第138話 婚約者 2
リナは国軍棟のシルヴァンの執務室へ来ていた。
「兄さん実は相談があるんだけど。今いい?」
シルヴァンはいつになく深刻そうにしている妹の様子に話を聞くことにした。
「実はこの前、ロベール様に呼ばれて神殿へ行ったの。」
∴∵
数日前、ロベールに呼ばれ神殿の執務室に入ると、そこにはレオナールとクロヴィスもいた。リナは何かを決した様に向かいの席へ座る。
「今日は、リオの侍女としてのことで来てもらった。」
その言葉を聞いて、リナは手を強く握りしめた。
「分かっています。リオ様の侍女は終りでございますね。王妃様の侍女は平民には出来ないことも知っておりましたし。でももう少しの間はお仕えできるのではと思っていましたが…」
「違う。違うぞ。リナ。」
ロベールは慌てて否定する。
「リナにリオの侍女を続けてもらうための提案なんだ。」
「提案ですか?」
「あぁ。私の知り合いの伯爵家だが、そこに養子に入ってはどうかと思う。」
「私が伯爵家へですか?」
「リナさえ良ければだが。先ほど自分でも言っていた様に、リオが王妃になれば平民のリナでは侍女にはなれない。伯爵と言っても社交界とは殆ど付き合いもなく、気楽な家だ。現当主もそろそろ代替わりなのだが、その前にリナを養子に入れても良いと言っている。」
「こう言う話は、言われて急に返事できる事ではないだろうから暫く考えると良い。」
クロヴィスは優しく言った。
「あちらの伯爵家に何か気遣いしているなら無用だぞ。王妃の侍女を家門から出すことは誉れでもある。」
「私が近くで見る限り、リオは君を一番信頼していると思う。何も分からない頃からずっとリオを支え、助けてくれていた君がいなくなったらあの子は悲しむだろう。下手をすると結婚すらも考え直してしまうかも知れない。だから、前向きに考えてくれると嬉しいのだが。」
「前向きに考えろ。リナ。」
レオナールは力強く言う。
「分かりました。でも少しだけ考えさせて下さい。」
「あぁ。もちろんだ。」
∴∵
「そう言う訳でね。養子の話を頂いたの。」
「ふーん。」
「ふーんって兄さん。真剣に相談にのってよ。父さんや母さんは悲しむかな?私は…リオ様のお側にいられるならその話を受けようと思うんだけど、父さんや母さんの事が気がかりでね。」
「親を気遣うなら、十歳の時に木の枝持って‘剣術の相手しろ’って俺を追い回してる時に気を遣えよ。母さんも父さんも頭悩ませてたんだぞ。」
「だって、剣術楽しかったから。」
「そうやって、お前はずっとやりたいこと追いかけて、自分で夢を叶えただろう?うちの家族はそれをずっと応援してきた。今更、ちょとの事では驚かないだろうし。心配すんな。それにシリルのところに二人目が生まれるから、それどころじゃないだろう。」
「えっ?シリル私にそんな連絡寄越さなかったよ。」
「リオ様の事で忙しいと思ったんだろう。」
「早く、シリルの赤ちゃん見たいな。またリアーヌさんに似て可愛い子だろうね。」
「少し長めに休暇もらって、ゆっくり話してこい。俺も何日か合わせられる様にするから。」
「わかった。ありがとうね。兄さん。…それと、兄さんがリオ様ってなんか変ね。」
「もう正式に婚約者だし、公爵令嬢だ。そう呼ぶのが当たり前だろう。」
リナはクスクス笑いながら部屋を後にした。
∴∵
その日のオリヴィエ家は、仕事で殆ど帰って来ない子供二人が久し振りに揃って帰省し、孫娘も生まれ、祝い事を凝縮した様な賑やかさだった。
「リナが立派になってくれたことは、本当に嬉しいわ。十歳にもなって服は泥だらけ、手足は傷だらけでシルヴァンを追いかけ回していた時はどうしようかと思ったけれど…。どうにかなるものね。」
「だけど、あの時がなければ、リオ様の侍女にはなれなかったかも知れないのよ。あれも必要だったの。」
「まぁ、あれが必要だったかは別として。陛下の婚約者であるリオ様からの信頼が厚いことは確かだと思う。リナは本当に良く頑張ってるよ。」
「兄さんが褒めた。」
「リナ、天変地異の前触れだぞ。」
リナの一歳下の弟シリルは大げさに騒ぐ。
「じゃあ、リオ様守らなきゃ。ジャン後はみんなを宜しくね。」
「ダメだよ帰っちゃ。今日の主役なんだから。」
末弟のジャンはリナの腕を掴む。
「姉さんは良くさ、シリル兄さんとも勝負してたよね。」
「私の全勝だけどね。」
「園芸店の人間は剣術勉強しないからな、普通。」
久し振りの家族の賑わいに、みな酒が進む。
「リナを送り出す時は結婚だと…それはさすがに諦めていたが。まさか養子になるのを送り出すとは…」
「父さん、酔いすぎだよ。」
とうとうその場に突っ伏して寝てしまった。
「お父さんね、シルヴァンもリナも揃うのが久し振りだったから、凄く楽しみにしてたのに、一番最初に寝ちゃうなんてね。シルヴァン、寝室から掛けるもの持って来てやって。」
シルヴァンは小さく返事してその場を離れる。
「リナ。伯爵家へ養子に行ったら、もうこんな風に呼べなくなってしまうのね。」
リナは母に向い優しく笑う。
「心配しないで、母さん。あちらの方たちともお話ししたけど、養子はあくまで形式的なこと。リオ様の侍女でいるためのね。あちらの方たちも産みのご両親を大切にしなさいと言ってくれているし。時折は帰ってくるから。滅多に帰ってこないのは働き始めてからずっとだったでしょう?因みに、兄さんだってこれでも男爵様よ。」
寝室から持って来た膝掛けを父にかけているシルヴァンは苦笑いをする。
昔話をして、その夜は更けていった。
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