗殺に使われるだろうと予想がついたとしてもな。明らかにわかるような頼み方でない限り、水の一族が手を下したとはみなされないんだよ。マジでそのルール必要? ってくらいガッバガバ」
やはり、自分の予想は正しかったようだ。改めてその抜け道が存在することを突きつけられたレセリカは、出来ればその現実からは目を逸らしたかった。
しかし、そんなことは出来ない。
「あいつらは、自分のしたことで誰が死のうが、誰の人生がめちゃくちゃになろうがどうだっていいんだ。それが国王であっても、平気で悼ましげな顔を見せるぜ。金さえ貰えれば、な」
つまり、彼らを止めるためには依頼主の特定から始めなければならないということだ。
あらゆる依頼の抜け道、水の一族の動向、依頼主。
正直なところ自分の手には負えない気がしたが、調べて阻止するしかない。
(自分の成したいことのために。セオフィラス様を守るために……!)
レセリカは口付けを落とされた手を抱えるように胸の前で握りしめた。
「ところで今日、セオフィラス様から聞いたことだけれど。来年度から新しい教師が来るって話よ。それが水の一族だって話、二人も聞いていたでしょう? シィ・アクエルという人を二人は知っている?」
レセリカがその名前を口にした瞬間、ヒューイとダリアの二人が同時に眉根を寄せた。その反応だけで二人からの評価がわかるというものだ。
「初耳でしたね……恐らく、殿下だからこそいち早く知らされたのでしょう。はぁ、本当になんということ……!」
「よりによってアイツかよって思ったね。あー、いや。水の一族ってだけで誰であっても厄介なのはあんまり変わんねーけど」
ヒューイが言うには基本みんなが厄介だが、そのシィ・アクエルという人物は水の一族の中でも特によく聞く名らしい。彼の依頼達成率は百パーセントを誇る、という噂は元素の一族の間では有名だという。
「ちょっと心配ではあるけれど、教師として来るのだから学園側からも普通以上に厳しい契約書を書かされるはずよね。内容まではわからないけれど……セオフィラス様がいるのだもの」
つまり、ただでさえ厳しい審査がさらに厳しく見られるだろうということ。間接的にでもセオフィラスを害することは禁止されるはずだ。その点については安心していいだろうが、油断はならない。
そもそも、なぜ水の一族が教師として学園に来るのだろうか。まさか教師になりたかったわけでもないだろう。裏があると考えるのが自然だ。
だからこそ、セオフィラスも気を付けてと注意を促したのだろう。
学園が許した理由も、シィ・アクエルの意図もわからない。
いや、シィ本人というより、依頼主の意図がわからないのだ。
「アクエルの厄介なとこは、マジで裏が読めないとこなんだよな。さすがにオレでもあの一族のことを調べるのは命懸けになるだろうし」
「本当に底意地が悪いんですよ、あの一族。一見、無害そうに見えても絶対に気を許してはなりませんよ、レセリカ様」
「セオフィラス様にも言われたわ……」
どうやら水の一族の認識は大体似たようなものらしい。とはいっても、貴族家でもそのことを知るものはあまり多くはない。王族とそれに近い公爵家だからこそ得られる情報と言える。
元素の一族の情報はとにかく扱いが難しい。下手な情報を流すと存在を抹消されかねないのだから。特に火と水は顕著だった。
そのため、情報を知る者たちは常に警戒している。もちろん、レセリカもその一人だ。セオフィラスが話してくれたのはレセリカが公爵家で婚約者あること、そしてギリギリ伝えられるのが「気を付けろ」という注意喚起だったのだ。
(前の人生でも、彼は教師としてこの学園に来ていたのかしら)
レセリカは、前の人生で別の学院に通ったことを悔やむ。だが言っても仕方のないことであった。
「なぁ、レセリカ。許可をくれ。オレ、学園側がアクエルと交わした契約について調べてくるから」
ヒューイがそう言い出すことは予想していた。そして、レセリカ自身も頼めるなら頼みたいと思っていたことだ。
元素の一族についての情報が規制されているとはいえ、学園側のトップに位置する者たちならある程度の情報は得ているだろう。
まずは学園側のトップがどの立場にいて、どんな理由でシィを雇ったのかを知りたい。
「危険では、ない?」
「あー、まぁ。これまでに比べれば多少は危険だけど」
「それなら……!」
「でも! 必要なんだろ?」
レセリカの言葉を遮るように、ヒューイは言う。自身の考えを見透かされたその返しに、レセリカはグッと言葉に詰まった。
「……なぁ、オレはこれでも結構しぶといんだ。ヘマなんかしないって約束する。主の役に立たせてくれ。それは風の一族の生きる意味なんだよ」
きっとその言葉の通りなのだろう。ヒューイの実力を正確に把握しているわけではなかったが、彼ならきっとやり遂げてくれるという根拠のない信頼はあった。
それでも、自分の指示でヒューイが危険な目に遭うのはやはり嫌だと感じる。レセリカはすぐには答えを出せずにいた。
「殺しても死にやしませんよ、コイツ。なんなら、死んだら私が殺してやります」
「はっ、そりゃあ怖ぇなー」
そんなレセリカの心中を察してか、ダリアがフッと笑いながらヒューイを横目で見る。ヒューイもまた悪戯っ子のようにケラケラと笑った。
(あまり心配しすぎるのも、信頼していないと言っているようなものよね)
レセリカは肩の力を抜き、一つ息を吐く。
「わかったわ。ヒューイ、それじゃあお願いしてもいい? でも、くれぐれも気をつけて。調査の成功より、貴方が無事であることの方を重視して」
「わーったよ。ほんっと、甘い主サンだな」
とはいえ、結局のところ心配が前面に出てしまったレセリカに、ヒューイは困ったように眉尻を下げた。それから、レセリカの前に片膝をつく。
「必ず、主の望みを全て叶えてやる。必要な情報も、オレの無事もな!」
レセリカの顔を見上げてニッと八重歯を見せて笑ったヒューイ。嬉しそうに告げた後は、すぐに風とともにその姿を消した。おそらく、早速調査に向かったのだろう。
「……もう。そんなに急がなくてもいいのに」
「いいじゃないですか。夜陰に乗じた方が動きやすいでしょうし、私としても邪魔者がいなくなって清々しましたしね」
「ダリアったら」
憎まれ口を叩きながら、ダリアが手際よく寝支度を整えていく。とはいえ、心配で今日はゆっくりとは眠れそうにない。
だからといってベッドに入らないわけにもいかないレセリカは、大人しく横になって目を閉じた。眠れなくとも、身体を休めることに意識を集中する。
自身の体調管理も、主人としての役目だと言い聞かせて。
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