第50話貴族ルールと学園ルール


 キャロルの涙が落ち着いたところで話を聞いてみると、彼女もこれから校舎内を見て回るつもりだったという。


「あ、あの。その、レセリカ様さえよければ、ご、ご一緒しても……?」

「ええ、もちろん。一緒に行きましょう」

「い、いいのですか!? 私、一生懸命ご案内しますね!」


 キャロルも新入生なのでは? と脳内に疑問符が浮かんだレセリカであったが、本人がとても嬉しそうなので黙っていることにしたようだ。優しさである。


 二人は並んで歩いたが、ややレセリカが前にいる。貴族社会で身についた作法でもあるので仕方ないといえばそれまでなのだが、この学園では身分など関係なく生徒は平等だと聞いていたレセリカはやや残念だと感じていた。


 先ほど話しかけた時もそうだ。確かに貴族としてのマナーを守るなら、基本的に身分の上の者が先に動く。

 でもここは学園であり、そういったものから解放される場である。聖ベルティエ学院にはなかった校則で、レセリカは密かに、それでいてとても楽しみにしていたのだ。


 このまま、流れに任せていいものなのだろうか。上級生たちは自然とルールに則って身分関係なく接しているのかもしれないが……。


(……上級生と思しき方々も、こちらを見ると軽く会釈をしてくるものね)


 なんとなく貴族ルールの方が優先されている気がする。ここでは下級生であるレセリカの方こそ、会釈をせねばならない立場だというのに。

 このままでは、これまでと何も変わらない。せっかくイグリハイム学園に来たのなら、そういった人との関わりも楽しみに……いや、学びたいと意気込んでいたのが台無しになってしまう。


 レセリカはまず、キャロルに伝えてみることにした。緊張を表に出すことなく、そういえば、と前置きをしてキャロルに視線を向ける。


「学園では、生徒同士は平等だと聞いているわ。だから、キャロルも私の発言を待たずに話しかけてもいいのよ?」


 レセリカが内心でドキドキしつつ反応を待っていると、キャロルは自身の髪を人差し指にクルクルと巻き付けながら恥ずかしそうに答えてくれた。


「うっ、そ、それはわかっているのですが、身についた習慣というのはなかなか……。きっと、他の方々もそうだと思います。学園のルールといえど、先に話しかけられて気分を害する方もいらっしゃるみたいですし、それで問題になるケースも少なくないと聞きました」


 同じ貴族同士はもちろん、一般生徒は余計にその様子を間近で見ることでますます委縮するのだという。

 また、入学時に注意点として別紙が渡されるほど貴族の扱いには気を遣っているようなのだ。


(それならなぜ学園内では平等に、などというルールがあるのかしら)


 レセリカは理解が出来ず、首を傾げた。

 そんなことをするくらいなら、最初から互いに気を付けるルールにしてしまえばよいのにそうせず、中途半端な対応をする意味がわからない。その中途半端さが余計に生徒たちを混乱させるというのに。


(平等に交流し、学べるというのがイグリハイム学園の良さだと思うのに、もったいないわ)


 結局、社会の縮図にしかならないのだろうかとレセリカは落胆してしまった。もっと伸び伸びとした学生生活を想像していただけに、現実はやはり厳しいと実感してしまったのもある。

 なんとかしたいという思いはあるが、かといって急に何かを変えることは出来ないだろう。変化を望まない者も多くいるだろうことも想像出来た。


 ただ、少なくとも自分はその変化を求めている。ならばその意思を周囲に伝えるくらいはしたっていいだろう。

 それでも、その行為がこの学園では珍しいものなのだとヒシヒシと感じる分、緊張はする。


 レセリカはお腹の前で両手を組み、わずかに力を込めながら勇気を振り絞った。


「私は、気にしないわ。声をかけてもらえたら嬉しいもの」

「レセリカ様……! はい、わかりました。では、積極的にお声がけさせてもらいますね!」


 二人のやり取りを遠巻きに見ていた人たちがわずかにざわめく。それをレセリカは肌で感じていた。

 周囲の目が好意的なものなのかそうではないかの判断は出来ないが、目の前のキャロルは興奮気味に喜んでくれたのでそれで良しとする。

 そのことにホッとしたのか、自然とレセリカの頬も緩んだ。


「ええ、ありがとう。待っているわね」


 笑みを向けられたキャロルと周囲でそれを直視した者たちはその後、五秒ほど動きを停止した。


 それから、レセリカとキャロルは校舎内を軽く歩いて回った。一年生が使うという教室や室内運動場、医務室や教員室、それから講堂などの最低限知っておきたい場所だけを巡り、寮棟へと戻っていく。


 他にも授業によって移動しなければならない特別教室がいくつかあるのだが、今日の所はこれで十分だとキャロルが言う。


「入学式の後、三日かけてのオリエンテーションがありますから。その時に二、三年生が学園の案内をしながら色々と教えてくださるのだそうですよ。その時に、きっと他の教室も案内してもらえます!」

「そうだったの。キャロルは詳しいのね?」


 オリエンテーションがあるということを今初めて知ったレセリカは、驚いたようにキャロルに目を向けた。彼女は照れたように笑いながらもやや誇らしげだ。


「えへへ、商人の娘ですから! こういう情報は色んな所から集まってくるのですよ!」


 在学生や卒業生からそういった話をよく聞かされていたのだというキャロル。おかげで入学前から学園のことには少しだけ詳しいとさらに胸を張った。


「学園のことでわからないことがあれば、このキャロルになんでも聞いてくださいね! 知らないことだってすぐに調べてみせますから!」

「ありがとう。頼もしいわ」


 レセリカに頼りにされてますます得意げにキャロルは笑った。


 一方で、そんな二人の様子をこっそり見ていたヒューイ。自分の方が情報を集められるのに、と人知れず拗ねていたのは余談である。

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