魔王と人の境界線
なんか肩が重いな、と思って気がついた。報告書の作りすぎか、パソコンのモニター見すぎたから眼精疲労からくる肩こりかな? と思ってぐるりと肩を回した。
「きゃっ」
ドスンと隣から音がして、見れば全身真っ黒い女が倒れていた。それを見て、カインはすっかりと思い出した。ここは前世の会社事務所ではなくド魔学の世界で、自分はカイン・エルグランダークだということを。
「やべ、寝ぼけてた」
そう言って寝癖を確認しようと手を上げて、その様子に思わず声が出た。
「ひっ。なんじゃこりゃ!」
カインの手は、ひどく汚れていた。青いネバネバとした何かと、赤い血のような物が半乾き状態でこびりついている。
「寝ている間に、あの方がお食事に出かけていただけよ。気になるなら表に小さな小川があるから洗ってらっしゃい」
カインが肩を回したせいで、寄りかかっていたらしい女が転げたみたいだった。床に寝転んだまま、ふてくされた顔で洞窟の外を指差している。
「僕が逃げるとか考えないの?」
「そのすっかり変わった姿で、森の外に出られるとは思っていないわ」
女の言葉に、カインは慌てて洞窟の外へ出た。言われたとおり近くに小川があったのでまずは手を洗った。この小川に来るまでに、魔獣と野獣の死体がいくつか転がっていたので、『昨夜の食事』とやらだったのだろう。カインの披露した推理が当たっているのであれば、殺しただけで食べては居ないはずである。
「生肉食べたら腹こわしそうだしな」
つぶやきながら小川をのぞき込む。底が浅くて流れもそこそこ早い小川だったので、姿を確認しようにも鏡のようにはいかなかった。しかし、髪が黒くなり角が生えている事は確認できた。
「ゲームでは、なんかモヤモヤーっとした闇の集合体みたいな魔王になっていたんだけどな、ディアーナ」
魔王戦は、魔法の授業のミニゲームと同じ作りで相手が訓練用のかかしでは無く魔王になっているだけだった。その時のグラフィックがディアーナのミニキャラの色替えバージョンだったので、導入の立ち絵はモヤモヤだったのに、ドット絵だとディアーナなのかよ! とプレイヤー達はツッコミをいれたモノである。
カインは小川の水を少し飲むと、とぼとぼと洞窟へと戻っていった。途中に転がっている魔獣の死体は見ないふりをして。
「あの方を代表する魔族の方達は、あなたが推理したとおりに人間や動物の負の感情をエネルギー源としているの」
そう言ってふふふっとおかしそうに笑って扇子で口元を隠す。
「魔族の国では何もせずとも存在することができるのに、こちらの世界では実体を維持するためには魔力が必要なの。私たち魔女は魔族の方と契約を交わし、自分の負の感情や自分に対する負の感情を捧げる代わりに、魔力と魔法を授かるの。私と契約しているのが、あなたの中にいるあの方よ」
カインが体を明け渡さなければ、黒いドレスの女性もやることがない。せいぜいカインを疲れさせて眠らせて、体を乗っ取り安くするぐらいしか出来ない。
「実体を保てなくなってきたあの方は、だんだん小さい黒い影になって言ってしまったわ。最初は大型犬ぐらいの大きさはあったのだけど、最後はネズミになってしまったわ」
焦ったのよ。と座り込んでいるカインをお茶目に睨む。
「だから、これ以上弱らないように負の感情が必要だったからね。王様の寝所に忍び込んで暗殺未遂してみたり、偉そうな坊ちゃん達と同時に付き合って仲違いさせたりして、負の感情を作り出したのよ」
女のこの話に、カインは聞き覚えがあった。おそらく父ディスマイヤが言っていた隣国がきな臭くなっている、という話の実情がコレだったのだろう。
「神渡りの日のこと、思い出したわ。神渡りなんて言葉知らなかったけど、皆で鐘を鳴らす冬の行事のことでしょう?」
「ああ」
「冬の真ん中に生まれる子はね、魔力を多く持っている子が多いって聞いたから体候補を物色しに来ていたのよ、あの時。昨日来ていたあのピンク色の髪の子、あと金髪の女の子。……それと、あなたと一緒に来た気弱そうな方の男の子ね。あの子達に狙いをつけていたのよね。でも、幼い子の体を乗っ取っても不自由でしょう? 育つのを待っていたのよ」
それでも本当はまだ早かったんだけどね、とクスクスわらう。
「それで五年も早かったのか……。森に入り込んだばっかりに」
ゲームでは五年生か六年生で発生するイベントが一年生のうちに、しかもほぼフルメンバーで発生するなんて思いも寄らない話だ。
「カイン様―」
その時、洞窟の外から遠くでカインを呼ぶ声が聞こえた。昨日の戦闘があった場所から移動して洞窟にいるので、この場所がわからないのだろう。
「おーい!」
洞窟の入り口から声を出す。気がついたのか、ガサガサと草を踏んでこちらへ向かってくる音がだんだんと近づいてきた。
足音が近づくにつれ、カインは胸が苦しくなってきた。やたらと喉が渇き、胃がきゅるきゅると空腹を訴えて鳴いた。
「カイン様! ご無事でしたか」
草をかき分けてやってきたのはイルヴァレーノだった。左手には食べ物が入っているらしいバスケットが握られている。
「ストップ! イルヴァレーノそこでストップ!」
手のひらを突き出して、カインがイルヴァレーノの足を止めた。とにかくカインの様子が知りたいイルヴァレーノだったが、納得いかないような表情を作りつつもその場で立ち止まった。
「カイン様は、大丈夫なんですか!」
「ああ、大丈夫だ! ディアーナは?」
「こんな時までお嬢様優先なんですね! お嬢様は泣き疲れてお眠りになっていますが、アウロラ様のおかげで怪我や傷などは何もありません」
「僕が何のために生きてると思っているのさ。ディアーナが無事なら良かったよ!」
ディアーナの無事を確認したカインは、にこーっと嬉しそうに笑った。それがイルヴァレーノの琴線にふれたようで、ブチッと何かが切れる音がした。
「良かったよじゃない! どうするんだよ、その角! その髪! その目! 人の事ばっかり心配してないで、自分事も心配しろよ!」
叫んで、イルヴァレーノは一歩足を踏み出した。途端に、カインが胸を押さえて跪く。
「ダメだイルヴァレーノ、近づくな! 僕は今、動物や人間に近づくと襲いかかりたくなる病に掛かっているんだよ!」
「はぁ!?」
カインの叫びに、イルヴァレーノは虚を突かれ、しぶしぶ三歩ほど後ろへ下がった。
「そういうわけだから、他の人にも『今のカインに近づくな』って言っておいて」
「またそういう無茶振りを……」
いつも通りの感じで伝言を頼んでくるカインに、イルヴァレーノは指先で眉間を揉む。頭痛がしてきそうだった。
「ついでと言っちゃなんだけどさ、ギリギリの境界線を図りたいから協力して~」
「境界線ですか?」
そう言ってカインは、イルヴァレーノにゆっくりと近づかせたり、バックさせたりしながら『カインが理性を保てるギリギリの距離』を図った。
「じゃあ、そこに目印になるようなもの置いておいて」
「石を並べておきます」
距離を測ったときに木の枝で付けて地面の印に反って、明るい色の石を置いていく。森なのであまり石は落ちていないのだが、それでも境界線がわかる程度に目印を置くことが出来た。
それからしばらくの間、夕方になると目印の場所までイルヴァレーノがやってきて、飲み物と食べ物を置いていった。そうして、ディアーナの様子や両親の様子などを聞き、カインも黒いドレスの女から聞き出した情報などをイルヴァレーノに託した。
時々、睡魔に負けて眠ってしまい、朝起きると手と足が魔獣の体液や森の動物の返り血で汚れている事もあった。
カインは眠気に負けないように会話し続けようとした結果、聞きたくもない魔女と魔族のあの方とのなれ初めや、二人で行った楽しいこと(という名の悪逆な行為)についてのろけたっぷりに聞かされる羽目になった。
体の中に魂が二つ入っているせいか、気力のへりが早くてカインは疲れやすくなっていた。それでもうとうとしがちな脳みそをフル回転して、なんとかこの状況を打開する方法が無いか思考し続けていた。
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