第26話二通の手紙と仕事の依頼


 まだ肌寒いものの暖かな気候になり始めた頃、レセリカはいつものように自室で勉学に勤しんでいた。

 新緑の宴が終わって二カ月ほど。結局のところ風の少年を呼ぶわけにもいかず、今に至る。


 その間、何もなかったわけではない。婚約発表をしたことで案の定、たくさんのお茶会への招待状がベッドフォード家に届いていた。

 とはいえ、レセリカは無理をしないと決めていた。どうしても断れない家からの招待以外は全てお断りしており、心身ともに余裕を持った日々を過ごしている。


 しかし今、レセリカは珍しく二つの問題に直面していた。机の上に並べられた二つの封筒がその悩みの原因である。


 一つはシンプルな白い封筒。王家の刻印が押されており、差出人は王太子セオフィラスだ。

 内容は、半年後に学園へ入学する前に二人で出かけないかというもの。入学準備の合間にわざわざ時間を取る、というのだ。いわゆるデートのお誘いである。


 前の人生ではなかった思わぬイベントに、レセリカはどう対応すればいいのかわからないでいた。


 そもそも、出かけるといっても二人はまだ子ども。護衛もつけて、城の近くにある植物園を歩く程度のことである。

 ただ、それでもレセリカにとっては初めての経験だ。緊張もする。


(婚約者として、恥ずかしくないように振舞わないと)


 しかしそれは年頃の乙女が抱えるような緊張ではない。レセリカはどこまでも真面目であった。


(それよりも今は先に、こっちね……)


 レセリカはもう一通の封筒に視線を落とす。淡いピンクの封筒は可愛らしい小花柄があしらわれており、差出人の愛らしさが表れているかのようだ。


 それはいつものお茶会の招待状。だが、差出人が問題だった。


「ラティーシャ・フロックハート……」


 フロックハート伯爵家は王都から少し離れた位置にある領地を治めている。農業が盛んな実り多き領地として知られており、当主のフロックハート伯爵は領民にも慕われる良き施政者だという噂だ。跡を継ぐのは伯爵の長男で、彼もまた将来有望の若者だとレセリカも耳にしていた。


 つまりラティーシャはいずれどこかに嫁ぐことになる。王太子の婚約者として名の上がっていた令嬢の一人でもあった。


 互いに存在はもちろん知っている。特別仲がいいわけでも不仲でもない。両家はそんな間柄だ。婚約者を選んだのは王太子であるし、誰を選んでも恨みっこなしなのはどの家も承知の上。

 貴族家としてそれなりの付き合いはあっても、互いの家はおろか領地を行き来することもない関係だ。そんな彼女からの招待など、普通に考えれば送られてくることはない。


 その程度の関係の家からの招待が来たのはフロックハート家だけではない。単純に王太子の婚約者が気になるという理由なのだろうと思う。レセリカは、それらの誘いを全て一律で断っている……のだが。

 相手はラティーシャだ。彼女も他の令嬢と同じく単なる好奇心でレセリカを呼んだのだろうか? 前の人生でレセリカを敵視していた彼女からの誘いを受けないままでいいのか? それを悩んでいるのだ。


(きっと、一度会ってみた方がいいわよね。セオフィラス様に会ったのと同じように)


 本音を言えば、レセリカは彼女に会いたくないと思っている。セオフィラスに思いを寄せているのなら、間違いなくレセリカを良く思っていないだろうからだ。お茶会には何かしらの思惑があるのでは、と疑ってしまう。


 しかし、何も知らないまま罠に嵌められるのはもう嫌だった。彼女が断罪の直接的な原因ではなかったかもしれないが、何かしら関わっていた可能性は高い。

 あの未来を回避するためにも、今のうちに一度ラティーシャという人物と関わっておきたい。


「でも、やっぱりちょっと怖いわね……」

「何が怖いんだ?」

「っ!?」


 フゥ、と小さく困ったように呟いたその瞬間、耳元でその呟きに答える声が聞こえてレセリカは息を止めた。驚きのあまり叫び声も出てこない。

 そんな彼女の様子を見て、声の主はケラケラと楽しそうに笑い声を上げた。


「あ、あなたは、風の……」

「あはは、おう。なんだ、ちゃんと覚えてたんじゃねーか」


 レセリカが振り返った先で見たのは、あの時の風の少年だった。

 どうしてここにいるのか、そもそもベッドフォード家にも門番や使用人がいるのにどうやって入って来たのか、など色々と聞きたいことはあったが、レセリカはその質問を全て呑み込む。

 たぶん聞いても答えてはくれない。それに城にも侵入出来たのだ、公爵家の屋敷への侵入も出来て不思議ではない。


「私、貴方を呼んでいないわ」


 だからこそ、最初に告げたのはそんな一言だった。

 少年はやや面白くなさそうに口をへの字にしてから、ニッと口角を上げた。目まぐるしく表情が変わるのはロミオと同じだが、弟よりも年上であるこの少年の方がずっとやんちゃだ。


「最初の言葉がそれかよ。聞きたいことや言いたいことなんか他にもたくさんあっただろうに。……お嬢サンて頭いいよな? まだ八歳だろ? 驚くぜ」


 少年は楽しそうに言いながら、頭の後ろで手を組んだ。手を回した拍子に首の後ろで結った髪がサラリと揺れる。今日はフードを被っていないため、レセリカは初めてちゃんと少年の姿を見た気がした。


「髪、長かったのね」

「……質問がズレてんだよなー。そこがまた面白いんだけど」


 言葉を返されて初めて、レセリカは考えを口にしていたことに気付く。なぜか少年には思ってることをそのまま喋ってしまう。周囲にはいないタイプの気さくな雰囲気がそうさせるのかもしれなかった。


「えっと。驚いたのは私の方。普通に声をかけてもらいたいわ」

「ははっ、それはおあいこだ。オレはあの時、誰もいないと思ってた窓から入ったのにお前がいたからめちゃくちゃ驚いたんだぜ?」

「そもそも勝手に侵入する方が悪いと思うわ」

「そりゃ正論だけどな!」


 お前は静かすぎて気配を感じ取りにくいんだよな、と少年はニヤッと笑う。空腹でさえなければ余裕で見付けられたけど、と言ったのは強がりか、事実か。

 どのみち、お腹が空いているというだけでミスをするなら未熟であることに変わりはないのだが。


「それよりも、何か用があったの?」

「……ほんっと、冷静。騒がれるよりずっといいけど、もう少し慌ててくれてもいいのに」


 そう見えるだけでレセリカは十分驚いているのだが、あまり人には伝わらない。実際、人より平常心を保つのが得意ではあったが、つまらなそうに口を尖らせて文句を言われる筋合いはないだろう。

 無意識にレセリカの目は細められ、それを受けた少年はわかったよ、と慌てたように口を開いた。


「なぁ、お前さ。いつオレに仕事を頼むんだよ?」


 要は、しびれを切らしたのだそうだ。他の場所に行こうにも、呼ばれたらすぐ駆け付けられるようにあまりレセリカから離れた場所に行けないのだ、と。


 なるほど、とレセリカは納得した。と同時に、安心もした。少なくとも自分がアディントン伯爵に近付かなければ、彼が捕まる危険もなかったのだとわかったからだ。


「特に期限は言われなかったもの。頼みたいこともないし」

「えぇ……? ほら、なんでもいいんだぞ? ちょっとしたお使いとか、嫌なヤツの情報集めてこいとか。お嬢様ってやつはもっと遠慮なくこき使ってくるもんじゃねーの?」


 とはいえ、ずっと約束で縛っていたら彼の自由を奪うのと同じだ。城に忍び込んだ侵入者ではあるが、レセリカは少年を悪いようにしようとは思えない。

 どうにかして奴隷になるのを阻止したいだけだ。ただ、それが難しい。


「お使いは使用人が行ってくれるもの。情報も特に……」


 求めていない、とは言えなかった。けれど、彼を危険な目には遭わせたくない。レセリカはお人好しなのだ。


 そこまで考えてレセリカはあることを思いつく。これならアディントン伯爵には近付かなくて済む。


「一つ、頼みたいことを思いついたわ」


 レセリカがそう告げると、少年は待ってました、とばかりに身を乗り出した。


「今度、出席するお茶会に一緒に来てほしいの」

「茶会ぃ?」


 しかし、その話を聞いて少年はわかりやすく嫌そうに顔を歪めた。

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