第10話侯爵と報せ


 新緑の宴までの半年ほど、レセリカはいつも通り真面目に日々の勉強やレッスンをこなし続けた。

 そもそも優秀だったうえに人生のやり直しをしているレセリカには必要のないことのようにも思えるが、基礎をひたすらやり込むことで、彼女のスキルはさらに洗練されていく。所作やダンスの動きは、もはや大人の上級者と並ぶ。


 とても七歳の動きではない。当日は他のご令嬢が霞むほどの存在感を放つだろう。そう思うと父オージアスと弟ロミオの胃はキリキリと痛んだ。


「父さ……父上。僕は片時も姉上から離れません」

「そうしてもらいたいのは山々だが、個別に挨拶をせねばならない相手もいる。どうしても一人になる瞬間はあるだろう」

「うっ、でもすぐに終わらせれば……!」

「次期当主として、姉に気を取られるあまり落ち着きのない態度は許さんぞ」

「じ、自信がありませんね……うぅぅ、僕はどうすれば!」


 いつの間にかレセリカ守ろう同盟を結んでいた親子は、新緑の宴の日が近づくにつれてほぼ毎日のように作戦会議を開いていた。ちなみに、良い案が出たことはない。


「護衛をつけるのはいかがでしょう、父上! あ、でも会場内には入れないのでしたね……」

「そもそもが厳重に守られている王城の大広間だからな」

「やはり、常に誰かが側にいるべきですよ!」

「大人も同じ会場内にはいるのだ。私が常に目を光らせ、おかしな者がいればすぐに叩き出せば問題あるまい」

「い、いや、それはそれで大問題になるのでは……?」


 今日もまた、無表情な父とコロコロ表情を変える息子の無為な時間は過ぎていく。


 そんなある日、オージアスの下に一通の手紙が届く。王家の紋章が施されたそれはマッカロー侯爵が直々に届けに来たうえ、必ず目の前で開封するよう指示された。


 ちなみに、マッカロー侯爵は妻リリカの兄であり、オージアスの義兄に当たる人物である。立場上はオージアスの方が上だが、侯爵は溺愛していた妹を掻っ攫ったオージアスを未だに恨んでいた。


「僕も君に直接会うのは嫌だったんだけどね。陛下直々に頼まれてしまったんで、仕方なく」

「……エグバート、まだ根に持っているのか」

「当たり前だろう!? ああ、リリカ。僕の可愛い妹……。こんな仏頂面で何を考えているかわからない男に捕まってさぞ不幸だったことだろうに」

「失礼だな。妻はいつでも幸せそうだった。屋敷の者に聞けば真偽もわかる」

「うううううるさい! いいからさっさと読め、この鉄仮面!」


 そして、二人は同じ学園に通っていた同級生でもあった。普段は立場上、堅苦しい話し方をする三十手前の男二人なのだが、遠慮のない物言いになるのは旧友でもあるからだ。

 こんな調子ではあるが、互いに遠慮をしなくても良い貴重な相手ではある。なんだかんだいって困った時にはさりげなく助け合う関係でもあるのだ。


 そしてそれは、今この瞬間も。

 油断するとリリカが亡くなったことを思い出して沈みそうになるのを、馬鹿な話で気を逸らし合っている。


「……破り捨てていいだろうか、この手紙」

「ダメに決まってんだろ、親馬鹿が」


 オージアスは手紙を読み終えると、低い声と据わった目で呟いた。古くからの友であるエグバートでなければ恐怖で硬直していたことだろう。


「いつかはこんな日が来るとは思っていたが……!」

「そりゃあそうだろ。しかも、そうなってもいいように教育を施してきたのだろう? 自分の指示で」

「……」


 頭ではわかっているのだが、今のオージアスにはなかなか受け入れられないことだった。その手紙の内容というのは……。


「ついに王太子殿下とレセリカ嬢が婚約か。めでたいな! おめでとう!」

「嫌味だろ、殺すぞ」

「……本気の殺気はやめろ、オージアス」


 このセントエデルバラージ王国の第一王子、セオフィラスの婚約者にレセリカを、というものであった。


「でも、やっぱり順当にレセリカになったか、って感じだな。王家は大変だよなぁ。恋愛結婚なんて夢のまた夢だ」

「レセリカもな」

「……悪かったよ。今のは無神経だった。お前のことは嫌いだが、リリカの愛娘はそりゃあ僕だって大事さ。出来ればいい恋愛をしてほしいと思ってる」


 ちなみに国王も、王太子に対しては出来れば恋愛結婚をしてもらいたいという考えではある。だが、暗殺されかけたセオフィラスの心の傷は深く、学園に行くまでは出来るだけ人と関わりたくないという息子の気持ちの方を大事にしたようだ。


 それに、セオフィラスは表に姿をほとんど出していないにも関わらずあまりにもモテる。婚約者を決めずにいたら、学園というあまり王家の目の届かぬ場所で、セオフィラスを巡る熾烈な戦いが繰り広げられるだろうことは容易に想像出来てしまう。

 しかも、並みの婚約者ではいけない。自分の方が優秀だと思えば、令嬢たちは容赦なく略奪を試みるだろう。女の世界とはそういうものだと、貴族男性はそれぞれ妻から嫌と言う程聞かされているのだ。無論、国王も王妃から聞いているだろう。


 王太子の婚約者というのは、あらゆる面でストレスがかかる立ち位置である。少しでもストレスを軽減するためにも、娘には同じ学園に通わせたくないとオージアスは考え始めていた。

 レセリカのように王太子の心配をしているわけではない。娘を思う一心である。


「始まりは政略結婚でも、いずれ恋愛感情が芽生えてくれたら心から祝福出来るんだがなぁ。こればっかりは、な。殿下が学園で他の女に手を出さなきゃいいんだが。ま、人間不信だし、そりゃないか」

「気を付けろ、エグバート。不敬だぞ」

「おいおい、そこは聞き流すとこだろ。僕だってあちこちでこんなこと言ったりしない」


 オージアスはさらに眉間にシワを寄せて再び手紙に視線を落とす。


「……了承するなら新緑の宴で発表する、か。あの狸国王め、もう予定に組み込まれているくせに、よく言う」

「お前の方こそ不敬じゃないか」


 オージアスはその言葉には答えず、右手で額を押さえた。


「……娘に黙っていてはダメだろうか」

「ダメだろ。新緑の宴でレセリカ嬢もデビューするんだろう? 欠席するならそれもありだろうが、何も知らないまま発表される方がかわいそうだ」


 もちろん、そんなことはわかっていて言ったのだ。


 今から娘の反応が怖くて、本気でパーティー欠席を考えたくなる。オージアスは八つ当たり的にエグバートの脇腹を小突いた。

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