ジュリアンの飛竜越境ごまかし大作戦_2
授業中に『兄王子がいらっしゃった』と教師に言われ、慌てて学生寮に戻ってきたジャンルーカを待っていたのは、兄の婚約者であり自身の初恋の人でもあるシルリィレーア。
そして、何故か金髪ウェーブのカツラをかぶった兄王子の側近候補の騎士見習いハッセであった。
「ぶふぉっ」
思わず吹き出してお腹を押さえるジャンルーカ。
いつもは動きやすいようにと短く髪を刈り上げているハッセが、ウェーブかかった長めの前髪をうっとうしそうに耳に掛けようとして、落ちてきて顔をしかめている様子にさらに笑いが止まらなくなる。
「あ、兄上が来たって……先生に言われて……あ、兄う……兄上っ……ひっ。はひっ」
「ジャンルーカ殿下、笑いすぎではないですか」
「だって、だってハッセ……。ひぃひぃ」
現在、学生寮のジャンルーカの部屋にはジュリアンが潜んでいる。すでにいる人間が、外からやってきたと言われて何事かと心配してきてみれば、似ても似つかぬ大柄な兄の乳兄弟が似合わぬカツラを付けて待っていたのだ。
笑わずには居られなかった。
「あー……。死ぬかと思いました。シルリィレーア姉様、お久しぶりです。お元気そうでなによりです」
「お久しぶりです、ジャンルーカ様。ずいぶんと背がのびましたね。ジュリアン様に似てきましたわ」
「……。褒めてる?」
カインの言葉に、
「シルリィレーア様が、ジュリアン様に似てるというのであれば、最上級の褒め言葉でしょう」
ハッセが応えた。そっかぁ、シルリィレーア様そっかぁ。と思わずニマニマしてしまうカインだった。
「じゃあ、部屋へと移動しましょうか。王族向けの部屋がどのような物か視察に来たのでしょう?」
「そういうことになってますね」
ジャンルーカを先頭に、寮の廊下を進んでいく。今は授業中なので生徒の姿はなく、寮監のおばちゃんも事務室からは出てこない。
「静かですわね」
「授業中で生徒がいませんから。夕飯前なんかは賑やかですよ」
「まぁ。でも、魔法学園は全寮制じゃないのでしょう? 強制じゃないのにそんなに寮に入る方がいらっしゃるの?」
「リムートブレイクは、王都より遠い場所に領地を持っている貴族が多いようです。国の端までちゃんと管理されている場所になっているんですよ。あとは、サイリユウムの貴族学校と違って優秀であれば平民も入学出来るので、その影響もあるかもしれません」
シルリィレーアとジャンルーカが並んで歩き、真面目に寮の案内をしている。
サイリユウム貴族学校は全寮制で、国内の貴族の子息令嬢はみな入らなければならない決まりになっていたかわりに、平民はいなかった。
リムートブレイク王国には魔法学園の他にも騎士学校や家政学校等複数の学校が存在しており、将来に向けて入学する学校を選ぶことが出来るし、入学しないという選択肢もある。優秀であれば貴族で無くとも入学することができるのも特徴である。
サイリユウムの貴族学校とは色々と勝手が違うのだ。
そんな感じに両国の学校事情についてやりとりをしているうちに、ジャンルーカの私室の前までやってきた。
ここはフロア全体が高位貴族専用になっていて、部屋数は少ない。今年はアルンディラーノという王族が入学しているわけだが、王宮から通っていて寮入りしていないので一番良い部屋をジャンルーカが使っている。
ジャンルーカが自室の気安さで、ノックもせずにドアを開けた。
ジャンルーカに続いてカインが部屋にはいると、思う以上に部屋は広かった。奥には学校と寮を隔てている林と庭園が見える大きな窓があり、その手前に立派なソファーが並べられている応接セットが置かれている。部屋の中にベッドは見えないので、この部屋の他にベッドルームが別にあるのだろう。
サイリユウムの貴族学校の寮は二人部屋で、入り口を入ればすぐに学習用の机とベッドが二人分並んでいるのが見える状態だった。隣国の公爵家長男と自国の第一王子が使う部屋でそうだったのだから、両国で対応の違いがはっきりと出ていると言えるだろう。
「おー。ジャンルーカか? どうした、まだ授業をやっている時間であろう。具合でもわるくなったのか?」
応接セットとしてセッティングされているソファーのうち、四人ほど並んで座れそうな長いソファーに寝転がり、お腹の部分にだけ薄手の毛布を掛けた状態で菓子を食べながら本を読んでいるジュリアンがそこに居た。
本から目を離さず、ドアの方を見もしないまま声だけを掛けてきている。端的に言ってだらしがない格好だ。
カインは、後ろから血管のキレる様な音が聞こえたきがした。肩に大きな手が置かれ、ぐいっとその場から一歩下がらせられた。
頭一個分は背が高く、胸の厚さもカインの一.五倍はあるだろう体格の良いハッセが、厳しい顔をしながら部屋の中へと入っていった。
ハッセがすぐ隣まで行って立ち尽くすと、読んでいた本に影がさしたせいか、ジュリアンが小さく顔をしかめて本を閉じた。
「ジャンルーカ、そこに立つと暗くて本が読め……ぬ……」
閉じた本から、側に立つ人物へと視線を動かしたジュリアンは、そこで動きを止めた。
まるで置物の様に動かなくなったあと、細かくプルプルと震えながら端から見てもわかる程に冷や汗をかき始めた。
「実に一週間ぶりでございます、ジュリアン様。心身ともにリラックスされているようで何よりですが、何か私に言いたいことはございませんか?」
見下ろすように、冷たい視線をまっすぐにジュリアンへと向けてハッセが低い声を出す。
その後ろに、そっと静かにシルリィレーアが立ち、簡易的な淑女の礼を取った。
「お久しぶりでございます、ジュリアン様。あまりにも秘密主義がすぎませんこと? 私、カイン様に嫉妬してしまいそうですわよ?」
ソファーにだらしなく寝転がったままのジュリアンは、見下ろしてくるハッセとシルリィレーアの間に視線を泳がせ、「あー」とか「うー」とか言葉にならない音を口から出して居たが、へらりと笑うとソファーの上に座り直した。
「ここまで迎えに来てくれるとは、ますます過保護になったのではないか? ハッセ」
「迎えに来たのでは無く、説教をしに来たのですよジュリアン様。そこにお座りください」
ハッセはそう言って、ソファの下の床を指差した。
ジュリアンは悲しそうな目でシルリィレーアに助けを求めたが、ゆっくりと首を横にふられてしまった。
その後、ジュリアンはカインにも救いを求める視線を投げてきたが、カインにはどうすることも出来なかった。
ハッセによるお説教が一通り済んだ後は、皆で今後について話し合う事になった。
アンリミテッド魔法学園の学生寮、そのジャンルーカの私室にある応接セットに、カインとジャンルーカとシルリィレーア、ハッセとジュリアンの五人は腰を下ろし、ジャンルーカの侍従とイルヴァレーノが二人がかりでお茶を入れた後にそれぞれ主人の後ろへと立って控えた。
まずはジャンルーカから、事の経緯が説明された。
ジャンルーカの話によれば、カインが体を乗っ取られた翌日には、ジュリアンに助言を求める手紙を送っていたのだという。
「遷都予定地が、もともと魔女の村だったと言われていたじゃないですか。だから、兄上に相談すれば魔女の正体や弱点など、なにかしらの助言が頂けるのでは無いかと思ったのです」
もちろん、筆頭公爵家の嫡男が魔族に体を乗っ取られ掛けている、等と言うことを直接書くわけにはいかない。手紙はどこかで検閲されても困らないように兄弟の間だけで通じる符号で書いてあった。
サイリユウムに隣接する領地のネルグランディ領までは馬車で四日、馬で強行して二日かかる。そこから先のサイリユウム国内は馬車で三日の距離なのだが、郵便夫が通りすがりの見回りの飛竜隊と接触出来ればその日のうちに手紙は届く。
飛竜による国境付近の見回りは、リムートブレイク王国を刺激しないためにも頻繁ではないので、出会えない場合もあり、その場合は手紙が届くのは大幅に遅れることになる。
それはもう仕方が無いとジャンルーカは思っていた。万が一、もしかしたらという保険のような心持ちで出した手紙だったのだ。
「ジャンルーカから手紙を受け取ってな。読めば親友のピンチだというではないか」
「親……友……?」
「カイン。そのような顔をするでない。傷つくでは無いか」
「ジャンルーカ殿下からのお手紙を受け取っての行動だったと言うのはわかりました。だからといって、すぐに飛竜にのって出て行く王族がどこにいますか」
ハッセが苦言を呈す。
「飛竜に乗れば国境まで半日。……いけない事ですけれども、リムートブレイク王国の王都まで一日で行く事ができます。せめて、行き先と理由ぐらい伝えてから出かけてもよかったのではありませんこと?」
シルリィレーアも眉をひそめて厳しい声を出した。
「結局、ギリギリでピンチに間にあったのだ。準備万端にしてからの出発では間に合わなかったかもしれぬだろう? それに、ハッセやシルリィレーアに言えば『正式な手続きの上おでかけくださいませ!(裏声)』っていうであろ……痛ぁ!」
ジュリアンがシルリィレーアの声真似らしき事をしたところで、ハッセが思い切り後ろ頭をひっぱたいた。乳兄弟であるからか、第一王子相手だというのに容赦が無い。
「センシュール殿が一人で帰ってきて、隣国に置いてきたと聞かされて、どれだけ心配したと思っているんですか!」
「それについては、先ほど十分叱られたでは無いか……」
「反省していないから、怒っているんです」
その二人を無視して、シルリィレーアが飲んでいたお茶のカップをソーサーに戻した。
「ジュリアン様の入国がこちらの国の人達に知られていないようであれば、ハッセを影武者にして入国してきた甲斐がありましたわね。この場でハッセがハッセに戻って、私とここまで一緒に来たのは本物のジュリアン様だったということにいたしましょう」
「あ、なるほど」
シルリィレーアの言葉に、カインはポンと手をたたく。
ジュリアンの始末をどう付けようかと頭を悩ませていたのだ。
あの時、はっきりと飛竜の姿を見たのはティルノーア先生とアウロラのみ。父やパレパントルに忠誠を誓っているバッティも空から降ってきたジュリアンの存在については認識しているが、正体についてどこまで把握していて、どこまで上に報告しているかはわからない。
しかし、あれから一週間たつが父やパレパントルからジュリアンに関する話は聞かないし聞かれもしない。アルンディラーノ経由で探っても、国王陛下からもそういった話はでていないそうだ。
入国していない事になっている人間を、どうやって出国させようかというのがカインの悩みの種だった。父ディスマイヤに正直に話して相談すれば、飛竜で密入国した事で国際問題になりかねない。父といえども、ジュリアンやあちらの王族に対して弱みを握らせて大丈夫なものかどうかを、カインは判断しかねていたのだ。
「シルリィレーア様とジュリアン様とコーディリアが、護衛を連れてアンリミテッド学園のジャンルーカ様をご訪問、教育機関と教育方針の違いについて確認された後でアルンディラーノ王太子殿下とご会談、後に帰国……って所でしょうか?」
「そうですね、その辺が落とし所でしょう」
つまり、入国時には影武者のハッセがジュリアンとして入ってきているので、帰りは本物のジュリアンがしれっとした顔で出国すれば良い。という単純な作戦だった。
「私も一緒にサイリユウムまで戻るし、門番が行きとは違う人間の時に出国できるように調整できるから、いけるんじゃない?」
サイリユウムとの国境を守るネルグランディ領騎士団の長女でもあるコーディリアが胸を叩いた。写真や絵姿が末端まで出回っているわけでもないので、金髪でウェーブ掛かった髪の少年で、留学中の騎士団長の娘が「確かにこの人が第一王子ですよ」と言えば信じるだろう。
国境を越えるための旅券というか、身分証明書そのものは本物なので門番も疑いようもないだろう。
そうと決まれば、さっさとエルグランダーク邸へと戻るに限る。ジャンルーカはまだ本来授業中の時間なのだ。
「エルグランダーク邸も、僕がこんな姿の為に使用人の数を減らしていたから、偽ジュリアンの姿をしっかりと見たものも少ないだろう」
実際、ハッセはハッセのまま従者として付いてくるのだ。「でかくて目立つ子が居たから王子の存在に気がつかなかっただけかしら」ぐらい思ってくれそうである。
その夜は、エルグランダーク邸にてジュリアンとシルリィレーアを歓迎する晩餐会が開かれた。外出届を出したジャンルーカも参加して、そして食事が済むと寮へと帰っていった。
エリゼはカインの留学中にサイリユウムに遊びに行った事があるので、ジュリアンとも顔見知りである。晩餐会の時間は和やかにすぎていき、そして終了した。
ジュリアン達は、翌日は午前中にリムートブレイク王妃殿下とアルンディラーノ王太子殿下と謁見し、『呪われた土地の浄化について研究者を派遣してほしい』というお願いの親書を手渡していた。カイン救出のために急いでやってきた割には、用意の良いジュリアンである。
午後からは魔法学園を中心に騎士学校や家政学校など主に貴族が通う学校を見学し、「将来サイリユウムにも魔法学校を設立することになったら教師を貸し出してほしい」という要望を伝えて終わっていた。
「国の遷都担当者という肩書きをもっておるし、ジャンルーカの留学後には魔法学校を設立することも意見ベースではあるが父王に進言しているという事実があるからな。先触れが急であったことを除けば、端からは全て予定通りの訪問にみえよう」
そう言ってジュリアンはカラカラと笑い、ハッセはこめかみを揉み、シルリィレーアはコッソリとジュリアンの二の腕をつねっていた。
そうして、シルリィレーア達がやってきてから一週間後、賑やかなサイリユウム貴族一行は帰っていった。
久しぶりに兄や義姉に会えたジャンルーカは、別れの際にすこし寂しそうにしていたものの、大きく手を振って去って行く馬車を見送っていた。
後々、ディアーナがバッティから聞いた話によれば、父ディスマイヤと執事のパレパントルはバッティからの報告で隣国の第一王子が来ていたらしいという認識はしていたそうだ。
しかし、ジャンルーカの寮に匿っている間、ジュリアンが全く外に出なかった事もあって半信半疑だったという。
同行していたもう一人の大人であるティルノーアは『知らない』としらをきるし、何より入国の記録もないし街道や宿場町での目撃情報が皆無だったのだ。
南や西の隣国との仲がきな臭い今、東の隣国とまで揉めたく無かったディスマイヤは、知らんぷりをすることにしたそうだ。
「コーディリアと一緒に学園視察のためにやってきて、帰って行った。それでいいじゃないか。可愛い姪っ子を信じないでどうする」
と、明後日の方向を向いていっていたそうだ。
こうして『ジュリアンの飛竜による領空侵犯および密入国事件』は無かったこととして幕を閉じたのである。
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