第103話 エピローグ1~実は幼馴染が絶対負けない話~

唇に真っ直ぐに赤のルージュを塗って鏡を見る。もう見慣れた艶やかな黒髪、容貌は理知的で、ほとんどの人が美しいと評してくれるのではないだろうか?


その顔はフランク王国王女ブリュンヒルト・アーレンベルクのモノだった。しかし、彼女は魔王軍との戦いで命を落とした。この世界では一度命を落とすと例え治癒の魔法で肉体を完全に再生したとしても、生き返る事はない。肉体から魂が離れて輪廻へと帰依してしまうからだ。


56億年前に定めた運命に従い、私はヒルデの肉体を完全回復させて、自身の魂の一部、フィーネの魂をヒルデに吹き込んだ。それが私、ヒルデ、現フランク王国女王にして、英雄アルベルトの正妻。


私は女神エリス…だった者…そして、アルの幼馴染フィーネだった者…自分がアルを騙している事は心苦しい…でも、私にもどうしようにも抗しきれないのだ。


運命…人はそう呼ぶ、いや、運命とは56億年前の宇宙創成の際に私が全て定めた事…宇宙の終焉まで全て…この世界に定まっていない未来は存在しない。全てが宇宙創造の際に全て私が定めた。世界は誕生と同時に終焉の時まで作られたのだ。


私が意識を持ったのは、無の中に、ごく小さな宇宙が生まれては消え、再び生まれて…そんな小さな宇宙の中に突然私は目覚めた。目覚めた私はすぐさま『インフレーション』を起こし、宇宙に急激な加速膨張を起こした。時間にして1秒…そして『ビッグバン』を引き起こした。


私はビッグバンのエネルギーで宇宙を作った。そしてこの星にだけに生命を作り、自身の姿を模した人類を作り、更に人類を助ける高位の存在として、天使を作った。


人類には他の生命体と異なり、知恵の実を与えたが、その事はとても私を苦しめた。人類は知恵を得た代わりに善悪の知識を得て、善人と悪人が産まれた。そして、悪人は善人を苦しめ、悪人が罰される事はあまりない。何故なら悪の大半は必要悪であるからだ。人は欲の為、人を貶めるが、それは競争でもある。人は競争を行う事により、より進化を繰り返し、遂に国家という組織社会を形成するに至った。


この美しい世界と同様、愛しい我が子たる人類…人類は悪と善の両方の顔を持っていた。


そして、時間が経つにつれ、天使の中に私への疑問を持つ者、不平を持つ者、不信に思う者が現れた。全ては定め通り…いや、運命とは単なる物理現象の連続に過ぎない、最初に定めた物理法則と物質の初期値、仕様で全てが自然に定まる、私の意思とは関係なく。私が干渉できる事は少なく、過度に干渉すれば宇宙は平衡を崩し、未来が大きく変わる。それは宇宙の終焉の加速となる可能性が高い。


反逆した天使は霊子が反転しダークマターが流入し堕天使、つまり悪魔となる。そして、彼らは魔物に自身の力を分け与えて魔族や魔王を作り出した。私の真似事? いや、彼らの存在もまた私に定められた運命に過ぎない、つまり、私が作ったものなのだ。


私は人類を作った時に多くの矛盾点を抱えている事に気がついていた。知恵の実を与えた為、人は悪というモノを覚えてしまった。そして、悪を宿した者の方が有利なのだ。その癖、私は彼らを罰する事が出来ない。全知全能たる女神が悪人を罰しない…太古には人界に顕現して、人には善人たれと教えた。大きな矛盾だ、悪人を罰する事ができないのは、彼らがまた、人類の進歩に貢献する事も事実だからだ。それに人類には自浄能力もある。女神である私はただ、人の中に現出し、悪人に苦しめられて、ただ、人と同じ境遇を共感する事しかできなかったのだ。


たくさんの憎しみ、憎悪、恨み…蓄積されたそれらは私の精神を蝕んだ。人と違い、人界に顕現した私は寿命を迎えて死しても、全ての記憶を共有する。宇宙の創造と同時に宇宙の終焉まで3次元と時間の1次元の全てを見通せる私は、生まれたと同時に病んでいた。そして、多くの天使が私に疑問を呈する…全ては定め通り…。


私は自身の救済策を運命に組み込んでいた…私も知恵を持っていたからだ。そして、所詮物理現象に過ぎない私…故に私がいなくても、この世界は何も変わる事はないのだ。天使、悪魔も人も私に疑問を呈するしかないだろう。


だから私の救済には必要だったのだ…神殺しという儀式が…そして、私は天使ミカエルと悪魔サタン即ち堕天使ルシフェルの子によって殺される運命にあった。だが、運命の歯車とは皮肉にも、天使と悪魔の子、アルと私が顕現した際の人たるフィーネは幼馴染となった。もちろん、変更はできない、干渉すれば直ぐにでも宇宙が終焉を迎える可能性もあった。宇宙とはかくも脆い存在なのだ。


そして、私はあの勇者エルヴィンにフィーネが抱かれるという幻影をエルヴィンとフィーネに見せた。彼らは真実として受け止めただろう。フィーネには自身が女神だという記憶は与えていない。全てが私の謀計だったのだ、運命に従って…みなを騙して…


彼の醜悪さは人の持つ悪の際たるものだ。彼の様な人間は進歩に何も寄与しない。だが、私は自身の定めた運命に従い、フィーネとして彼に殺された。そして、一方、堕ちた女神として振る舞い、アルに殺してもらった。全ては新しい私を誕生させる為に…神殺しは、同時に私をただの人間へと変換する儀式だったのだ。女神は同時に未来過去、何処にでも複数現出できる。だが、女神の核である大聖石、霊子の核を破壊された私はヒルデに宿った魂以外、全て消滅した。大聖石を失った私は人として死ぬと輪廻へと帰り、再び人として転生する。


こうして、私は唯の人になる事ができた。今の私にはかつて女神であった事と、アルとのフィーネとしての思い出、ヒルデの生前の記憶…それ位しか記憶がない。人間の脳にはそれ程多くの知識は蓄積できないし、私は無事、辛い女神の記憶を放棄した。


こうして、私は愛しいアルと夫婦になれる。苦しい記憶から解放されて、人間として…


堕ちた女神として振舞った事は上手くいったようだ。アルは優しい人だ、汚されたと思った私を忘れる事ができないでいた。だが、私が裏切り者だと思ってくれて、過去を清算してくれただろう。アルは新しい恋を初めてくれた。心の底から嬉しい… でも、その相手が私で本当にいいのだろうか?


もの思いに耽っていると、突然声をかけられた。


「ヒルデ、そろそろ時間だよ。僕、今から緊張してがちがちだよ。結婚式って、こんなに緊張するものなんだね?」


「もう、アルってば、台無しだよ~、ヒルデの前ではカッコいいアルでいてよぉ!」


「そうしたいけど、僕…大人しい性格だから…」


「ふふふっ、アルらしいね!」


私は心の底から笑う事が出来た。だが、アルは最後にこう言った。


「17年も歴史があると何となくわかるんだ。その人の本質が…いつか話してね。僕は君の事が大好きだよ…いつまでも…」


「ア、アル…」


私の幼馴染はまるで全てを見通しているかのようだった。これからの人生は私にもわからない。女神が殺された時に未来から宇宙の終焉までの全ての記憶が消えた。私にも、もう何もわからない。もし、アルが全てを知ったら、アルは私をどう思うだろうか?


だが、私はきっと幸せになれると信じていた。アルがきっと幸せにしてくれると。


こうして、私とアルは結婚式会場に向かった。幸せな未来を信じて…

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