アルンディラーノの護衛騎士

机の上に積まれた革製の書類とじを見て、アルンディラーノは盛大に顔をしかめた。


「これはなんだ」


後ろを付いてきていた侍従に聞けば、アルンディラーノが脱いだ制服を片付けようとしていた手を止めてにこりと笑った。


「アルンディラーノ殿下の、婚約者候補様達の釣書でございますよ」


 侍従の言葉に、アルンディラーノの眉間のしわが深まる。


「返しておいてくれ。今は学業に専念したいんだよ」

「そうおっしゃらずに、ご覧になるだけでもお願い致します。相手方のご令嬢に失礼ではありませんか」


 ネクタイをはずし、侍従の手のひらに落としつつアルンディラーノが嫌味な笑顔を作る。


「相手方の親が、だろ。その釣書のご令嬢達の中には、僕に釣書を送られてることすら知らない人もいるんじゃないのか?」


 ふんっと鼻を鳴らしたアルンディラーノが両手を広げると、どこからともなく現れた侍女二名が服を脱がせ、そして夕刻用の私服を着せていく。


「大体、まだ早いだろう。父上だって母上とのご婚約を決めたのは学園卒業後だったじゃないか」

「陛下の時は、先に王弟殿下がご結婚をお決めになられたからですよ。国の慶事と言えども予算という物がございますからね」


 今度は侍女が、アルンディラーノの室内着のボタンを留めながらなだめるような口調で説明してくれた。アルンディラーノもその辺の時系列はわかっている。

 アルンディラーノの祖父母と叔父、つまり先代の国王夫妻と王弟殿下は当時から仲が悪かった。

世間的には存在を隠されている病弱な長兄の処遇に対して、そして王太子であった兄とただの王子である自分との待遇の差について不満と不信感があったらしく、王国法的に結婚が可能な年齢になると同時に、勝手に結婚してしまったのだ。

 親の権力に利用されたくなかった王弟殿下は、嫌いな親への意趣返しも兼ねて結婚式を大々的に執り行った。国民に向けて、国事として盛大に執り行うことで結婚を覆せなくしたのだ。

 そして、その年の王子・王太子に関する予算をほぼ使い切ってしまったために『王太子殿下の婚約者捜しのための夜会』の開催や『婚約した場合の婚約式』が出来なくなってしまい、当時の王太子の婚約者探しが表だって出来なくなったという経緯がある。


「しかも、母上と父上は一応恋愛結婚じゃないか」

「あら、アルンディラーノ殿下は誰か心に決めた方がいらっしゃるんですの?」


 アルンディラーノの言葉に、ホホホと笑いながら侍女が返す。


「いないけど……」


 口をとがらせながらぼそりと返事をするアルンディラーノを、侍女二人は微笑ましそうに見つめた。


「出会いがご両親同士の紹介だったとしても、そこから始まる恋愛もありますわぁ」

「決め打ちの政略結婚ではないだけ良いではありませんか。釣書をお返しになるにしても、ご覧になるだけご覧になってはいかがですか?」


 アルンディラーノの服を着せ終えた侍女二人は、シャツや靴下などの洗濯する物を抱えると、


「私は親の決めた方との結婚でしたけど、今は幸せですわぁ」


 とか


「学生時代に大恋愛をしたのに、卒業と同時に喧嘩別れした友人だっていますのよ」


 だとか、色々な恋愛話を楽しそうに話しながら部屋から出て行った。

 残されたアルンディラーノはカバンから一冊の本を取り出すと、ドサリと体を投げるようにソファーに座った。


「お行儀が悪いですよ、アルンディラーノ殿下」


 侍従が真顔で注意してくるが、アルンディラーノは無視をして本を開く。学園から貸し出された古い魔術書で、『現代の魔術論と違う部分を抜き出せ』という学校から出された宿題である。

 アルンディラーノに無視された侍従は特に気にすること無く、部屋の一角に用意されている魔法道具の湯沸かしポットでお茶をいれる準備をし始めた。




 魔法学園から帰宅後、アルンディラーノは私服に着替えると宿題を片付け、夕飯まで時間があれば国内の経済状況の報告書や盗賊被害報告書、魔獣被害報告書などに目を通して行くのが日課になっていた。

 アルンディラーノに与えられている報告書類は本物では無く写しで、国王陛下と王妃殿下がそれぞれ処理済みの物なので情報としては若干古い。とはいえ、まだまだ勉強中のアルンディラーノにとっては、王族として押さえておくべき国内の情勢とその大きな流れを身につけていく為のよい教科書となっていた。

 たまに、宿題に手こずりすぎて報告書類の確認まで手が回らない日もあるが、現在は学業優先と通達が出ているので侍従も特に強要をしたりはしない。

 根を詰めすぎないように、適度なタイミングでお茶と茶菓子を用意してアルンディラーノに休憩を取らせるのが、今の侍従の仕事である。


「……。せっかく後は茶葉を蒸すだけでしたのに。もう一杯お茶を用意せねばいけませんかね」

「ん?」


 古い魔術書と学園の魔術論の教科書を見比べながら、ページをめくったり戻したりしていたアルンディラーノは渋るような侍従の言葉に顔を上げた。

 侍従は優雅な足取りでティーポットを運び、ローテーブルの上に置くと丁寧な動作でコゼーをかぶせた。


「休憩になさいませ」


 とアルンディラーノに向かってにこりと笑いかけると、そのまま大股でベランダに面した窓ガラスまで歩いて行った。カーテンの端をしっかりと握り、両手を広げるように勢いよく開いた。


「あ」


 カーテンが開かれた窓の外、ベランダの真ん中にクリスがしゃがみ込んでいた。その顔には焦りとごまかそうとするぎこちない笑顔が浮かんでいる。


「貴方は! ベランダは出入り口では無いと何度言ったらわかるのですか!」

「いや、何度も言われなくてもわかってるけど」

「わかっているのに、何故ベランダから入ろうとするのです! 玄関からおいでなさい!」

「だって、玄関から入ろうとすると手続きがめんどくせぇんだもん」

「だもん、じゃありません! 王族の住まう王宮をなんだと思っているのですか!」


 侍従とクリスが窓ガラス越しにやりとりしている声を聞き流していたアルンディラーノだったが、いよいよ侍従の怒りが頂点に達しそうなのを察して『バタン』とわざと大きな音を立てて本を閉じた。


「ナージェス。それくらいで許してやって」


 そう言いながら、宿題をやっていた書き物机からアルンディラーノは立ち上がる。ベランダのある窓まで早足で歩いて行くと、侍従の前にたって窓を開けた。クリスの無断侵入も、それを見つけてナージェスが怒るのもいつも通り過ぎてアルンディラーノは慣れてしまっていた。


「クリス、今日の警備はどうだ?」

「甘いね、甘々。横方向と下方向は皆良く見てるけど、上方面はあんまり警戒してない騎士が多いな。中庭の噴水そばの木から登って、枝伝いに来れば見つからずにここまでこれる」


 ニンマリとしたドヤ顔でそう言うと、クリスは立ち上がって改めて窓をノックする。


「開けてくださいよ、アル様」

「噴水そばの木を切らねばっ」

「中庭は母上の管轄なんだから、勝手に木を切ったりするなよ、ナージェス」

「そうだよ、ナージェス様。早くしないとアル様のお茶が苦くなるよ」

「ああっ」


 クリスの声に、慌てて部屋の中へと戻っていく侍従を視線で見送り、アルンディラーノは窓を開いた。


「呼び出せばちゃんと招待してやるんだから、玄関から来たら良いじゃないか」

「身分確認されて、訪問書書かされて、アル様にご確認が行って、アル様が招待状を書いて、それが玄関の俺の所に届いて、それを門番に確認されて、メイドののんびり速度で廊下を案内されて、漸くたどり着く、なんてやってたら夕飯食いっぱぐれちゃうよ」


 大げさに肩を竦めながらクリスが部屋の中へと入る。部屋に漂うお茶の香りに、クンクンと鼻を鳴らして目を細めた。




 魔法学園内では、魔法剣士を目指す生徒達を『騎士見習い』と呼んでいるが、正式に騎士団に所属している訳ではないので身分としてはただの『騎士を目指している学生』でしかない。父であるファビアンも近衛騎士団副団長という地位はあるが、身分はただの騎士爵。身分からすれば、クリスは王族のプライベート空間である王宮には入れないのだ。

 ただ、『王太子殿下のご学友』で『王太子殿下がご招待した』場合に限り可能となる。そして、その条件を満たすために必要な手続きが煩雑なのだ。

 なので、クリスはいつもこっそり窓から入ってくる。学校帰りにジャンルーカも一緒に訪ねてくる時ぐらいしか、手順を踏まない。

 それでいつもアルンディラーノの侍従であるナージェスに怒られているので、今日はナージェスがいなくなるのを待ってから入ろうと思っていたクリスだったのだが、気配の消し方が甘かったせいでバレてしまって、やはり怒られた。


「宿題教えて貰おうと思って来たんだけど」


 クリスはアルンディラーノの書き物机まで足をすすめ、サイドチェストの上に積まれている革の書類入れの山を見つけた。


「何これ」

「婚約者候補の釣書だってさ」

「へぇ」


 渋い顔で答えたアルンディラーノに気のない返事を返しつつ、クリスは一番上の書類入れを手に取って開いてみた。


「ふぅーん」


 サッとみてパタンと綴じ、次の書類入れを手にしてはパタンと開いて、パタンと閉じる。


「知らない子ばっかり」


 最後の一冊を書類入れの山に戻したクリスは、シャツの中から古い魔術書を取りだした。


「なんでシャツの中から本が出てくるんだ?」

「両手が空くから」


アルンディラーノの質問に当たり前のように答えると、クリスはアルンディラーノの向かいのソファへと腰を下ろした。

わざとらしいしかめっ面を作ったナージェスが、クリスにもお茶を入れてくれた。


「まだ終わってないよ。というか、宿題なら寮に行ってラトゥールに教えて貰えばいいじゃないか」


 こんな苦労して忍び込まなくても、という気持ちが言外に含まれている。


「ラトゥールは別の組だし、寮に行くともれなくジャンルーカ殿下が居るから緊張しちゃって勉強どころじゃないし」

「僕もクリスとは別の組なんだけど」

「アル様は幼なじみじゃん」


 ナージェスが用意した茶菓子を食べつつ、お茶を飲んで他愛の無い事をしゃべる。飲み終わったところで一緒に宿題をしようとしたが、アルンディラーノとクリスが教師から渡された古い魔術書が違う本だったので、結局それぞれが自力でやらなければならなかった。

 そうやって、宿題をやりつつお茶をカップに二杯飲んだところで時間切れとなった。


「まもなく夕食の時間でございます。お客様はどうぞお帰りくださいませ」


 ナージェスが、クリスに向かって慇懃無礼に深々と腰を折って退室を促してくる。「へいへい」と頭を掻きながら返事をしたクリスは、カップに残っていた冷めたお茶をグイッと飲み干すと立ち上がった。


「アル様の宿題はいつまで?」

「来週の最初の授業で提出することになってるよ」

「じゃあ、また続きから一緒にやろうぜ」


 そう言ってクリスは古い魔術書をシャツの中へと突っ込んだ。


「続きをやるときは、是非とも正規の手順でお越しください」


 嫌みったらしくそう言いながら、ナージェスは今日の分の『来客報告書』と『王太子からの招待状』をクリスに差し出した。二人が宿題をやっているうちに、『正式に訪ねてきたことにする』書類を作っていたのだ。


「いつも悪いね。ナージェス様」


 小さく片手を上げて、来客報告書には自分の名前をサインし、招待状は受け取ってポケットへと突っ込んだ。


「悪いと思っているのなら、ちゃんと玄関からおいでなさい」

「じゃあまた明日、アル様」


 手を振りながら、クリスはドアから出て行った。廊下から「おまえいつの間に!」「また忍び込んだのか!」という騎士達の声が漏れ聞こえてきたが、ドアが閉まることでまた部屋は静かになった。

 入れ違いに、控えの間からまた侍女が二人入ってきて、アルンディラーノを晩餐用の服へと着替えさせていく。


「あの子が正式に近衛騎士としておそばに仕えるのは、何年後になるのかしらね」

「魔法学園を卒業するのに六年でしょう?」

「騎士団に入団して、騎士見習いが三年ぐらいかしら」

「副団長のお子さんだけれども、騎士爵の子だと近衛騎士になるのにさらに十年ぐらいかしら」

「あらぁ。副団長さんは爵位を頂けそうって噂がありませんでしたっけ?」

「それは、引退後ってお話では無かったかしら」


 良く忍び込むクリスのことを、侍女達もよく知っている。クリスの父である近衛騎士団副団長のファビアンは王宮内の警備をすることも多いので、侍女達にとってクリスは一方的に身近な存在となっているみたいだった。


「ごほん! 無駄話をしないできちんと仕事をなさい」


 ナージェスに注意された侍女達は、「はーい」と楽しそうに返事をすると、アルンディラーノの袖のボタンを留めて去って行った。


「クリスは……」


 侍女達の出て行った控えの間へ続くドアをアルンディラーノが見つめる。幼なじみで、ずっと「将来はアル様の専属護衛になりますからね! 美味しいもの沢山食べさせてくださいよね!」と言っていたクリス。近衛騎士団の訓練に混ざっているときも、負けて悔しがるアルンディラーノに対して「護衛が護衛対象より弱くちゃ話になりませんからね!」と口を開けて笑っていたクリス。

 どんなにクリスが強くても、身分の壁がある限りアルンディラーノの専属騎士になるのにとても時間が掛かってしまう。


「早く王様になって、爵位を授けられるようになれれば……」


 ぼそりとつぶやくアルンディラーノの言葉に、


「彼がそれを喜ぶとは思えませんよ」


 と侍従のナージェスは答えたのだった。

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