お兄様不在の一週間

 アンリミテッド魔法学園の入学式から数日。ディアーナは二年生として学園に通っているが、カインはまだ学園を休まなければならない日があった。

 見た目が変わって外に出られなくなっている間に受けていた後継者教育。そこでやっていた仕事を引き続きやらなければならないからだ。パレパントルも父ディスマイヤも、二人を手伝っている補佐官達ですら、一度人にやらせて楽することを覚えてしまえば、もう元にはもどれないのである。


 補佐官達に、


「カイン様が手伝ってくださる様になってから、娘が起きている時間に帰ることが出来るようになりました」


 などと言われてしまえば、カインとしては強く断ることもできなかった。

 水曜日の放課後魔法勉強会だけは死守するために水曜日だけは絶対に学園に通っているが、休学状態だった頃の仕事をこなしつつ学校に通っているため、ずいぶんと疲れていた。

 今日は水曜日では無いうえに特に重要な授業も無い日だったため、カインは学校を休んで部屋で父の仕事を手伝いつつ、部屋の整理をしていた。 


「そろそろ、これも整理しないとなぁ」


 ニヤニヤと相好の崩れた顔でそう言ったカインの手元には、分厚い紙の束が握られていた。紙束の下の方は色がくすんでいるし端の方もすこしヨレていて古そうに見える。姿を戻す為に調べていた資料を片付けようとして、机の引き出しから出てきた物だ。


「なんですか……? あぁ、これですか」


 イルヴァレーノがカインの肩越しにのぞき込めば、『今日のディアーナ様』という文字が目に入った。紙束の正体は、何かといえばカインがイルヴァレーノに書かせていたディアーナ報告書であった。


「懐かしいですね。……いや、懐かしくもないか。最近僕が書いてないだけですね」


 一番上に重ねられている日付の新しい物はサッシャ作である。カインが公爵家の跡継ぎ教育を理由に学園を休むようになってからは、イルヴァレーノも補佐役としてカインの側に付き従っていることが多い。すると、学園に通うディアーナの様子をカインがうかがい知る事ができなくなってしまう。


 夕食時などは両親も一緒にいるので『表の顔』で食事をする事になり、ディアーナも毎度「つつがなくすごしましたわ」としか学園の様子を話さない。

 帰宅後から夕食の時間まではディアーナは宿題をやりながら、カインは父の仕事を手伝いながらの会話になるので、学園であったことを話題にするにしてもあまり沢山は話せない。

 そこでカインは、サッシャにお願いして『今日のディアーナ様』をイルヴァレーノから引き継いで貰ったのだった。


「サッシャの書いてくれる『今日のディアーナ様』は、イルヴァレーノの報告書に比べて主観が強いんだよねぇ」

「お嬢様を褒めている内容ばかりなので、読んでいて楽しいんでは?」

「ディアーナを褒めるのは僕の役目なの! そして、ディアーナがいけない事をしていたら叱るのも僕の役目なの! だから、端的に、正確に、ディアーナの行動を淡々と報告してくれるイルヴァレーノ方式の方がありがたいんだよ」

「そういうもんですか」


 カインはイルヴァレーノと会話をしつつ、ディアーナ報告書を時期毎の山に分けて行く。一番古いものはカインが七歳の時に近衛騎士団に混ざって訓練を受ける事になったときのものだ。まだ、イルヴァレーノの文字も少し幼い。


「このときは、たったの半日離れているのも耐えられなかったんだよな」

「今でも一日以上離れていられないんだから、大して成長してませんよ」


 次にでてきたのは、カインがサイリユウムに留学していた時のものだった。こちらは、ディアーナ本人から近況を綴った手紙も貰っていたので報告書として書かれたものは少ない。ディアーナからの手紙は別に保管してあるので、この紙束には入っていない。


「今、一日も離れていられないのは留学の反動だよ。三年も離ればなれだったんだからね」


 うそぶくように言うカインだが、実際に今ディアーナから目が離せないのはゲームの時間軸中だからである。攻略対象者達と上手くやっているか、ヒロインであるアウロラと仲違いをしていないか、新しく登場した攻略対象者とちゃんと距離を取れているか。心配事はつきない。

 そして、比較的新しいあたりから出てきた七枚の報告書。他の報告書よりもヨレヨレで、所々に泥汚れの後なども残っている。


「魔の森にいたときのやつだ」


 水に濡れてしわになっている部分を、テーブルに乗せて手で伸ばす。インクがこすれないようにゆっくり、優しくこするが紙は綺麗にならなかった。


「後でアイロンを持ってきて伸ばしますから、ひとまず仕分けだけ進めてください」


 見かねたイルヴァレーノがカインの手からしわしわの報告書を取り上げた。自分の手元にやってきた紙を見て、イルヴァレーノがため息をこぼす。


「この報告書、ディアーナ様はカイン様を取り戻すために元気に調べ物をしたりいつも通りの訓練をしたりしていますって書いてありますけど」

「うん。僕がいなくても、ディアーナはちゃんと頑張れてるんだって感動したよ。僕の『大丈夫だから』って言葉を信じてくれたって事だしね」


 兄妹愛だよね! と誇らしげに笑うカインに向けて、イルヴァレーノが気の毒そうな表情を作る。


「実はこの時の報告書、全部嘘なんですよね」

「はぁ!?」


 イルヴァレーノの言葉に、カインは椅子を倒す勢いで立ち上がった。

 魔の森で魔王と対峙したのは秋だった。今はもう春である。半年経った今になってイルヴァレーノから衝撃の事実を突きつけられたカインは、立ち上がった勢いと同じようにクラクラとその場に座り込んだ。立ちくらみの様に目の前がうっすらと暗くなった気がした。



 魔王に体を乗っ取られたカインを魔の森に残し、ディアーナとイルヴァレーノだけが屋敷に帰ってきた日。父であるディスマイヤはいつも通り仕事で王城におり不在、母であるエリゼもヴォクシュア公爵家のお茶会に呼ばれていて不在だった。そのため、ディアーナの様子がおかしい事とカインが帰宅しなかった事について、その日は両親に気づかれることはなかった。


 イルヴァレーノはカインの危機だと認識していたのでパレパントルに相談をしたいと思っていた。しかし、パレパントルはディスマイヤに付いて王城へと行っていたために不在だったので報告も相談もできなかった。

 その上、カインを置いてきてしまった事に対する罪悪感。自分の軽率な行動でカインを危険な目に遭わせてしまった事に対する自己嫌悪。領地で見回りに参加した時に対峙した魔獣とは比べものにならない程強そうな魔獣に襲われた恐怖。そういった負の感情がぐるぐると頭の中を巡っているらしいディアーナを放っておく事はできず、背中をさすりながらひたすら気休めの言葉をかけ続ける必要があり、イルヴァレーノはその側から離れることができなかった。

 取り乱したディアーナの支離滅裂な説明とイルヴァレーノの補足説明を聞いたサッシャは、暖かい飲み物を飲ませ、暖めた布団にディアーナをつっこむと布団の上からずっとその背をやさしく叩き続けていた。


「報告書には、『帰宅直後は混乱していたけれど、夜には落ち着いて鋭気を養うために早めに就寝した』って書いてたよね?」

「帰宅直後は取り乱していましたし、泣き続けた結果泣き疲れて早めに寝てしまったというのが正確なところです」


 報告書に書かれていた内容とは違う報告を聞いて、カインは頭を抱える。イルヴァレーノは、引き続きカイン不在の一週間について淡々と語っていく。

 ディアーナ達の無謀な冒険については、イルヴァレーノが報告するまでもなく翌日には大人達に知られていた。ディアーナを学園まで送り、ケイティアーノの家で待機した後カインとイルヴァレーノを魔の森まで連れて行った御者のバッティが、上司であるパレパントルに報告したからだ。馬車で待っているようにカインが言いつけていたのに、カインが何かの魔法を受けて黒髪に変化し、うなり声を上げる姿を見ていたらしい。バッティは気の良い普通の御者のフリをしているが、実際はエルグランダーク家の隠密御庭番である。カイン奪還作戦の折には戦力として参加してもいた。


「元々、魔の森は魔獣が出るので危険地域とされてはいましたが、立ち入り禁止区域というわけではありませんでした。実際王都の外郭近くの住人なんかは魔の森の浅いところに入って小型の魔獣を狩って生活している人もいますし」

「それは知ってるよ」

「ですから、旦那様に知られてもお嬢様は魔の森に入ったことについては大して叱られ無かったんですよ」


 カインも、魔王の魂を自分の体から追い出して家に帰ってきた時に『魔の森は立ち入り禁止地域では無い』というのを理由にディアーナ達を庇おうとしていた。そして、実際にそう切り出したところで


「それはいいんだ」と父から言われている。

「ちゃんと行き先を言わずに出かけた事と、王都の外に出るのに護衛を連れて行かなかった事について叱られたんだろう?」

「まぁ、それも軽くですけどね。きつく叱られたのは屋敷の騎士達です。ディアーナお嬢様とカイン様をお守りできなかった事についてだいぶ絞られていました。減給もされていて、休日も遊びにいけないと嘆いていましたよ」


 ディアーナに直接出し抜かれたバッティも減給されているし、休み返上で働かされている。

 もちろん、騎士やバッティ達の処罰が決定したのは諸々の始末が付いてからなので、当初はキツく叱責を受けるにとどまっていたのだが。


「僕がカイン様にお食事と着替えを届けて戻ると、お嬢様はカイン様がどんな様子だったかを子細に聞きたがりました。お元気でしたよ、とお伝えするとその瞬間はほっとした顔で安心されていましたが、夜になると不安で眠れなかったみたいです。サッシャがずっと手を握って側に付いていたんですが」

「ですが?」

「カイン様の部屋に人の気配がして僕が部屋に入ると、ディアーナ様が空っぽのカイン様の布団を撫でながら泣いている事もありました。うとうとした隙に、と探しに来たサッシャと一緒に部屋にもどられましたが……」

「報告書には、しっかり食べてしっかり寝て、前向きに僕の救出に備えているって書いてあったじゃないか」

「実際には『もっとお兄様の言うことを聞いていれば良かった』『お兄様に相談すればよかった』って後悔の言葉ばかりつぶやいていましたよ」

「報告書意味ないじゃん!」

「カイン様の精神状態を悪くする訳にはいかないと思っていたんですよ!」


 近寄り過ぎると苦しみ、体を乗っ取られそうになると言っていたカインに、負の感情が湧くような報告を出来るわけが無かった。


「逆に、カイン様への報告書を利用してディアーナ様を励ますことにしたんです」

「逆に?」

「カイン様が三日も戻ってこない頃、大人達の話し合いも『カイン様を救うか始末するか』という内容になりつつありました。まだ救う案を模索するという意見の方が優勢でしたが、万が一カイン様が始末される事になれば……とディアーナ様の不安は大きくなっていくばかりだったんですよ」

「……まぁ、仕方がないだろうな。なんせ、自分で言うのもなんだけど剣もそこそこ使えて魔法は聖と闇以外の属性が全部使えるぐらい優秀だからな、僕は。それが人類の敵になるかもしれないってなったら、面倒になる前に始末しとこうって話にはなるだろう」

「孤独に自身の中にある物と戦っているカイン様を元気づける為にも、まずはディアーナ様が元気になって、元気な様子を報告書としてお伝えしないといけませんよ、という方向で元気づけることにしたんです。このアイディアはサッシャです」


 四枚目の『今日のディアーナ様』を手にして、イルヴァレーノは目を細めた。


「カイン様に心配を掛けたくなかったら、報告書に書く為にも元気な姿でいなきゃダメですよって言ったんですよ」


 そうしたら、頑張って昼間は元気に過ごすようになりました。とイルヴァレーノは続けた。カイン不在で王族がエルグランダーク家にお忍びで通いなにやら話し合っているらしい所にディアーナやアルンディラーノまで学校を休んでいたら余計に怪しまれてしまう。ド魔学は貴族の子息令嬢が沢山通っているのだから、どこから何を勘ぐられるかわからないと言って謹慎を解除させたのもディアーナだ。


「まぁ、入れ知恵したのはサッシャでしたけど」

「さすがというか、なんというか」

「そこからは、魔の森に入り込んだメンバーで頭を突き合わせてカイン様救出の方法についてずっと話し合っていました。アルンディラーノ殿下やご学友の方々と顔を合わせて会話をすることで、気持ちも落ち着いていったみたいです」

「やっぱり、孤独は毒だね」

「それでも、夜になると布団の中で泣いてなかなか寝付けなかったり、カイン様の部屋に忍び込んで空っぽのベッドの前で途方に暮れたりしていました」

「ディアーナ……」


 魔の森にやってきて、魔王を弱らせてカインが転移魔法を使う隙を作った時も、その後一緒に家に帰ってきたときもディアーナは元気だったし笑っていた。それなのに、不在の時にそんなに不安定だったとは。カインは痛む胸をグッと左手で掴んだ。


「その後は、救出作戦前日に洞窟の前でお話した通りです」


 イルヴァレーノがカインと会話をし、カインの中に意識が二つある状態の様だとサッシャとディアーナに報告し、それを天井裏で聞いていたバッティがパレパントルに報告し、カインの見た目が変わっただけで無く、魔族に乗っ取られる可能性があることがバレてしまったのだ。カイン処分の可能性が上がったことでディアーナ達も後が無くなった。


「ティルノーア先生を巻き込んで助けに行くことになりました。そうなれば、もう前に進むしかない。

お嬢様は一直線でしたよ。ご立派でした」


 そう言ってイルヴァレーノは笑った。カインを助けるために頑張っている様子だけを書き、夜眠れていなかったりカインの不在を改めて確認して気落ちしていたことは書かれなかった『今日のディアーナ様』それは、カインを守るためでもあったのだが。


「もう、時効でしょう。カイン様も落ち着かれましたし、ディアーナお嬢様もお元気になりました。ディアーナお嬢様が学校からお戻りになりましたら、目一杯褒めてさしあげてくださいね」

「言われなくても!」


 魔の森にいた時の七枚の報告書を紐でとじる。次の紙の束はカインが休学している間のディアーナの学校での姿をサッシャが書いた報告書だ。こちらは、元気いっぱいに友人と遊び、真面目に授業を受けている様子が綴られている。こちらには、サッシャの『贔屓目』という名の誇張はあるかもしれないが、もう嘘はないのだろう。これからも枚数が増えていくこれは、紐にとじないまま引き出しにしまった。


「久しぶりに、ディアーナと一緒に寝ちゃおうかな」

「サッシャが許さないと思いますけどね」

「じゃあ、サッシャとイルヴァレーノも一緒に四人で寝たら良くない?」

「ダメにきまってるでしょう!?」


 鼻歌を歌いながら、今日のディアーナ様報告書を整理してしまい込むカインの背中を見て、イルヴァレーノはため息をついた。


「そういえば」


 イルヴァレーノがカインの背中に声を掛けた。


「騎士など目指さず、認められるための成果を求めず、周りの望まれているとおりの『令嬢らしい幸せ』を望んでおけば良かったと言い出したディアーナ様に、『カイン様の生きがいを奪わないでください。ディアーナ様の無理難題を叶えるのがカイン様の生きがいなんです。今回のディアーナ様の失敗は『魔王を倒したい!』ってカイン様に相談しなかったことですよ』って言って励ましたんですよ」


 言えばカイン様は調子に乗って、どこかに飛び去ってしまった魔王を追いかけて倒しに行ってしまうかもしれない。そう思って黙っていたが、この流れなら言ってしまった方が良いだろうと思ってイルヴァレーノは口にした。


「と言うわけなので、カイン様はディアーナ様の無理難題を叶えるのを生きがいにしてくださいね」


 口裏合わせてください。そういうイルヴァレーノにカインは振り返って叫んだ。


「もうしてるよ!」

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