領地にて 2

「カインのその見た目と戻し方について、今朝ちょっとイル坊と話したんだが」

「なんでキールズがイル坊とか呼んでるの」


 騎士団の視察も一通りおわり、領城の図書室で調べ物をしていたカインの所に、プレートメイルを着た姿でキールズがやってきた。


「うらやましいならお前のこともカー坊って呼んでやるぞ」


 にやりと笑ってカインの座っているテーブルに兜をゴツンと置いて向かい側の椅子へとどかりと座った。いつもはそんなことないのに、鎧を着けているととても重そうな音がする。キールズの座っている椅子がギシギシと音を立てている。


「イル坊に聞いたんだが、お前が元に戻るためには黒髪金目である自分を忘れて、現在の自分自身は今まで通り金髪青目である。って思い込まなきゃだめなんだってな」

「うん、そう」


 だから、暗示でそう思い込めるように催眠術師を探して貰っている。大々的に募集をかけて探すわけには行かないため、ほんとうに信用できる人物を探し出すのが困難になっているらしい。

 黒髪金目の自分の姿を忘れるために、鏡を全て撤去して視界に自分の髪が入らないように帽子をかぶって生活している。


「それがさ、逆なんじゃないかって思ったんだよな」


 そういって、キールズは目の前に置いてある兜をコツコツと指先で叩く。


「目の色を変えられるメガネがあるんだろう? それを掛けて金髪のカツラをかぶって、鏡を毎日見るとかじゃだめなのか?」

「カツラをかぶってメガネを掛けて、鏡を見ながら転移魔法をするっていうのはもう試したんだよ、それでダメだったんだ」


 だから、転移魔法を使った方法以外に姿を元に戻せる方法がないかを調べているのだ。と、カインは手元の本を立てて表紙を見せた。『光魔法による美容整形術』と書いてある。


「メガネみたいに、光魔法で髪の色を違う色に見せかけるってこと?」

「魔力の切れ目が縁の切れ目って感じなんで、まぁ僕の場合使えそうに無いけどね」


 そう言って、肩を竦めながら本を脇によけて置いた。テーブルの上には他にも『人毛移植術。もうハゲは怖く無い』『瞳の色のしくみ』といったタイトルの本が積まれている。


「収穫はありそうか?」

「うーん。難しいね。その場しのぎで何とかする方法はいくつかあるんだけど」


 カインが困った様に笑うのを、キールズが心配そうな顔で見守っている。コツコツ、と兜の頭頂部を指先で叩きながら何かを考えているキールズ。時々ガントレットのフチが当たって「カーン」と甲高い音が響いた。


「ただの思いつきだと思って聞いてほしいんだけど」

「うん?」


 意を決したように、キールズが椅子に深く座り直してカインに向き合った。キールズの座る椅子がぎしりと重さに悲鳴をあげている。


「俺、こんな風にフルプレートメイルを着て訓練するようになったのは正式に騎士団に入ってからなんだよね」

「……」

「騎士学校にかよって授業や訓練受けて、父上や騎士団の皆に稽古付けて貰って、俺はそこそこ出来るヤツだと自負してたんだよね」

「キールズはだいぶできるヤツだろう?」


 以前夏休みに遊びに来ていた時に手合わせした時は手強かったし、叔父である領騎士団長のエクスマクスもキールズの事は褒めていた。


「いや、全然ひよっこだったんだよ。正式に騎士団に入団して、鎧を着込んで訓練するようになったらもう全然だめでさ」


 カインは初めて聞く話だった。キールズはカインの二個上な上、修学期間がド魔学より短い騎士学校卒業なので、騎士になってからもう数年経っているはずだ。その間、留学時に帰省する中間地点として寄った時に顔を合わせているし、夏休みに遊びに来た時には一緒に領内の見回りなどもしたが、そんな弱音は聞いた事が無かった。


「重いのもそうなんだけど、違和感が半端ないんだよ。関節の位置が鎧の継ぎ目に引きずられて腕や足の曲げ伸ばしが自然に出来ないし、重心がとりにくくて座ったり立ったりするのにも苦労したよ。訓練のランニングにも付いていくの大変で、足の関節同士引っかけちゃって転んじゃったりな」


 ははは、と笑いながら昔の失敗談を話すキールズ。カインは、この話の着地点を想像出来ずにいた。


「それで、一日でも早く鎧に慣れないとって思って、鎧着たまま普段の生活し始めたんだよ」

「極端じゃない!? スティリッツは何も言わなかったの?」

「笑って協力してくれたよ」


 奥さんの名前を出されて、一瞬デレッとした顔を見せたキールズ。新婚生活はうまく行ってるみたいで何よりだった。


「そうしたら、鎧着てるのが当たり前になってきて、立ったり座ったりもスムーズに出来る様になったんだよね。もう、今では鎧付けてないと体が軽すぎて違和感感じることがあるくらいだよ」


 ははは、と笑って話が終わった。


「つまり?」

「つまり、金髪のカツラと目が青く見える眼鏡を二十四時間着け続けて、かぶってる違和感とか眼鏡掛けてる違和感が無くなるまで続けるのはどうだ? そして、邸中に鏡を置いて常に金髪で青い目の自分の姿が入るようにするんだ。カツラも、外したりかぶったりしないで付けっぱなしにするんだよ」

「あーなるほど」


 ようやくカインも理解出来る話になった。


「確かに、視力矯正のために眼鏡掛けてる人って、眼鏡掛けてない方が違和感あったりするもんな。鏡見るときは眼鏡してるから、メガネしてない顔が自分でも違和感を感じることあるっていうし」

「そう、それそれ」


 キールズも、自分の言いたいことがちゃんと伝わったことがわかってほっとしたような顔をした。


「まぁ、アイディアの一つとして考えてみてよ。これなら、他の方法を調べながらでもできるだろう? カツラかぶって眼鏡かけるだけなんだから」


 そういうとキールズは兜を抱えて図書室から出て行った。仕事の途中に抜け出してきてくれていたようだ。

 その日の夜から、カインは金髪のカツラをかぶったまま風呂にも入ってベッドにも入った。寝る時はさすがに眼鏡は外したが、それ以外の時はいつでも眼鏡をかけ続けた。

 撤去前より沢山の鏡が邸中に置かれ、どの廊下を通ってもどの部屋に居てもカインは自分の姿を目にすることになった。


「違和感はどうですか?」


 図書室での調べ物を手伝ってくれているイルヴァレーノが、ふと息抜きをするかのように声をかけてきた。変装しっぱなし作戦を始めてから一週間。父も領地視察も半分ほどが終わったという連絡を貰っている。


「最初の頃は頭が蒸れるような気がしたし、生え際の糊がかゆい気がして手で頻繁に触ってズレちゃったりしてたし、眼鏡も視界の端にフレームが常に見えるのが気になってしょうがなかったんだけどさ」

「今は気にならなくなりましたか」

「うん。人間て慣れる生き物なんだねぇ」


 イルヴァレーノに言った通り、もうカツラも眼鏡も気にならなくなっていた。鏡を見ても自分がその姿であることに違和感を覚えることも、『本当はこの姿なんだよなぁ』という思いを浮かべることも無くなっていた。


「ただ、転移魔法使ってみても、カツラかぶって眼鏡掛けてる僕になるんだよねぇ」


 良い感じな気はするんだけどね、とカインは苦笑した。

 その日の夜は、体調は良いからとスティリッツも城に来て家族で夕飯を取ることになった。



「だいぶお腹が大きくなってきましたね。もうつわりとか大丈夫なんですか?」


 カインが気に掛けると、スティリッツは嬉しそうに笑って「大丈夫ですわ」と答えた。普通の椅子では座りにくいようで、大きめの椅子に柔らかそうなクッションをいくつも重ねた物が用意されていた。


「そろそろ、城で寝泊まりしたらどうかって言っているのに、聞いてくれないのよ。乳母も雇うし私も面倒がみられるし、悪いこと無いと思うのだけど」


 叔母のアルディが頬に手を添えて「困ったわ」と困ってもいないような笑顔で苦言をこぼした。キールズとスティリッツは城を出て領都に住んでいる。アルディにとっては初孫だしスティリッツは初産だしで、里帰り出産を勧めたいのだろう。

 本来の里帰り出産なら、スティリッツの家になるのだろうが、設備や人材に関して言えば城の方が安心できるのは間違い無いだろう。


「自分で動けるうちは、なるべく自分でやろうと思ったんですよ。お義母様のお手を煩わせるのも申し訳ないですし」

「でも、アニタとレッグスも領都よりは領城の方がいざというとき駆けつけやすいと思うわ」


 アニタとレッグスというのは、スティリッツの両親でネルグランディ領の領主直轄領を管理している代官夫婦である。領城と領都周辺の一体の土地の管理をしているので、城の近くに住んでいるのだ。

 食事は和やかに進み、先日ジュリアンと一緒にちょっとだけ帰ってきたコーディリアの事や、種まき神事における領主の役割についてなど、多岐にわたって盛り上がった。

 デザートも終わり、お茶も飲み終わった頃に解散となり、キールズとスティリッツは領都の家へとかえるため退室しようとした。

 キールズが手を取り、使用人がスティリッツの椅子を引いて立ち上がる空間を作る。そのとき、コロリとクッションが一つころがりおちた。

 スティリッツを見ているキールズ、お腹が大きくて自分の足下が見えていないスティリッツ。テーブルの反対側に座っているアルディとエクスマクス。


「スティリッツ嬢、あし……」


 スティリッツの足下に、絹のクッションが落ちたのに気がついたのはカインだけだった。足下気をつけて、と声を掛けようとしたときには、スティリッツは一歩踏み出しており、絹ですべすべのカバーと、柔らかくふわふわの綿が入った中身は踏まれてするりとズレた。

スティリッツの足が釣られてずるりと前に滑っていくのが、スローモーションのように見えた。


「危ない!」


 スティリッツとカインの間には、キールズの座っていた椅子がある。スティリッツの手を取っているキールズも、慌てて支えようとするが、スティリッツの振り上げた反対側の手を掴み損ねてしまっていた。

 カインはとっさに転移魔法を使った。ここ最近、見た目を取り戻せるか確認するために頻繁に使っていたためか、とっさにでてしまったのだ。


「むぎゅっ」


 転移した先、スティリッツの背中側から腰を支えるように体を滑り込ませて下から手を伸ばしたカインは、そのままスティリッツの下敷きになって尻に敷かれてしまった。

 キールズも手をしっかりと握って引き寄せていたので、体重は半分ぐらいしかかかって居なかったが、お腹いっぱい食べたばかりだったカインには重く効いた。

 一瞬何が起こったのかわからずぽかんとしたスティリッツだったが、自分の尻の下から聞こえた潰れたカエルの鳴き声みたいな声を聞いて正気に戻った。


「きゃあ。カイン様大丈夫ですか! キールズ、早く起こして起こして!」


 手をつないで、半分引き上げた状態だったキールズは空いている手をスティリッツの腰に回して、抱き上げるようにして引き起こした。


「まぁまぁカイン、大丈夫? なんか一瞬姿が消えた気がしたのだけど」

「悪いカイン、俺がしっかり支えるべきだった」

「ちゃんと足下注意してなかった私も悪かったわ、ごめんなさい」


 アルディとキールズとスティリッツが一斉に話し掛けてくる。後ろに控えていたイルヴァレーノが椅子をどけて、カインに手を貸して立たせてくれた。


「いてて。いや、とっさに魔法でちゃったけど、間に合って良かった。スティリッツ嬢は大丈夫ですか? 肩関節抜けてたりしない? 支えたと思うけど、痛いところとか無いですか?」

「私は大丈夫ですわ。カイン様のおかげですわね」


 キールズはスティリッツの腰をなで、テーブルを回り込んできたアルディがカインの腹をなでてくる。もう十六歳だというのに、叔母にとってはいつまでも小さい子どものように感じるのだろう。

 わぁわぁと一通り大騒ぎし、やはり使用人も多いしアルディもいるこの城で出産まで過ごしなさい! と叔母の一喝が入ったところで、イルヴァレーノが異変に気がついた。


「あれ、カイン様……眼鏡の下の瞳も青くないですか?」


 そう言って眼鏡のフレームの外、こめかみの近くまで顔を寄せてのぞき込んできた。


「近い近い。イルヴァレーノ顔が近いよ」


 そう言ってカインがイルヴァレーノを押しやり、眼鏡を外す。


「どう?」


 そう言ってパチパチと瞬きをしながらその場にいる一堂を見渡した。


「カイン様!」


 イルヴァレーノがカインに飛びついて、髪の毛をひっつかむとグイッと引っ張った。


「痛い痛い痛い痛い!」


 上に、横に、髪を引っ張り、そして頭をガシッと掴んでぐりぐりと剥がすように動かした。


「目が青いです! 頭もカツラじゃありません!」

「か、鏡、鏡」


 感極まったように叫んだイルヴァレーノの声に、アルディが慌てて部屋の中に置かれている鏡を持ってこようと動いた。

 カインのために城のあちこちに鏡が設置されていたので、すぐにカインの目の前へと鏡が差し出された。


「……眼鏡をとっても目が青い……なんで? 今日の午前中に転移魔法使ったときには転移先でもカツラと眼鏡だったのに」


 カインのつぶやいた疑問は、お祝いムードの食堂の喧噪に紛れて消えてしまった。




 翌日、城に泊まったキールズが朝食の場でカインに向かってドヤ顔をしてきた。


「やっぱり、俺の『鎧と一体化理論』が正しかったな!」


 開口一番、そう言って恩を着せてくるのに、カインは半眼で「どうも」とだけ返した。


「確かに、つけっぱなしにしていたおかげでカツラと眼鏡に違和感を感じなくなってきていたし、常に鏡で姿が見えていたから自分の姿にも慣れてきていたけどさ。昨日の午前中に転移魔法を試してみたときには、転移先でもカツラをかぶった僕だったんだよ」

「魔法って気分の問題なところがすごいあるだろ? 『カツラじゃない自分になーれ』って思いながら転移魔法するのと、とっさの無意識で転移魔法したのとでは効果が違うってことじゃないか?」


 キールズの言葉に、カインがうなる。一理ある。

 カツラをかぶっているという意識は薄くなり、毎日城のあちこちにある鏡に映る自分にも違和感を感じなくなっていたとしても、自分の元の姿に戻ることを意識すれば、自動的に今は自分の本来の姿じゃないと言うことを意識することになる。

禁書で実験されていたような催眠術による暗示や脳をいじって記憶を改変すると言った手段よりは意識の変更は甘くなる。

キールズの言う通り無意識の転移だったからこそ、とっさに元の姿に戻れたのかもしれない。


「あー……脳筋のキールズに論破された感じでなんかいや」

「カイン、お前失礼だな!」


 机の上に突っ伏して嘆いたカインに、キールズがゴツンと拳を落とした。軽い力だったが、勢いでおでこもテーブルにぶつけることになり、カインは二度痛い目にあってしまった。

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